世界同時不況

世界の需給ギャップは110兆円。そのうち60兆円はアメリカ。需要不足だ。実需を生産力が超えている。

これはIMFの発表。

金がないのか、物やサービスを作りすぎなのか、しかし金も世界に溢れている。ということは、使いたい人に金が渡ってない、ということと、貯金して節約している、ということの積み重ねなのだろう。

 

世界の主要30数ヶ国はデフレ経済に向かっており、大国では日本がデフレ経済に入ったままになっていて、脱出は安倍のミックスでトライしたが成功していない。金余りとなり、株式がミニバブルになっただけだった。

 

リーマンショックの影響は主要各国にバブルを拡散したのち一斉に弾け、世界を駆け巡った。

ヨーロッパもリーマンで押し上げられた土地バブルが弾けて、軒並み債務過剰となった。

アメリカは日本のバブル崩壊から学び、異次元の金融緩和100兆円程度?を早くに推進し、ヘリコプターベンともいわれる金融緩和でしのぎ、ヨーロッパ各国も緩和の方向に進んだ。高い金利を生む債権の証券化組成が破綻したから、金利を当てにした消費や投資が膨らみ、結局元本自体が回収できないことがわかったから、もしも借入やレバレッジかけてれば債務だけが残ることになり、過大消費、投資から返済への流れに逆流したわけだ。バブルは崩壊した。

しかし、マイナスになるわけではない。失業や倒産、投資家の自殺、GDPが縮小していく。

 

これらの国は、企業が、家計が債務返済優先の姿勢になり、新規投資や消費を押さえて、日本と同様の実需の縮小に陥ったが、ただ異なるのは実需の縮小から債務先送りの為の金融緩和を大胆に素早く行ったことだけだ。

日本は90年のバブル崩壊にもかかわらず、最近になってようやく日銀黒田バズーカによる異次元の金融緩和を行ったが、やはり同様に実需に回らず株価を上げるだけの結果を招いている。ある意味これもバブル状態を新たに作ったことになる。不動産は上がっておらず、バズーカは不足のまま、とも言える。

 

中国はリーマン直後に逆に60兆円程度を国内内陸部への投資実需に振り向けた。リーマンショックの主要国への輸出が頭打ちになるなか、好況を内需拡大で唯一維持さできた。この国だけが不況の嵐を回避できたと評価された。

しかし、収益見通しのない過剰投資という消費は、過剰生産力増という問題を引き起こし、バブルの崩壊規模を先送りして大きくしたにすぎず、実体生産力が内需を埋め尽くしたことにより、会社で言えば巨大生産設備を不況時に他人資本で導入したその会社内で生産したに近いわけで、導入時は投資財生産があるので景気はいいが、導入後には利益を産まず債務返済が利益を上回れば、資金がショートする、すなわちいずれ倒産にいたることになる。回避には雇用や投資、消費の規模を小さくして流血を止めるしかない。そして

中国だけがバブル崩壊が先送りされてきたから、中国単独の崩壊がカウントダウンされている。

また、中国の統計情報は意思が加わる為、読めない。貿易統計だけが相手国がある為、嘘が暴かれているし、そこから類推計算されている。

気になるのは、最近のビットコインの今月末停止だ。元通過が安くなっていて、これは輸出のための為替操作ではなく、多分国内資金需要の逼迫から元を刷りまくり国内の債務支払いに当てていることによる減価であるため、ビットコインによる外貨獲得を早めに、という動きからは、これ以上の元安が予測されていて、ということは既にバブルは崩壊し始めていて、国が躍起になって崩壊が明らかにならないように手を打ちまくっている、ともかんがえられる。

しかし、中国のバブル崩壊は、中国で稼いできた金融が毀損するから、世界もただでは済まない。世界同時デフレが深刻になり、各国、又は各ブロック国ファースト、の関税戦争になるのではないか?

下手をすると、戦争により当面の需要と破壊後の長期需要の拡大が催促されているのかも。

中国の過剰債務による過剰生産が、世界同時不況の根源ではないか。

で、中国バブルの崩壊により、生産消費のバランスが取れることになるのではないか。

 

経済、再生産活動-1

・ロビンソンクルーソーは、孤島で一人暮らしで、まず食糧を得て、自分の生命を維持するエネルギー源を補充しなければならない。

この為に漁業労働に従事し食糧としての魚を採る生産活動をするとき、まずは素潜り労働支出をして(枝を折って作った)モリで魚を突く。

収穫物は最終消費として食するが、食事で得たエネルギー量が生命維持に必要な収穫量に達しなければ衰弱し、経済活動は再生産循環できずに停止する。必要な量以上が得られた場合で、平均的漁獲量がエネルギー1日分程度なら、最終消費生産物を得るだけの単純再生産労働支出の繰り返しとなるが、それを超えた余剰生産ができるようになると、次の高度な生産段階に移行できる。

余剰生産力があって初めて将来発展展望が得られるわけだ。生産手段=固定資産の生産による生産力の向上が可能になるのだ。

 

・素潜りの段階から網を作る労働支出を新たに加えて、投網を作り、更に小船を作る労働支出により短時間で大漁に、という生産増活動を行う。

素潜りしながら、もう一方で網も作るのだ。労働支出はダブルとなるが、最終生産物も、魚と網になる。

次回生産活動では、投網漁労働支出と網の減耗分の労働支出で短時間漁が可能になり、小船生産活動の労働支出の余裕もできる。

 高次元になるほど、漁業活動自体に直接費やされる生産時間の短縮が得られることで、豊かになることができる。

この豊かさとは、直接対象労働時間の短縮であり、重労働苦痛の軽減であり、結果としての食糧確保以外の衣、住等の充実の為の活動時間、余暇時間、自由時間、という時間所得の取得の需要である。

 

・考えるに、網や小船は最終消費生産物ではあるが、固定資産形成であり、直接生産としての素潜り漁以外の労働支出の結果である。

ただしこれは素潜り漁に代わる漁業活動の生産性を向上する為のロビンソン自身の需要であり、生産物はロビンソンの労働支出との交換で、即ち引き換えによって得られたものだ。

固定資産即ち実物資本もロビンソンに属する所有物である。資本は労働支出の結晶化したものである。

 

・ロビンソン1人なので、自らの需要の為の労働支出との交換で得られる固定資産形成であり、賃金や資本所得などの所得との交換の必要性なしに得られるものだ。

たとえロビンソンであっても、網や小船を使っての漁は、固定資産減耗という資本支出を伴う為、短時間大量漁業の成果=漁獲量を直接漁業労働支出にのみには還元できない。この場合は、固定資産減耗補充労働支出を別途要するのである。

 

・ロビンソン1人ではない分業による社会的生産と交換による需要の充足の為には、分業による労働支出、資本支出の等価交換を必要とする。

社会需要総量は、社会生産総量と等しくなるということだ。マクロ経済である。

 

交換は、総生産で支出した労働支出と(過去労働と過去資本支出により蓄積された固定資産減耗である)資本支出の合計額と、最終生産物の合計額=需要額と等しく交換される、ということである。

 

・ただしその交換は、生産活動でまず貨幣と労働支出と交換し、資本支出(原材料代や減耗固定資産、費用等)を投下して結合させ、目的生産物を生産して貨幣と交換することで、次回生産を即ち生産継続を可能にするものである。

最終生産物は生産活動の目的であり、生産活動自体の継続の保証でもある。最終生産物を作り続けなければ生産活動自体が停止する関係だ。

それはこの場合で言えば漁業活動の停止であり食糧入手の停止につながる。最終生産物、は単に最終生産物ではないのである。

 

・最終生産物を貨幣(尺度)と交換する場合は、生産で発生した労働支出と資本支出が所得であるが、交換価格には、資本支出のうち原料費や交換作業手数料(運輸、商業経費)も上乗せされるが、これらも中間生産に対する中間消費費として分配され、中間再生産活動もそれ自体として継続されるわけである。

 

ロビンソンで言えば、素潜り漁から、小船を使った投網漁で大量短時間漁業が可能になるが、漁業労働支出直接ではなく、資本支出即ち、網と小船の減耗分の生産が分業により労働支出、資本支出され続けていて、交換活動によりそれぞれの生産部門に補充が行き渡り、社会的生産活動が継続して、経済社会が維持されているわけである。

継続的単純再生産活動、とはこのことであり、社会はこの経済活動が基本である。

経済を考える11-2

では、蓄積された自国通貨建て国債に問題はないのだろうか?現在の日本なら自国通貨建て国債外国通貨建てにせざるを得ない国と比べて、何の心配もない。世界最大の債権国家でもあるし。


預貯金などの金融資産は多いが、競争力ある生産性ある国内民間活動が鈍くなり、潤沢にある固定資産を減耗以下しか再投資しないでいて、未来を棄てかかっている民間が問題だ。現在利益を最大にしているだけだ。民間が金融資産を外国に移して生産活動するくらいなら、法人税を下げずに、その穴埋めの消費税など入れずに、逆に法人税を上げれば国内の政府資金が潤沢になるから、国債発行する必要がなくなるか減る。国富の外国持ち出しにより、外国で生産性向上を得て、それを企業が再投資する構造だ。国内は生産即ち労働力投下を減らし=所得を減らして、国外生産物を安く輸入して消費するだけだが、その多くは高齢者の金融資産化された資金に依存することになる。現役労働者に所得が行き渡らないからだ。

国の生産力が衰えるから現役労働者に豊富な所得は生まれない。だから働かず親の庇護から抜けない子供も増える。低賃金仕事しかない構造で自立しにくい。でもこの環境で自立できてる子供はすごい!

 

ケネーの範式で表現するなら、剰余生産物はこれを国外融資しつつ生産資本も国外で組成、政府は銀行から借りて政府支出していて、税収不足になるのは当然だ。生産階級、不生産階級内部に未供出の内部資産がある為、政府財源が不足している、という状況なのだ。

 

日本の財務省は国が借金まみれになると、危機感を煽っていて、何とか税収を上げて収支のバランスを取りたがっている、という状況だが、財界の要望である国外融資活動資金の捻出と、国際的な流れである株主配当の為に法人税を下げるので、消費税に頼るわけだ。この間の消費税増税法人税減税で消えているわけで、福祉に回してるわけではない。

だが、生産組成を外国でやる構造なので国内生産活動は萎縮、しわ寄せは現役労働者にくる。

低賃金と長時間労働で国外生産コストを下げるからだ。文句あるなら、海外に生産拠点をより多く移すよ!が、殺し文句になる。

関税をなくして自由貿易にするなら、また、その方向で進むから、安いコストで需要が満たされるメリットは日本にもあるが、資本蓄積と生産組成を国外に持ち出される影響がより大きく、貧困化する。

企業は経常で収益得られるが、家計では高齢者の蓄積が消費の主力となる。しかしながら高齢者の消費は少ない。

で、日本に金は余っていて有効に投資されない構造になる。全体で余っているが、現役労働者にはきつい中身だ。だから、政府はここで、大型の国債発行して、赤字国債による消費を減らして、政府投資を推進することが必要なのだ。

例えば保育所、老人の介護施設、研究開発施設への巨大投資など、民間ではできない。

現役労働者の未来を約束し、給料以外の出費を公的部門で補うのだ。国債発行もインフレにならない間は継続できる。また、こうすることで企業や家計に余った資産を実質的に吐き出させることができるのだ。いずれにせよ全てのしわ寄せが現役世代に向かっているのを変えなくてはならない。選挙で選ばれた代表に、国債発行増による現役世代への実質給付を増やして、ロボット開発やITインフラ整備やシンクタンクや、そうした未来の生産性向上の固定資産や非固定資産投資を国が行い、将来の税収増とすることが大切だ。今のままだと官僚の天下り先への出資金支出に国債が化けている現状を打破できないでいるのだ。これは余裕ある今やらなければならない課題なのだ。また、多かれ少なかれ、グローバル化が進む先進国共通の課題なのだ。

 

尚、この政府投資はケインズ流のニューディール政策である。ダムや道路網を作ってその後の生産性を上げる、というものではない。そうできれば良いがもうハード面での社会インフラ済んでいるのだ。

だから無駄な投資に終わっても、条件よく働く場所が出来て、デフレが止まれば良いのだ。成果をことさら求めれば、民間がとっくにやっていたのかもしれないのだ。民間ベースでの収益性を求める必要もない。何ならピラミッド作りでもよく、大昔も同じ問題に悩んでいたはずだ。余剰資産を吐き出させて経常の回転を進めるのだ。一方で金余りで使わない、もう一方は働けど苦しい。節約するしかない。なら、金余りのところで死蔵している金融資産を吐き出させて経済を循環させて血栓を除去する、ということが肝要なのではないか。

経済を考える11-1

国債発行について

政府は国会の承認を得て、国債を発行する。

要は政府の負債だ。市中で販売して銀行が買う。

税収の範囲で歳出組めば、発行する理由はないのだが。

 

銀行は日銀への預け金である日銀当座預金を購入国債分を減額することで購入するわけだ。だから銀行の日銀預金と債権としての国債購入たの等価交換であり、インフレに発展する危険はない。実質では国債金利が銀行に収入として入り、政府は金利債務を負うが、マイナス金利に近ければ、その負担もかなり少ない。

 

政府は予算執行で、発行国債分で建設投資する場合は、請負業者への支払いは政府小切手で支払う。

政府小切手は流通できないので銀行に持ち込まれ、業者口座に預金される。この時点で業者の所得となる。国債発行が、民間業者の所得増となる。

 

政府は、一方で発行国債分の固定資産を持つことになる。仮にこれが高速道路で有料なら回収もできるし、また、公共財として普通の道路なら、運輸業の発展や自動車の普及を通じて企業所得を経て税収増をもたらすインフラ=国富となる。

 

また、政府小切手を業者から持ち込まれた銀行は、日銀に渡して、その額の日銀当座預金の増額で交換処理される。国債発行は、生産増=所得増を民間にもたらす為にGDPを押し上げる。政府は建設国債ならば、国富となる固定資産を保有できて、現在価値としての使用料収入や、将来の民間の生産性向上による税収増の素材を得ることができる。

 

一方で赤字国債として、政府直接消費や所得移転により福祉財源として発行する場合を考えると、国富は得られないが、民間に所得を発生させる、財やサービスとの交換が行われてGDPを向上させられる。

従って、これも需要不足の状況、即ちデフレ経済なら有効な経済政策となる。ましてや低金利ならなおさらだ。

これがゲインズ政策であるが、過大な国債発行はインフレ経済になる。すると金利は上がるから国債発行は困難になる。が、一方でインフレは供給不足の為、民間に投資の必然性が発生する。資金需要が旺盛になるわけだ。だから金利が上がるのだが、この場合消費が活発なので、所得も増える。だから所得税収入も増えるし、加熱するなら増税で冷やしながら税収を増やして国債を償還すれば良い。

 

一方で紙幣は日銀債務であり、銀行が業者等の要求で預金を現金に換えたい場合、日銀から現金を受け取り、銀行の日銀当座預金を減額する。ここでも等価交換だからインフレにはならない。ここでの発行通貨、すなわち紙幣は日銀の負債証書である。日銀は市中に通貨需要があるときには、現金を発行して負債を負うのだ。しかしながら日銀当座預金を減額していて、銀行の信用貨幣発行である預金を減らして流量を調節している。要は、紙幣の発行は、この管理通貨制度のルールをが守られている限りにおいて、単に交換の媒体でしかない。日銀の債務発行は引き換えの担保をとっているから。

借入を起こして民間の事業を行い雇用を発生させて生産物を得る活動を進めるかどうかにかかっているわけであり、需要不足はこの活動が萎縮する方向性を示しているわけで、このしわ寄せは日本を始め先進国の労働者階級に顕著であるが、途上国労働者の労働に分配されるわけだ。

続く

 

 

 

 

経済を考える10-2

覇権主義を考えて見たい

歴史的に覇権国家は、オランダ、イギリス、アメリカと推移したことが定説だが、このいずれの国もバブルとなり、崩壊しデフレとなり、その打開策として覇権国家となった。

オランダはチューリップバブル、イギリスは南海バブル、アメリカは世界大恐慌だ。

この場合の下部構造は、生産力過剰、流通支配力過剰、金融過剰で、有効な投資先見つからずに資金過剰となり、金融が資産に流れ込んで資産インフレを引き起こして、信用借投資を膨らませてバブルが破裂、一気にデフレスパイラルに入る。夢は冷めて襲って来るのはデフレによる生産過剰の現実だ。

ここで対策はというと、生産設備の国内需要水準への破壊と失業者増の生産規模縮小パターンか、

覇権国家として過剰な生産力を更に拡大する保証となる生産物消費市場を求めるか、の選択である。

イギリスは、当時ウイーン会議だったかで、ヨーロッパの国境紛争を協議調整する場で、隣国との国境調整がおこなわれたのに、イギリスのみ特殊にマルタ島喜望峰、セイロン支配を求めた。マルタは地中海、喜望峰はインドへの海路基地、セイロンはインド征服の基地である。当時は世界貿易の50%をイギリスが占め覇権主義を既存領地戦から未開の植民地市場を目指す戦略だったわけだ。

インドの綿花仕入れて機械化繊維工業力で製品生産し、インドは買うだけに。ガンジーの政治運動のシンボルは、非暴力非服従だが、糸車である。国旗もこのデザインだ。要は、綿花生産を過剰にさせられてインドの自給的手工業的な家内生産を破壊させられ、製品を輸入させられるシステムだ。イギリスは、工業稼働を上げて安い綿花を大量輸入しインド以外にも輸出、労働者は失業せず所得も上がり機械化生産も高度化する好循環システムを得たが、その背景には、イギリスのオランダ、フランスに勝る海軍力があった。このあと中国や植民地アメリカに市場を拡大して、アメリカ南部には綿花プランテーションを作らせ綿製品販売、更にアフリカ航路から奴隷をアメリカに運び綿花原料を仕入れ三角貿易もやった。中国は市場としてアヘン販売して稼ぎ香港を橋頭堡として奪った。アメリカとは独立戦争に入り、その後、南北戦争終結で余った武器を日本に売り日本は明治維新となる。幕府が通商のテンポが遅く役に立たないから親英政権の明治維新にしちゃっただけなんだが。中国支配の活動が忙しかったのもあり、日本は植民地化を免れたが。香港起点に上海租借地作ったし、シンガポールも海路の要衝だから支配した。

覇権主義とはグローバリズムである。

グローバル化したい覇権国のルールを押し付けることで、自由とは必ずしも一致しない。生産力なら貿易自由化だが、金融力なら金融グローバルで、覇者による市場拡大の自由の側面が強く、国内産業の保護と対立関係にある。生産流通か金融か、支配したい項目でグローバルの内容は異なる。国内産業が破壊された側は、生産がなくなり雇用がなくなり、失業者が増えれば労働所得がなくなり、本当に貧しくなる。リカードのように敗れた国は雑用しかなくなる。貧困化するのだ。そのぶんは金融帝国に吸い上げられる。開国の明るいイメージとは異なる世界だ。覇権国は、生産技術、流通支配力、金融支配力、軍事力が存立条件となる。過剰なそれぞれの力がその根拠であり、日本は軍事力ないものの、アメリカ傘下の自由圏貿易国内で、アメリカが怒り出さない範囲で技術力と金融力支配での属国として支配していく形で、中国や東南アジア始め世界にグローバル化を進める側に立っているから、後進国にとっては準アメリカに映り、アメリカには従属国となっている特殊な存在である。アメリカの世界覇権の部下的協力国である。

マルクスの資本主義論は、階級闘争という支配被支配の関係性で資本主義を捉えたが、それは一面的であるが、支配被支配は付いて回る。である以上、ここには、等価交換だけでは説明できない不等価交換を伴うわけで、覇権国の覇権国たる所以であり、覇権国は不等価利益も求めるわけで、等価交換でグローバリズムを説明しつつも、持ち込まれるグローバリズムは、覇権国の不等価交換のルールと共に持ち込まれるもの、ということである。

 

 

経済を考える10-1

◼︎需要について考える

・ロビンソンクルーソーの生活は、圧倒的な供給不足であり、需要は無限に近くある。

本人の労働だけが供給源なので、分業による交換がないこと、また、支配被支配者による歪みもない。

あるのは、純粋に本人1人の労働力であるが故に、効果的な労働組成は、余剰時間として現れ他の需要を満たす為の労働に使われる根拠となる。

 

需要には

生き続けるためには、ロビンソンの生命維持の為の再生産活動が優先される。

睡眠であり、食事である。睡眠は長期には短縮できない。また、生きる為にまず食料を得る為の時間と食事の調理と食事時間が優先的に必要である。

さしずめ24時間のうち、睡眠で8時間、調理と食事とトイレで2時間、飲み水の確保1時間を絶対消費時間とすると、あとは13時間だ。

労働組成できるのは、13時間。

投網漁用投網作り1、漁業用船づくり2、農業用開拓1迄を原前払い=固定資産形成労働支出として、あとは、6時間素潜り魚とり、果物採取1、裁縫や洗濯1、住む家作りと補修及び家具作り1が日前払労働となり、この組成ではリフレッシュや休息2、ホビー1、天体観測1、救出用狼煙台作り1などが前払にも入らず、労働供給力不足となる。漁業では、8-2参照のこと。

漁網用投網作りを10日で完成させると、6時間の素潜り漁は2時間に短縮され、4時間が浮く。また、3ヶ月かかって船が完成すると、1時間に短縮され、5時間が浮く。固定資産減耗分の補充で両方で1時間かかるとしても4時間の労働短縮となる。この4時間は次の需要を満たすが、これを観察するに、労働時間短縮できる、効果のある固定資産形成労働が、原前払形成でき、剰余時間=剰余価値を生み出すことがわかる。単なる最終消費ぶんの生産労働は、単純再生産に必要ではあっても経済成長即ち労働時間短縮には繋がらない、消費の為のみの生産となる。

資本主義の経済発展は、従って、原前払=固定資産形成が発展の印であり、原前払生産の縮小により、単純再生産に向かう。

ここで、もし、ロビンソンなら、労働時間の縮小が起き、余暇時間や休息時間の増加をもたらすが、分業生産を階級社会で行えば、資本主義システム利用の支配被支配者の関係で、労働者階級の余暇時間は剰余生産労働に当てられ、支配階級の消費の為の生産に動員される。また、これらは支配階級による法定通貨を媒介として行われる。価値のない通貨と労働が通貨発行分交換される。価値は法定通貨として支配階級に強制され、流通後の通貨を納税させれば循環は維持できる。

健全な発展段階の資本主義の時期を過ぎると、過剰生産時代になる。剰余価値は生産回転数の減退により徐々に減り、固定資産減耗分の剰余価値生産にとどまるまで収縮する。

しかし、固定資産減耗分の剰余は得られているわけで、あとは、資本主義システムでは剰余はでないから、システム維持の根拠は、労働時間延長からの略奪に依存せざるを得ないことになる。

それまでの間も、固定資産減耗分を減額補充することで貨幣資本を増やしながら、この資本を国外で投資することに。資本主義は消費分再生産社会に変質することになる。

要は、固定資産減耗分の固定資産額になるまで固定資産は減り続け、年前払に組み込まれる1回転または、期間内回転数分の固定資産額に達するまで減り続け、その後は、年前払に組み込まれ、資本主義は終焉する。

資本主義は、消費分生産経済社会になるか、支配被支配を継続させながら、過大な労働を押し付けて、一方で労働者を減らして、又は総賃金を固定化しながら実質賃金を下げるか受け皿を用意しないでの失業者を出すかして剰余価値を獲得しようとすることになり、黎明期資本主義、マルクスの資本主義批判が再び登場するか、ケインズ型の需要作りによる矛盾の先延ばしから、戦争による解決か、そんな時代を迎えるが、民主主義社会が継続されれば、反ブラック企業運動や損害賠償型の労働運動が広がる余地がある。

資本主義システムをとりながらも、支配被支配関係が継続してきたわけだから、後者が生きることになる確率は高い。

 

 

 

 

 

経済を考える、1975年以前

◆まとめ   1975年段階前の資本主義

・資本主義経済システムGーWーGでは、

貨幣資本Gー生産資本Wへの変換で

Wで剰余価値mを生産している。

また、WーGへの変換でもWでmを生産できる。

生産工程は、原料を機械を用いた労働により、目的生産物にするもの。また、商業活動でも製造物を原料として組成して貨幣という目的生産物を得る、これも全く原理は同じであるが、生産物という人為的製造物原料がないと成り立たない。

商業活動は、大量の、資本主義生産物の存在を前提とするから、派生して発展する産業であり、分業のないロビンソンクルーソーでは全く必要がないし、自給自足型経済でもその必要性は乏しい。しかし、商業活動は、生産活動を継続する為には、生産活動による剰余価値を確定する為には、必要な工程であり、中間消費しながら(経費支出)、中間生産(剰余価値生産又は労働力吸収)していて、大きなくくりでは、固定資産形成と減耗に類似している。この理解はマルクス主義者に大きく欠けているものだが。

 

・GーG'は、現実世界ではありそうだが、W変換を伴わずには剰余価値m=' はできない、必ずここの経過が必要となる。資本主義の目的は、mの生成である。

 

・現実の経済世界では、貨幣資本は法定貨幣の使用により、労働市場と財市場から入手して生産資本を組成する。

法定貨幣との財やサービスとの交換は等価であるとは言えないが、それは別の課題として後述する必要があるが、法定貨幣を市場に放って外部の市場相場で組成材料を買い取り、生産組成して生産物を外部市場にまた放出して法定貨幣に戻す、この作業を反復しながら剰余価値生産を継続するシステムが資本主義システムである。

 

・ ケネーの不生産階級の時代からの資本主義への移行を考えると、

まず、全体が不生産階級のみで生産活動されてる世界に、資本主義生産システムが導入された、としよう。

不生産階級は、農本主義の時代に、原料を目的生産物に変える工業活動を剰余生産を伴わずに行い、また商業活動でも目的生産物を貨幣に戻す活動として同じく行なってきた。働き者の職人や商人がいて剰余生産物が仮にできたとしても、当時は法人格は教会や支配階級により認められていなかったので、一代限りであり相続蓄積ができなかった為、世代がわりでまたゼロからのリスタートを余儀なくされていた面もあったようだ。こうして商工階層の台頭を抑えて秩序を保ってきたようだ。

・初期資本主義生産においては、投入する剰余価値生産物=固定資産の蓄積自体が少ないか、ないに等しいので、すでに生産階級内で剰余価値蓄積を所有している農業経営者からの資本により、機械やエネルギー原料を市場から仕入れて組成して、不生産階級生産物に対抗できる剰余価値生産を目的とした生産資本組成でその部門に新規参入すると、剰余価値からの販売価格低下の支出が可能で、市場を不生産階級生産物から資本主義的生産物に置き換える、即ち市場占有率を上げる流通経路が確保されるから、生産回転率も上げることができて、一定期間内に剰余価値は率下げても額を増やすことができる。農業経営者が資本家に転化したわけだ。

・とは言え、原前払い、資本蓄積、固定資産、機械化が当初はレベルが低く、工場と言っても労働力を置き換える為の固定資産やその稼働の為のエネルギー消費量が小さく、マルクスも、取るに足りない固定資産減耗とエネルギー消費量を原料と同じく不変資本に分類してしまうというやむを得ない過ちをおかしている。

可変資本が実質労働力だけなので、剰余価値は、労働力の収奪分としてしまった。ここから階級闘争の正当性を導いたが、高度機械化(による減耗とエネルギー消費量)が労働力支出を置き換えることが剰余価値生産の本質であることを観察できる資本主義水準ではなかったからなのだ。

工場とは言え、当時は失業者や婦女子をタコ部屋で奴隷のように働かせる、この中で儲けとしての剰余価値を得た萌芽時代は、批判されるべきシステムであったわけだ。不当に働かせて得た賃金部分を支配階級が略奪して剰余価値としていたにすぎなかったのだ。

 資本主義化の黎明期は、機械の水準もウエイトも低いから労働者の労働強化に頼る面がおおかったはずだ。これは、固定資産所有者として、生産資本組成の権限をもつ資本家が支配階級化することであり、労使の力関係は現代でも変わらず、この方法での剰余価値生産は今なお生き残っている。

マルクス主義は、この対抗軸として今なお存在する余地はある。だだし略奪部分の民主的適正配分の範囲であり、このシステムの優位性までをも否定するには及びえない。資本主義システムに支配被支配者があり、支配階級としての資本家が機能するならば、マルクス主義は支配被支配者の階級闘争として残り続けるわけで、これは資本主義ではなく支配被支配者の問題なのである。中世における生産階級と支配階級との関係性においても通じる思想である。形はどうあれ、収奪と被収奪、現代的には徴税者と納税者の関係性として現れるわけである。現代社会では、資本家も資本主義システムの上で収奪しつつも国家に税収奪を受けている上下関係があるが、昨今は、民主主義化している国家の上に、グローバル思想が世界支配的な思想が持ち込まれていていることに注意が必要である。EUでは、国家権力の一部さえもが持ち出されている。

民主主義思想の導入で支配被支配の関係が、より是正されれば労働からの収奪部分は、賃金の増額か労働者増加で補正されるが、それでも資本主義システムの本質的な優位性は残っており、見誤ってはならない。この状態を観察するには、格差を読み取れば良く、現代は格差は広がっているのでピケティーによらずとも、支配被支配に資本主義システムは利用されており、民主主義思想が徹底されることが今なお求められている。

・これまでの社会主義革命は、資本主義未発達国で、しかも民主主義未発達国でしか起きなかった。民主主義の思想と資本主義システムを保ち発展させた国での最大の問題は、高度大量生産が可能になったことが裏目にでる、即ち「需要の壁」の克服が最大問題となり、革命は回避される。この壁は、戦争や国の大型投資による統制的な経済政策でしのぐことが試みられてきたが、過剰生産、過剰固定資産形成の維持の範囲でその対処法が求められるために、先延ばしや一時的にしか克服できないできている。

自然の流れに添えば、最も有効な手段は過剰固定資産の一括償却、即ち恐慌の発生と同居すること、金融資本のデフォルトが最良の方策となる。固定資産減耗分の不補充又は減額補充で生産力を落としていくことが市場から求められている。これに時間をかけることで、恐慌による激変を緩和するしかない。

需要水準まで生産力が下がると、固定資産減耗分補充と固定資産のエネルギー消費量分補充、労賃の適正分回収のみの、剰余価値生産ゼロ状態での単純再生産に落ち着くはずだ。

これを新中世と名付けることができるだろう。

職人個人の不生産階級から、企業体としての不生産階級化による安定状態、動的平衡状態を維持することになるはずだ。

必要な分、即ち需要分だけ生産する、という非階級社会やロビンソンクルーソーのような個人なら当たり前の話だ。

何も魚群探知機入れても摂り過ぎれば腐らせるだけだ。出漁回数、労働時間を削減して需用量漁獲できればそれで良いのだ。資源の乱獲による枯渇を避ける意味でも。

 

・さて。たまには視点を変えて製造業ではなく、商業で考えて再度深めてみよう。

生産物を工場出値で売る、この時点で製造業は剰余価値を確定できるのではあるが、商業者はX量の商品を総額Y円で仕入れ、これを市場販売して貨幣資本を得る。販売で得る貨幣は勿論法定貨幣である。

蛇足だが、自由市場ではなく、管理市場であることに要注意だ。数学的な自由市場など存在してこなかった。常に国王マークの法定貨幣取引が強制されてきた。管理市場が現実で、自由市場は試験管の中での数学世界でしかない。話を戻すと、

商業活動で原料にあたるのは商品であり、目的生産物にあたるのは交換後の法定貨幣である。だからこれもGーWーGである。製造業と同じくW段階でmは発生する。

Wの組成は、原料が商品であり、運送経費と販売経費を付加して価格を付けて商業活動して貨幣を得るが、ここから仕入れ価格を返済した残りが粗利益である。ここから運送販売経費を引いて、固定資産減耗と人件費を引いてゼロなら不生産階級状態、プラスなら剰余価値が発生していたことになる。

剰余価値は、可変資本の組成にあり、機械の減耗と機械の消費エネルギーの和、と労働力との組成が合理的になされたこと、即ち効果的機械化による労働力削減が成功したことで剰余価値が得られる。商業活動で言えば、輸送をリヤカー人力からトラック+ガソリンに変えたりで人件費を節約。個店を大型店にしてセルフサービスを導入、売場面積当たりの従業員を減らし、またセルフサービスシステム導入して、パート労働化する。この人件費削減で剰余価値は得られる。

商業活動で、仕入れ商品額が生産資本組成に占める位置は大きいので、他人資本を信用で得るのが普通であり、販売後に剰余価値から利子で返済する。

Wが組成の成功で+mを内包することでWーGであるのに、Gの中からmを確保できる。これは固定資産減耗の補充後なので拡大投資が可能になる。機械化や店舗拡大を誘発するのだ。また、商業活動が盛んになると、より早い貨幣資本化が求められるから、値引き資金も必要なので、全てを投資拡大のみには向けられない。何れにせよ組成は過去労働からの蓄積物をより多く組成して労賃を節約することだから、この成果は資本家に属する。また、剰余価値の使用の組成も資本家に帰属すると考えるのが合理的である。

・こうして、資本主義化の進行は不生産階級労働者の大企業労働者化が終わるまで進行し、組成の合理性から、生産財製造業の発達と動力エネルギーの消費量拡大、運輸や商業、金融部門の大規模化、を誘発することを特徴とする。

地下資源の価格や石油の価格が上がる、即ち希少化と、生産資本の組成で、可変資本の割合が相対的に減るので、剰余価値は減るし、また、販売価格は上がり、購買力が落ちることで、即ち需要が減退することで回転数が下り剰余価値生産も減る。

剰余価値が発生する組成でさえあれば、生産期間、即ち一定期間内の生産回転率が高いほど剰余価値総額は増える。農業生産と異なり、期間内回転数は自然の影響は受けない。組成が、1回転あたりの剰余価値を産まなければ回転数が多くても意味はない。

・大企業は、剰余価値からの価格対応で優位販売力が得られるので貨幣資本を早期に大量に得られ、生産活動は連続的に2回転目に入ることができる。農業と異なり自然の影響、例えば一年に一回の生産回転に限定されるが、不生産階級の自然との関わりは原料以外の制約はなく、マクロ的な社会的影響としての需要の影響を最も受ける。

・市場占有が圧倒的になると、これは一方で中小企業、零細業の生産回転が減り、また止まることで労働市場に失業者として放出されて、中小零細業や職人生産の組成は減り、大企業労働者が増える。

剰余価値の使途は、次期生産の基盤作りとしての大型機械導入に固定資産減耗を超えて使われる。また、当初は販売価格の低下による次期生産を早める資金として当てられるが、市場占有が進むと必ずしも販売価格低下用に剰余価値の一部を割かなくて済むことから、高度機械化は進めて労賃減額は進めつつも、機械化投資は需要に制約され、中間生産と中間消費が減じてそのぶんが貨幣資本として蓄積される比率増となる。市場をその生産資本組成による大企業が支配すると、独占価格形成が可能にはなるが、市場での消費需要により、回転数が落ちることで剰余価値自体は増えない。また、他の生産組織は壊滅しており、これ以上の高度な機械化投資は不要であり、単純再生産の、ケネーの中世の生産階級になる。

・生産資本組成で剰余価値が得られる為には、原前払がポイントであり、このプロトタイプができれば生産物はこの生産ルートで流れるから大量生産が可能となるのであって、大量生産が剰余価値を増やすのではない。生産活動が高速に回転することで剰余価値が更に得続けられるのだ。

・資本主義システムはその威力から、飽和しやすく

需要の限界値への到達も早まる。単位時間あたりの需要の量に生産回転数が制約される。需要とは中間消費需要と最終消費需要であり、最終消費需要が主要な因子である為、国内市場が飽和すると、国外市場を拡大することで生産回転は確保されるが、フロンティアがなくなり固定した最終消費需要の補充生産回転となると、回転数は落ちて一定となり、剰余価値生産額は定常状態に入り、投資機会を失い貨幣資本のまま退蔵する。

・固定資産減耗と賃金に分配するだけで良いことになるし、資本即ち貨幣資本の希少性は失われて低金利となる。現代日本は賃金を増やさずに、生産共同体としての公器である企業に貨幣資本として蓄積されているので、過去の適正な賃金への累積的分配からの、家計累積貯蓄と併せて金余りとなり、剰余価値の行き場が失われている。

日本は資本主義システムは労働者階級には機能しておらず、企業に略奪されカンパしている状況である。生産資本組成を決定するのは企業経営者であり、株主即ち資本家の委託での経営せざるを得ず、剰余価値が増えない中で、労働者階級への支払いをそのままにして何とか株主に操を立てるので、格差は拡大し、優位性なき資本主義生産を低需要で低速回転させている。さらに日本は長時間労働が癖になっている。本来は労働時間の削減や賃金引上げ要求となるが、格差拡大で支配階級に分配を増やしており、金が余って尚金を欲しがる異常な支配を許している。

何れにせよ、過剰生産、需要の壁、剰余価値の貨幣資本としての退蔵、が1975年以降の課題として浮かび上がる。