資本主義分析-5

・かき氷店の資本主義的生産様式への変化の前に、生産手段に使用される機械と人間労働について更に掘り下げてみたい。

 

例えば、人は労働を通じて、人にとっての有用物をつくりだすのだが、それは労働対象物=原料、を労働手段である道具や機械を使い人間労働と結合した生産手段化による生産工程を経て目的生産物に変化させるものだ。

1単位の原料を1単位の生産物に作り変えるのである。針金をペンチで適当な長さに切って、丸めてクリップ📎を作るというように。これを反復して量産するのだが、この作業を1台で一連の人間労働が連続的に代理機能できるように作業機を作り、人間は直接作業労働から機械操作間接作業に移行し、作業機に作業を行わせる。

 

現在の労働を(機械の作業+間接労働)に置き換える。

これは別労働又は過去労働生産物で、現労働に置き換えて現労働を減らすことでなければ、またそれも現労働を過去労働時間減耗費より減らすことでないと機械投入の意味はない。

機械自体もその目的の為に生産される目的生産物であるのだ。機械は労働力再生産の為の消費材ではない。

機械生産に労働時間を投入し過ぎれば、これまた機械が高価になることになり、投入するに値しない。

カンナ生産の場合、1単位のかき氷原料を1杯のかき氷商品にするのに、

90円原料費+10円減耗費+200円労賃=300円の単価製造で、8時間労働で40杯生産が可能。時給は1000円とする。

3600円原料費+400円減耗費+8000円人件費

=12000円の経費回収には、300円/杯で販売。

これで労賃8000円で自己再生できる。

これがケネーの不生産階級の生産活動の姿だ。

かき氷機投入で、

90円原料費+100円減耗費+25円労賃の単価製造で、8時間労働で320杯生産に。

かき氷機投入で40杯生産するには、

3600円原料費+4000円減耗費+1000円人件費

=8600円の経費、8600/40=215円

減耗費を10倍にして+3600円にして、人件費をマイナス7000円にしたこと、要は過去労働生産物で、現労働時間を短縮したことになる。

 

道具や機械などの生産材の使用価値は、生産工程に投入されることで生産手段の必要生産時間を短縮することにある。現労働時間に頼らない生産方法だ。

生産材は、過去労働時間の投入による生産物であり、その交換価値は製造時の投入労働時間である。

 

これを現生産手段に投入して、即ち過去労働時間を投入することで現労働との結合、生産手段の必要時間総体を削減することで生産手段を構成する労働生産時間を短縮するのだ。

 

投入は過去労働時間生産物であるが、現生産物に移行する価値額は減耗費換算労働時間分である為、現生産手段としては、現労働時間を短縮しつつも、減耗費労働時間分を価値移行するので、生産材の使用価値は、その機能としては減耗費以上の現労働時間削減が必要条件となることである。

 

1つの原料を1つの目的生産物に変える生産工程で、

一つ目の生産には、かき氷機は、減耗費労働分ではなくかき氷機として全過去労働時間として現人間労働と結合して作用する。

また、二つ目の生産には、減耗残として作用するのではなく元の全過去労働時間分として人間労働と結合して作用するのだ。原料やエネルギーは、そのものが生産物に全価値移行するが、人間も生産材もそのままの形が残った姿で原料の変化の為の労働支出をするのであり、1個目も2個目もn個目も同じ作用をもたらし、減耗した、償却した償却残として作用がすり減って減退したものを使用しているわけではない。人も機械も生産手段として機能するのだが、それが融合形の一体化された生産手段となっている。過去労働生産物との現労働の結合形の新たな生産手段となって機能しているのだ。

 

かき氷機の場合は、カンナ結合労働の場合より、8倍の生産スピードに新結合生産手段化するこで、現在労働時間をカンナ労働の1/8に短縮できるのだ。

かき氷機が価値として製品に移行するのは、あくまで再生産費=労働時間は換算分であり、積立金の回収であり、機能はあくまで過去労働時間生産物として機能するのだ。しかし、減耗費分はかき氷機の投入継続の為の積立金として生産物価格に移行して回収しなければならないだけだ。

 

結論としては、最終的には、道具生産は、高度な機械も同じであるが、迂回的生産活動であり、これ自体は消費材生産活動ではないが、消費材生産を短時間化することで、現労働時間での消費材生産増をもたらすので、消費材需要の範囲での壁の問題はあるが、迂回労働時間とのトータルでは、より少ないトータル労働時間での消費材生産を可能にする。

トータルとは、迂回労働時間+現労働時間の和が、迂回労働時間を経ない場合より少なく、そのことは迂回労働時間に、更に迂回労働時間、機械生産を機械化する生産手段の高度化等により、更にトータル労働時間を削減することが可能となる、ということだ。

 

これ自体は文明であり、自然科学上の発展であるのだが、これは角度を変えて見ると現在労働の価値を高めることになり、また、高めたことにより現労働の再生産費を超える余剰価値を生むのであり、この価値は機械化を導入した生産手段によりもたらされる為、価値生産物の帰属を巡る分配時の紛争の種を蒔くことになる。

 

・結論として、労働とは仕事である。
物体に一定の力Fを加え続けて、その力の向きに距離s だけ動かしたとき、その積 Fsを、力が物体にした仕事Wという。
W=Fs 
原料を物体とすると、これを生産手段Fsで、Fの力をn時間かかってsに動かしたとするとWの仕事をした、といえる。
このWが目的生産物の必要量とすると、それにはs時間を要する仕事量だ、といえる。
Fが大きければ、sは小さくてもWが満たされる。

生産手段が人間だけなら、2人投入すればFは2倍、ならsは、半分の時間で終わる。
生産手段が人間と人間のF機能の代理機械との結合により一体化して生産手段として作用機能している。
機械を投入して人間労働のFの機能部分に付加でき、又はF以上の力の発揮が可能な機械が投入できれば更に短いsでこの生産手段で生産物がえられる。
sを短くできれば、=生産時間を短縮できれば、それで通常時間の仕事を継続できれば生産物増となる。
ただし、この増加した生産物は市場で相場で換金されれば原料増と機械稼働時間増にかかわる減耗費分の控除は必要だが、それを減じた額が労賃増として本来得られるが、資本主義システムで経営されれば、労賃は既に商品として購入されているだけで済むので、労賃増ー商品労賃=剰余価値として機械投入者の手に入る、ということだ。


これでみると、人間労働のF機能を代理する機械も人間労働を通じての生産物であるので、これ自体が労働時間価値物であり、製造コストが低い程=製造時間が短い程、また減耗費コストが低い程、またF機能が高いほど、剰余価値生産は高く得ることができる、ということである。