経済を考える6-2

ロビンソンクルーソーからケネーの封建主義的農本主義時代を経て、産業化した工業化時代の検討に移行しよう。この場合は、ロビンソンクルーソーの個人としての労働力配分の考え方も参考にしつつ、フランスを代表とするケネーの階級区分と歴史性を前提として数学的に偏重することをさけながら考察していきたい。

 

とはいえ、発展や規模によりこの時代でさえ、地球上まだほとんど採取経済に毛の生えた程度の未発達な社会が、アメリカ大陸やオーストラリア、太平洋の島、アフリカなどにはあったが、先端経済はヨーロッパで進み、フランス農本主義からイギリス資本主義への時代に農本社会から工業化社会への移行があり、ここでアダムスミスもマルクスも他も現実の資本主義を学ぶわけだ。

現代はアメリカに移行して既に変化もしているが。

経済学は今の所、現実に対する後追いの学でしかなく、今後の発展も現実の後追い学が予想され、未完成なことがわかる。

ユーラシアは、やや遅れた農本時代だったと見る。結局その後はイギリスの支配下になっているから、イギリスに焦点をあてることでよいはずだ。

 

ケネーの発達した農本社会を前提とすると、王制の時代ですでに貨幣経済が導入されて農本社会が営まれていた。貨幣は余剰農産物との等価交換に使用され、農産物商品と真逆に移動しているだけである。尺度と債務弁済決済機能だけの役割を果たしていただけだ。信用は未発達で、資本主義後期の分析でやればよい。

産業資本化はフランスで発展したわけでなく、イギリス。やや遅れた絶対主義農本社会が、肥沃でない土地の農業依存、王制の弱体化から新たな制度が編み出されて進展したと考えることにするが、その時点の経済構造はフランスのままと考えることでよい。ちなみに日本の江戸時代も同じ構造だ。

当時は、オランダからユダヤがイギリスに大量に移民した時代でもあり、ユダヤの働きも大きかったはずだが推測の範囲である。イギリスの工業化、が資本主義社会の発展の先端であり、農本経済に取って代わるがその流れをケネーの不生産階級の発展構造から類推するのが一番だと思う。

 

社会に余剰農産物の増産が進むと、王と不生産階級の活動が活発になる。その取り分を巡って、王と不生産階級即ち土地を持たない労働者階級と産業資本家連合軍とが競うことになるが、もし、分業を国内で完結させずに通商を通じて国外との間で進ませることができれば、痩せた土地に頼る農本社会経済を続ける必要性はない。しかしそれには王の承諾が必要である。国民が王に迫って譲歩を引き出したのかもしれない。学校教育では、マグナカルタだ、なんだと倫理観が先行しがちの教育だが。

不生産階級の成長は、農業生産工場である領地獲得の為の戦争による武器製造が、需要となったと考えてはいるが、農民は兵隊として駆り出されたから、領地の広い国が農民数も多く有利だが、武器も必要だ。この時代の戦争はマクロ的にはゼロでしかない。トータルでは戦死者がマクロ的には生産力減になる。

さて、交易市場の獲得が得られれば国際分業による不生産階級の生産階級化は可能で、国内農業生産の増産よりも不生産階級の割合を増やすことができ、その利益を王にも不生産階級増にも分配できると考えることができる。

しかし、そのためには、安価で大量な資本主義商品生産のシステム確立が必要であり、外国の不生産階級需要を肩代わりして奪うことだ。そのためには安価で大量な商品輸送をもち交易による市場開拓が必要で、物資の大量輸送ができるための船による海洋輸送交易支配権と造船が必要で、当時の民間資本ではないに等しく得られなかったはずで、スペインやポルトガル、オランダ、イギリス海戦やナポレオン戦争死の商人として機能して儲けたオランダをはじめとするユダヤの蓄財協力とイギリス王への影響力があったはずだ。

だからこの頃のヨーロッパの戦争は、農業生産工場としての領地の奪い合いから、グローバル交易市場の支配権を争う植民地戦争に形を変えつつあったはずで、海洋国イギリスが支配権をとったわけだ。

交易には、もう一方で船による大量輸送に足る安価な商品を大量に作る高い生産力が求められ資本主義的生産システムとして国内経済規模を超える生産力が作られた。ここでは労働力不足を若年労働力の長時間労働で得たりもした。エンゲルスによるイギリスにおける労働者階級の状態、や、農民工による昨今の中国にも見ることができるが、コストダウンは非人道的でさえあったが、一方で雇用は得られ、労使ともに利益を得たとも言える。

蒸気機関を取り込むことで生産力を飛躍的に伸ばしたイギリスは、蒸気機関の研究では遅れをとっていたはずだが、工場をすでにもっていたことで実用に取り込むことができて発展を加速できた。

こうして、ケネーの頃は生産階級は、農業者で種子から多量の余剰農産物価値を生産することで社会に貢献する唯一の階級だったのに対し、不生産階級でしかなかった商工階級は、ものを別な需要に変えるだけの生産性しかない生産階級と王の下請け階級から、勢い生産階級に昇格していくわけだが、それを支えたのが資本主義システムであり、余剰生産物を別の市場から取り込むことが発展の前提となる。農業生産性の内需を取り込むだけでは成長できない下請け機関で、侵略性がないと、循環社会では再投資や拡大投資の意欲を失う生き延びれないシステムかもしれない。内需的には、農家で副業、内職的にやっていた例えば衣料作りや、鋤鍬などの農機具作りや補修、運搬用の荷車、これらが農家内で不定期に自給自足的に抱えた部分を専業化することから始まる。出来上がった衣料品が農家で自給でやっていたより生産性コストがかかるのであれば、専業化は農業生産性向上後でないと無理だ。誰が買うのか買えるのか、だ。

安価な原料の供給とローコストの生産があってはじめて専業化できる。また、農家の生産力向上での所得増も大量消費の前提となるのかも。

 

これから農本主義から資本主義への移行を検討するが、資本主義は、突然歴史に登場したのではなく、農本主義的システムからの合理的な変化変形である。即ち王又は地主、又は10分の1税徴収者=教会、からなる支配階級、借地経営者と農民からなる生産階級、商工業者からなる不生産階級の検討から始める。

ちなみに資本主義の担い手は、生産階級内の借地経営者であると言われている。