経済を考える2

ロビンソンの個人的生活と異なる、集団を構成する社会では、分業生産物の交換が社会的にスムースに継続されなければ豊かな経済成長は社会全体としては得られない。交換が障害なく行われれば生産力、生産性向上も誘導され、社会経済は発展し社会が豊かになる。

 

物々交換の場合は、相対する2者の交換が、現時点に限定して相互に必要なものが交換できる量が分けられる単位で交換の場にあるということが条件となる。日もちしない商品を後で買うということはできない。3者以上の市場への参加では物々交換はほぼ絶望的に困難であり、結果は、尺度ある貨幣即ち借用証書、債務証書との等価交換を商品との間で繰り返すことが合理的。商品と商品、ではなく商品と貨幣、の交換が必要な条件となる。

 

この場合、貨幣即ち借用証書、又は債務証書の信用性が問題となる。ここで2つの方法がある。一つは貨幣自体が等価の価値をもつ場合、即ち金や銀などの貴金属を商品貨幣として当てる場合と、国定通貨のように国が債務保証する紙幣を使うばあいである。国が等価性ある貴金属を使うか、貴金属との交換を保証する兌換紙幣を使う場合もあるし、あったが。

 

貝殻や石板を貨幣とする場合もあったと言われるが、貨幣自体の運搬や保蔵自体が大変だし、それ自体に価値はないから、権力による強制力がないと偽造の危険がある。あったとされるこの時代は、国家の統制下での計算用の国定貨幣だったはず。

もともと、国家がありその支配の中で市場が運営される。真空な権力と無縁の市場は歴史的には存在していない、との研究結果もあり自由市場で等価価値ある理想的貨幣で交換が行われるのは理論でしかないとも言われていて、古典派経済学の限界を指摘する議論もあり、私も支持するところ。

さて貴金属ならば、持ち運ぶ量は少なく保存性よく、またそれ自体に価値があり、統制の必要や信用の必要はないが、交換に必要な貴金属が市場の拡大や交換スピードに対応できずに不足する。これが貨幣の価値が不当に上がるデフレ経済となり、現代のマネタリスト新古典派経済学の経済政策の根拠となっている。デフレは貨幣問題、金融緩和が必要という理論で、今の日本はこの思想でアベノミクスやってる。間違っているが。

こうして貴金属貨幣を採用した国家も多かったが、金属不足となり、奴隷に金属発掘を常にやらせないと国家経済の維持が困難になる悩みがあり、戦争で市場と捕虜奴隷を得続けないと国家は衰退の憂き目に会い、他国の支配を受けることになる。

逆に南米で銀鉱山が見つかり銀の価値が暴落して混乱した時期もある。鎖国で情報なかった徳川日本は銀を持ち込まれ金を放出して破綻したが。

また、貴金属の不足は常に戦費や財政の不足から、国により改鋳された。また金属貨幣も摩耗や、たたいて周りを削り取る詐欺行為もあり減価していたが、周りにギザギザつけてたたいて削らせない工夫が施されたりした。(^^)、で、国王の肖像などを刻印したりして権威を維持、改鋳を自ら正当化した。結局貴金属使っても国家信用喪失時にゼロにはならないだけであることがわかる。万札なら22円、電子データならさらに安い。

商品貨幣による貨幣制度の維持は困難である。

紙幣なら増やすことができるが、紙幣の信用即ち発行国家の信用性が問題となる。次は紙幣の信用性について深める。