経済と権力-1

▪︎不生産階級の生産階級化がテーマ

 

・農本社会から工業、商業社会への発展で、資本主義経済システムの果たす役割と意味を、ケネーの経済表範式を元に考察してみたい。

 

・そもそも経済活動とは、欲望の充足を目的とする活動を指す。

人が生存するには、欲望に段階があるにせよ各種の欲望を満たさねばならない。また、その欲望には限りはないが、欲望を満たすための生産活動=労働には常に限界があり、生産活動分の需要が実現し満たされるに過ぎない、ということになるだろう。

 

・欲望をどう遂げるかは、何通りかの方法がある。

個人しか存在しないロビンソンの場合は、全て自分一人で自分の為の食糧や暮らしに関わる必要物を自然の中から採取したり加工したりする生産労働により生産するしかない。欲望の達成には、自らの労働のみが関与し実現する。分配や交換がないのだ。

 

・しかし現実の集団社会は、他人の労働成果物を暴横領したり、譲渡を受けたり、また、流通市場を経由して分業生産物を交換により不等価交換したり等価交換したり、生産物からの需要を満たすには様々な方法が選択できるし、また、組み合わせも可能である。

(古典派的経済学は、流通による等価交換に限定されている。

これではマルクスの言う通り経済の根底にある現実の階級社会を説明できない。

例えば貨幣経済による国家の通貨発行権の問題や税収奪の不等価交換など経済全体を説明するには国家の権力構造を国体として把握しながら流通や交換を鳥瞰するマクロ的な視点をあわせもたなくてはならない。数学での制限条件付き証明の世界では十分条件は得られないのだ。

 

マルクスは資本主義萌芽期の限界の中で、生産活動をミクロ分析して階級闘争の根源となる剰余価値を発見している。資本論というより経済学批判なのだ。

しかし、ケネーのマクロ手法をかなり肯定的好意的に捉えて再生産表式として自らの理論に取り込んだほどであり、この部分だけはマクロなのだが、権力論を包含したマクロには到達していない。

その為、階級闘争で個人資本家は倒せてもマクロ的には他の競争資本家による支配に変わるだけであるし、1資本主義国家を倒しても、他のより強い資本主義国家の支配に手を貸すだけとなる。

1農本国家を倒して政権を奪取し国体を農本経済のまま社会主義政権を打ち立てても、生産階級から税として略奪して、官制需要だけで工業化を進める経済システムであり、市場経済が育たない軍事的重化学工業優先政策しか取り得ない。また、資本主義国家との資本主義的生産競争にさらされるので、市場経済での国民需要システムを作れずに崩壊するか、自らが批判していた資本主義に変化するかしかない。前者はソ連、後者は中国で検証されたが。

ロビンソンではない、国家を基礎とした人間集団社会は、存在主流は階級社会であり、この体制とそのエネルギーで、欲望(より良い暮らし)の集団的需要を集団的生産活動で支える。この場合は、階級対立と資本主義発展とが拮抗関係になるが、資本主義発展が順調に進むなら、階級対立は抑えられる。

農本階級社会が、工業商業サービス階級社会に変化するのは経済的発展の自然なプロセスであり、欲望がより満たされる=食糧以上の欲望へと生産システムへの変化でしかない。

不生産階級の生産階級化は総欲望の総実現の為の生産活動の社会的ニーズとして肯定されるべきものである。要は国体のマクロ経済把握が問題であり、資本主義を無くせば牧歌的生産力による牧歌的需要を満たせるに過ぎないということだ。)

 

・しかしながら、流通を経由しない横領や譲渡、流通を経由する不等価交換を包含しながらも、社会の欲望実現の総体=総需要は、社会の生産活動総体で達成していることに変わりはない。

総需要は総生産の枠の中で得られるのだ。

総生産を分配の切り口から見たのが総需要でしかない。

総需要は総生産物の分配後の合計値でしかない。

総生産を社会的に分配した結果が、総需要である。

 

・総需要に着目すると、社会構成員の全人口の最低限の生存需要が満たされている生産力量があった、ということを結果として証明しているに過ぎない。

生産力が生産階級で生存の最低限の需要を超えて得られる場合、即ち言い換えれば余剰生産物を生産する生産能力がある場合は、非生産人口をかかえることができる、ということがわかる。

生存の最低限界は農業生産物即ち食糧生産であるから長い歴史は余剰農産物の生産を維持する社会システムを国体として採用されて来たといえる。

 

ケネーの経済表範式は、高度に発展した農業社会生産と支配のシステムモデルであり、このモデルは資本主義システムを内包していたし、少なくとも内部にその萌芽が見られるのだ。

 

・農業生産力が高まるには、農業生産人口の増大と農業生産技術の向上蓄積が必要であった。

平和に満遍なく皆で農業して平等に分配する離島や村の社会システムよりも、権力で収奪することで、より生産力を要求する強制力の存在する社会の方が生産性を向上させた歴史的結果として、階級社会システムが勝ち抜いて来たのだ。

支配階級は、武力と思想統制に宗教などをも利用しながら支配=収奪を、もう一方で領土を広げ、また属州や領民を増やして、更に余剰生産物を拡大する階級社会として勝ち残って来たのだ。

 

・農業生産は、勿論人間生存の最重要需要であるが、一粒の麦から何倍もの麦を年に1、2回収穫できるという付加価値生産を可能にする。

食糧生産増は人口増をも促す、即ち非生産階級の存在を可能にするわけだ。一方で農民を削減して他階級への人口移動も可能にする。

非生産階級人口とは、生産階級から離れて生産階級の生産する余剰生産物に依拠して、生産活動を行わないで総需要の一角を担う人口である。

ただし、生産階級からの収奪は、人口の大半を占める農民から一人一人の余剰?生産物を集めるのではなく、生産階級内の資本家にあたる、借地農経営者たる領主、又は地主、日本なら庄屋、などを経て納税を現物か貨幣かを問わず、貸したことに対する謝礼として合法化された借地=領地権の代償として、又は国土からの借地権の代償として収奪することになる。

 

・従ってこの国体は、借地農経営者を中間管理職とした、農奴、借地農経営者=領主、国王の3階級から構成された社会であり、生産階級に区分されるのは農奴と領主であり、支配階級と区分される。

領主と王の違いは、領主には生産性向上欲求が内的にあり、その元となる内部留保欲求がある。しかし、その内部留保を自らの消費にのみ当てるならば王と何ら区別されないことになる。固定資産投資=固定資産形成=原前払いによる生産力増大投資を行う動機が階級区分からある、というだけだ。

 

・さて、総需要の一構成要素としての譲渡とは、父親が妻や子育てに労働所得を与える場合や国が老人や健保等社会保障に与える場合があるが、後者は税の使途であり、減税と変わらない。

また産業に補助金を出す場合等もある。これは法人税の使途である。

横領とは、犯罪、徴税、略奪戦争等を指す。

これらは生産ではなく余剰生産物の所有権移転行為である。

この移転や交換を可能にする元は、余剰生産物であるが、横領や略奪は余剰生産物不足=総生産力不足であっても可能である。しかしここでは略奪から守る力も働く為略奪される側との紛争となる。紛争には金とエネルギー消費を要する。

結局のところ略奪原資が不足するだけなので、生産した方が楽で安定的であることから、生産と流通による経済に落ち着いていく。

また、税収奪は、他の略奪に勝ろうとする権力のニーズがあり、略奪するやからを駆逐する力学が働く。

こうして、税の収奪以外は税による支出含めて市場流通されて不等価交換も徐々に等価交換に収束していくことになる。税による消費のみが不等価交換として流通に関わることになる。

 

・余剰生産物から支配階級への納税分になお階級内に残余生産物がある場合は、これが生産階級内資本となる。ケネーの経済表範式では10の余剰生産物が利子要素として残るが、固定資産減耗分を補充形成して10と交換支出して終わっている。

 

経済表範式は、生産階級に新規の固定資産形成をさせない、補充のみ許す、生産性向上を阻害して税として余剰生産物を掠奪し尽くす単純再生産を強制している図式である。

しかし、これは前述の長年かかっての現前払い=固定資産蓄積100の形成を無視している。

歴史的には、生産階級の内部蓄積があったわけだ。

この蓄積は、所得-消費=貯金、というように、例えば領主が農民にまともな衣食生活をさせずに年前払いを節約させて原前払いに備蓄することも可能である。また、領主が総生産量を低く支配階級に報告して利鞘を充てることも可能である。

これは支配階級もこれ以上の贅沢=消費は長期的にはできないと同時に引き換えに国体を維持できるというものだ。

固定資産減耗の元となる固定資産=原前払いが既に生産階級内に存在するということは、税収を逃れた余剰生産物の蓄積が既に実績としてあったわけで、単純再生産でない税を逃れた余剰が過去にあり、これが固定資産となり、労働と結合して税収を生み出す余剰生産力の構成要素となっている。

しかし、よく観察すると内部留保を固定資産形成に変えるには、不生産階級の成長がなければならない。範式の時点は、おそらく農民からの収奪による内部留保のうちからの次元の低い=工業生産力に依存しないレベルの固定資産であったと推察される。

例えば牛馬の育成や、開墾による耕地面積の拡大、農機具の鍛治職人からの購入、荷車など、貧弱な不生産階級との交換によるものではないか?

 

・階級内に階級対立ある場合は、実際は階級内対立があるのだが、階級内支配階級にその富は集積する。即ち農民や農奴ではなく地主=領主に富が集中する。

この集積された富=資本は、不生産階級に生産委託して増産を促す固定資産形成としたり、自国不生産階級が弱体な場合は、国外から余剰生産物輸出と引き換えに固定資産物を購入交換すれば良い。

 

・支配階級は余剰生産物を消費する領主や地主の扶養家族のようなもので、地代や利子にあたる余剰生産物を消費することで、投資即ち固定資産形成を行わず、消費だけを行う階級である。

もし減税にあたる支配階級=国王、君主の余剰生産物からの取り分を減らせば、余剰生産物はより多く領主や地主に内部留保される。これは彼らの消費だけではなく固定資産形成に使われるから、より経済発展=生産力拡大することになる。もし、地主や領主が資本分を消費=贅沢の目的で使うなら、支配階級となんら変わらない。余剰生産物で不生産階級に固定資産形成物を作らせることで生産力を上げることができるから、地主、領主は単に支配階級とは異なり、生産組成に例えば機械化を導入するなどして省力化や生産量増加を促し、資本増殖させる資本家としての役割があり、これを不生産階級の生産活動に応用して資本主義社会を実現するブルジョアジーに転化もできるのだ。この能力のないブルジョアジーは消費と贅沢の貴族化するが、生産基盤が伸びないのでいずれは没落する。

支配階級の税収が固定されたままなら、生産階級内の内部留保が増えるが、それは内部留保の地主や領主の消費ではなく、固定資産投資により更に資本が増える。このことは支配階級との対立を醸し出し、国体を揺るがす。

もし、不生産階級の支配権を生産階級内の地主や領主の配下に据えて内部留保ができるなら、ブルジョアジーによる支配が可能となる。

ブルジョア革命を経た資本主義化が進む。富が旧地主であるブルジョアに集積するからだ。

農産物課税収奪システムから不生産階級の工業化による内部留保を得ることで富を蓄積できる。ここへの課税は支配階級には困難だ。借地はわずかでしかない。

不生産階級の発達をブルジョア階級が進めることになる。不生産階級の内部留保可能な生産階級化である。この資本主義は、農業と工業、商業との垣根を払い、内部留保を可能して固定資産投資による資本の拡大を自己目的化するシステムに統合される。

にも関わらず、農奴からの収奪同様に初期は低賃金長時間労働内部留保するしかなく、内部留保を固定資産投資に運用してはじめて、高い生産性とより高額の内部留保が可能になる。初期段階はマルクスの言うように収奪構造でしかないが、固定資産投資が始まると、固定資産生産労働に移行できることから矛盾は解消できるが、階級対立は初期の体質を引きずる。体質だけでなく、初期の収奪方法のまま、という企業も日本には多く残っている。

 

・固定資産を労働と結合させる労働により、生産階級(農民階級のこと)は生産性向上でき、固定資産減耗分の生産階級内労働人口を余剰人員とすることが可能となり、不生産階級への労働移動が、労働需要としても増大していくので、そこに移行して工業生産に活用できる。また、生産階級内労働人口減少による内部中間消費も減り、その分も生産階級の資本蓄積に組み入れられもする。

 

・一方で不生産階級も、鉄加工の匠=鍛冶屋などの工芸職人、商人、などのような職人的不生産状態=資本蓄積ない=原前払いのない、食うために仕事している委託業者で、相続できなければ資本形成できない。

ここからも資本主義発展には、ゴーイングコンサーン=企業の法人格化は重要である。職人から工場生産の集団的生産システムへの移行である。

 

職人生産から脱皮して、労働者雇用による工場生産に移行すると、余剰生産物を得られるようになる。

このノウハウは生産階級=農業の領主や庄屋からの資本の移動を兼ねた転身によりなされる。

資本家の前身は借地農経営者即ち領主や庄屋であった。

そしてまずは無賃の超過労働により、資本が蓄積され始めるのだ。

=イギリスにおける労働者階級の状態や女工哀史

ここで、マルクスはこの段階での階級感での革命論を論じた。

 

・しかし、それも長続きせず、生産力向上は停滞し、社会問題化する。女工集めて長時間労働では生産性向上に限界があるのだ。

機械導入により、その減耗分を生産労働に付加することで生産性が高まり、生産階級に起きたと同様の変化、即ち機械化による労働者の削減が可能となり、削減分を資本として蓄積できるようになり、その資本の使い道として、生産財としての機械そのものの生産需要が高まり、工業が発展する。

機械生産があれば、工場生産で削減される労働者も職が移動で済み継続する。これが前期資本主義であり、通らなくてはならない農業に次ぐ工業の発達段階、派生して、これらを市場全体に行き渡らせる商業、金融や信用も同様に発達してそれぞれの業種で資本形成も可能になる。

この段階ではケネーの生産、不生産の階級区分には意味がなくなり、単に農、工、商、サービス業の産業別の区分でしかなく、資本主義経済システムで一括できる。

 

・これらは、流通機構の拡大=市場の拡大が続く限りにおいて継続し、農本主義が資本主義になり、経済発展して農業、工業、商業の区分けの必要のない、不生産階級の生産階級化となるので、もちろん中小や産業の一部に零細自営業者のような不生産階級を残すとしても、圧倒的には不生産階級の生産階級化が進み、資本主義として資本家と労働者とそして支配階級としての国家、という三段階構造となる。

 

・歴史の発展から、資本家はすでに個人資本家ではなく、出資者の配当や利子や地代の形で富は分配される為、中間層という、貯蓄可能な労働者も増え、部分資本家として機能し始めると、個人の経済格差として現れるだけで、悪徳資本家が労働強化で収奪しまくる初期の資本主義のイメージでは理解しがたいものである。

ただ、資産が5億円以上ある人を資本家と呼んでも差し支えない、と言われており実態はほとんどは労働者階級であるに過ぎないのだが。

 賃金より配当に手厚く、という企業の姿勢が継続すればそれで十分なのだ。また、労働者階級であっても消費を抑えて貯金をして株式に変えれば、配当は得られる。賃金以外の所得は得られるのだ。

ただ、大株主でない、というだけでしかないが。

 

 ・ここで、流通と貨幣について述べなければならない。物々交換などは歴史的には立証されてはいないが、交換流通を現物通しでやることは困難で、時間の概念を加えると更に絶望的になる。

で、農本社会でも余剰生産物の流通はあったので、現物主義から徐々に貨幣を媒介物として交換がなされるようになった。

ましてや資本主義社会では貨幣流通経済は加速することになる。

 

・少しそれるが、貨幣納税を国が強制すれば、市場内では貨幣流通し、国家の通貨発行権による通貨が流通するわけだ。

法定通貨が金(きん)なら、それは金という商品貨幣だから信用はあるが、現代日本を除き、世界はインフレの歴史であり、経済規模拡大により金不足となるので、尺度と権威の法定貨幣に移行する。金本位制といっても、いざという時だけ金と交換できる、という見せ金に過ぎない制度になるので、アメリカが1970年代にニクソンショックで交換停止を宣言しても、ドルは国際通貨として君臨できたのだ。

ドルは国際的な法定通貨となっており、ドル建てでの流通経済が出来上がっていて、各国通貨が国際的にはローカル通貨でしかないのだ。

ユーロがチャレンジしているが。

法定貨幣は単に強制尺度である為、税収を超えた通貨発行が可能となる。即ち税収を超えた消費を通貨発行権を持つ支配階級に可能とする、ということは、不等価交換が市場内に持ち込まれることになる。

物不足としてのインフレではなく法定通貨乱発による貨幣価値の下落によるインフレが歴史的日常的に世界的には起こっていて経済成長とともに継続しているのだ。現代日本では経済成長が止まっているのでわからないが、ドルは対円では常に下落傾向に動くわけだ。金融緩和しない限り。今やってる異次元緩和やらなければ円高になるし、金融緩和した分は預貯金となるか、銀行の負債を増して銀行イジメにしかならないのだが。

 

国際経済で考えるならば、アメリカ以外で流通するドルは、アメリカの独立金融資本であるFRBが印刷するドルであるが、世界はドルないと石油など輸入できないから、ドルを備蓄せざるを得ない。

ドルのアメリカ以外の分は、シニョリッジなのだ。アメリカはドル印刷で各国から物を買う=不等価交換できるのだ。それでもアメリカはインフレに襲われる危険がない、即ち支配階級が余剰生産物を法貨で納税させ、その交換物として印刷貨幣を支払っているのと同じである。

現代では、各国の国家の上にアメリカが超国家として君臨している。

国際通貨の占有権=通貨発行権をアメリカが保持しているのだ。中国でさえドルペッグ制であり、戦争になれば保持するドルは米国債化しており債権は紙屑になるから、本質的には逆らえないのだ。

 

軍に物を言わせて中国が世界を支配して、元が国際的に通用し流通するようになって初めてアメリカに代わって現代帝国主義の座を得ることになる。

経済力で追い抜いた、だけでは支配権は不十分なのだ。アメリカが中国に話し合いで世界通貨の座をゆずるはずはないのだから。軍事力均衡が崩れればその座は変わりうるが。

 

・現代は、労働者階級、資本家階級、国家、世界=アメリカの4層階層であり、国家の位置が弱まりつつあるアメリカ標準のグローバル化が進行しているのだ。

 

・後期資本主義を-2で考察する。

 

経済と権力-草稿2

・まず復習。

ケネーの経済表範式モデルとは、以下の通り。

生産階級(農民や漁民や工夫など一次産業従事者)

は、20の年前払い=前年生産物と、100の固定資産を活用して10の減耗を伴いながら生産し、50の生産物を得る。うち、20は次期生産に保存して、30を流通に回す。余剰生産物である。

流通に回された30のうち、生産物10を支配階級消費用に販売、貨幣10を得る。

更に生産階級は生産物10を不生産階級の原料として販売し貨幣10を得る。

そして生産物10を不生産階級に食糧他で販売し、貨幣10を得る。

生産階級は合計で30の貨幣を所持するが、20を支配階級に納税し、10を不生産階級に販売し、固定資産減耗10を補充して今期を終了する。10の不生産階級の貨幣は翌年の年前払い資本に保管される。

 

支配階級は、前年納税20のうち食糧購入10、残る貨幣10で、今度は不生産階級に消費材購買に支払い、不生産階級生産物を購入し消費する。

(しかし、この交換は一方向で等価交換ではない。略奪消費である。官制需要を流通でもたらすのではあるが)

不生産階級はこの貨幣10を生産階級に支払い、生産物10を得て消費する。

 

生産階級は30の貨幣を得るが、このうち20を支配階級に納税、残10の貨幣で、固定資産減耗10を不生産階級から補充してもらう。

年前払いとして、

生産階級は20の生産物

支配階級は20の貨幣、

不生産階級は10の貨幣、が次年度用に蓄積される、というものだ。

 

・原前払いと利子

ケネーの階級分類では、少なくとも生産階級には既に100の資本即ち原前払い=資本=固定資産があり、減価償却が10年の固定資産100がある。

これのうち10を1年で減耗しながら50の余剰生産物を産み支配階級に20を納税する構造だ。

正確には50を生産し、20を年前払い保存するので

50-20=30を産んでいるが、そのうち10は固定資産減耗によるもので補充せざるを得ないからだ。

 

それと、生産階級としての分類の中に、100の固定資産=資本は既に備蓄されており、そのうちの10を労働と結合することで高い生産力が得られるのだが、過去に内部留保ができていたわけである。

生産力向上に役立つ生産物の資本蓄積が、領主や庄屋の所有権であろと農民の所有権であろうと階級内に備蓄され、維持補充を要する減耗生産材が納税後にも確保=内部留保蓄積されていたわけである。

勿論それは単年度ではなく長期を経て蓄積されたものである。流通に投入されないで済まされた余剰生産物である。

余剰生産物は20で全てではなかったのである。

この固定資産形成が毎年できて尚、余剰生産物を流通にもたらすことができるから生産階級なのである。権力と生産階級の分配を巡る階級対立があり、生産階級の減税闘争の結果?又は脱税の結果でもある。

しかし、ケネーはここは深掘りしておらず、単純再生産として10の減耗分のみ補充しているが、ここは100の固定資産形成が暦年にどう作られてきて今後どうなるのかの説明がない。ただ減耗補充分に利子と小さく書きこんではいるが。(^^)

最終生産物は実は、40+δであり、モデルは10で定数にして単純再生産として断面を示しているにすぎない。実は10プラスδであり、δは利子であることに気づく。ここに生産階級の生産性向上の即ち拡大再生産を導く根拠がある。また、支配階級が税収を強化できるのりしろでもある。要は利子がここに入り込むのだ。

この内部留保は、貯蓄であり、貨幣形態で生産体系からははずれた種子の冬眠の状態から、流通を経て生産材など償却性の固定資産の形態でもよいし、資本そのものである。この資本の所有権は階級内に存在するわけだが、階級内支配者即ち領主や庄屋か農民かどちらに所属しようと貨幣形態なら直接間接を問わず、資金需要に流れ込む。金融機関を通じて。

投資資金として産業の固定資産に投下され労働と結合、余剰生産物を換金することで利子を確定する。

 

これが実需に代わって猛威をふるうのが後期資本主義であり、金融資本主義の時代を迎える。実需に使う貨幣資本需要が相対的に少ないのだ。需要の壁が近づくにつれて、資本蓄積が進み、実需不足で投資に回らなくなり、金利も低下するわけだ。

要は金余りとなり有効な投資先がない状態になる。

 

農民から君主に直接納税するとは考えられないから、領主や庄屋を通じて納税されていたはずで、とすればこの内部留保は彼らに所有権があったというのが妥当だろう。農民の作業着や靴、鍋釜などの不生産階級生産商品も村の定期市で自由に交換、というより領主や庄屋経由から生産階級に支給された、と考える方が妥当だろう。村の定期市は闇市場でしかなく、制約を受けたはずで、フリマを領主管理のもとに所場代を跳ねることを目的に領主管理下で許可されたと考えられなくもない。その程度だったはずだ。

階級内階級対立で、この年前払い費用にあたる支出を領主がけちっても内部留保が増える。

だから、農民には高く売りつけることができるから村の定期市に委ねるのはもったいない。

農奴にその原資が給付されていれば、農奴が節約すれば農奴の所有権のある固定資産原資=資本が得られる。農奴が給料制での雇われ農民であれば、賃金所得が発生するから、所得ー消費=貯蓄、であり貯蓄は貯蓄=投資となり金融資本化し生産需要に活用され利子を産む。現代と同じく労働者の賃金所得の預金で利子所得をも得られるのだ。

 

いずれにせよ種もみや農民の食糧、一年で消費する年前払いとは別に、10年で使い切る農作業用の固定資産が領主や地主や庄屋の元に主には備蓄活用されていたはずだ。この備蓄は不生産階級が確立される前は、農民からの収奪を溜め込んでいたはずで、支配階級への納税とは別の労働を追加で農民に課していたことになる。これが階級内の外に出ない税収であり、階級内対立の元となる。

 

とすれば、不生産階級の資本蓄積を可能にするのも単に職人生産と商人、とかでなく資本家と労働者の階級分離による工場生産、大規模生産となり、領主や地主、庄屋が工業需要の増大で、資本家に転化し、農奴が労働者階級に転化していくことになり、歴史は実際にそのようである。

工業需要の急激な増加は職人生産で食べられる分の労働をする単純再生産程度の生産力では済まない、欠乏的需要の発生がないと、即ち官制、民生の自然の需要に応えて生産する、では済まない生産力を激しく要求する需要が発生しないとなかなか不生産階級の階級確立即ち資本主義需要へは移行しない。

不生産階級内で内部留保ができるような規模にはならないし、君主への納税もできない。この農業社会から工業社会への移行要求は、保守的な農業主体の生産体系の延長線上からは自然には生まれにくい。農業社会で既に過剰生産されていて、内部留保も出来上がっているのだ。

考えられる最大の動機は戦争であろう。

 

・生産階級による自然増も既に階級内消費を超えて非生産階級人口をもまかなえれば、生産増需要は乏しく、輸出による他国消費に頼る生産性増はありえるものの、農民人口の削減による不生産階級への移動を選択する方が自然である。

 

・仮に、戦争になったとして、大量の武器が必要になったとする。官制需要が通常の職人生産では間に合わなかったとする。どうするか、だ。

まずは農民から工員を調達する。それには機械化による農業労働の生産性を上げることが求められる。

これにより、農業就労者を過剰にして不生産階級に移行できる。

しかし、それ以前に生産に寄与していない婦女子や子供を動員する方が早い。

また機械を動かすエネルギーや機械生産=生産材生産が必要になる。これが更に工業化需要増大となる。

この需要は君主の需要であり、既存の納税額では不足し税収を上げなければならず、原資は限られているから、将来払う約束で金融業者から借金をすることになる。現実には国債を発行し金融業者に買わせることで資金を調達することになる。

負債の増大による資金調達で、ギルド的な職人工房は、工場生産に取って代わることになり、地主や庄屋は、資本家として固定資産を減耗させながら労働者を雇用して生産するが、黎明期には労働時間延長分を収奪することで、階級内に内部留保し、この資本を設備機械投資に振り向けるから、更にその工場ができ雇用がされるという循環で矛盾が起きることは少ないが、不生産階級の内部留保か、納税かの矛盾は相変わらず支配階級との間での対立はあり、アメリカのように納税を拒否して共和国を作ることになる場合もあるが、折り合いを適当にする場合も多い。拒否は国内戦争を伴う。

 

人と機械導入により飛躍的に生産性が上がるが、納品単価が変わらなければ、生産量増大分が剰余価値を産む。工業化は飛躍的に発展し、商業や運輸、金融やサービスなども派生的に発展する。

これらの人口を支えるのは農業生産性向上であるが、人口を超える生産力は必要がない。食糧不足の国外に輸出できれば別だが。第一次二次大戦時のアメリカはヨーロッパの食糧需要をも賄う農業生産力に至った。

 

しかし、和平が結ばれて過剰な生産力の行き先がその後に問題になる。アメリカで言えば銀行借入で農家は輸出前提で機械投資して農業生産を拡大したあとで、輸出先が復興し過剰生産となって恐慌に至った。

現在のアメリカの農業人口は人口比農民は1%である。いかに機械化されているかだ。

こうして、人口の産業移動が起こる。不生産階級は生産材生産への移動も進む。これも飽和すると、更に生産性を上げる行き先がなくなり、生産過剰となる。商業や流通、信用制度も普及し終わると需要不足になるのだ。工業化はここで農業の場合と同様に需要分のみを生産すれば良い、で統合と縮小の時代となる。資本も増加はしなくなる。

そして需要不足が決定的となり、成長が止まる。

黄昏のデフレ経済と金融資本主義が主流の時代に突入することになる。

 

 

 

 

経済と権力、草稿

・まだ、歴史上たかだか150年程度の資本主義の経済システム上に我々はいる。

その威力と功罪とは別に、過去の主流の農本経済システムから資本主義が芽生え、本流として発展成長していく経緯を紐解くことが現在の位置や評価に客観性をもたらす上で有効である。

 

資本主義社会を歴史の過程として捉えることが、資本主義後の未来をも明らかにすることにも繋がる。

しかも現代資本主義は、先進国の金融資本主義化と停滞又は退潮傾向に特色があり、発展途上国にその地位を譲り奪われ、いずれは周回遅れの途上国にも成長停滞と退潮をもたらすことが想定される。

既に第一次二次大戦前に一度行き詰ったことがあったのだが。

そして戦争経済で生産活動を統制経済的に再燃させ、これはケインズ理論そのものだが、そして破壊により、生産活動がまた需要となり、再発展した。

 

現在の途上国も先進国同様に生成、発展からいずれ衰退のサイクルをたどるのではないか。

資本主義で有効需要を失うレベルに発展した後の衰退と、ポスト資本主義、を考察することが私の最終目的である。

 

・まずはフランソワ・ケネーの経済表範式モデルから深めるのが妥当だ。

農本封建社会の中から資本主義発展の萌芽を歴史的必然として捉えらところから始めよう。

先進国も例外なく150年前まではケネーの範式モデルの国体であった。    普遍的モデルといえる。

 

・私は、少なくとも資本主義発展は経済発展の必然であると捉えている。

まずは不生産階級増加による工業発展である。

工業製品供給不足の農本時代からの進歩である。

マルクスもこの時代に労使分配をめぐる階級対立から資本主義を批判していて、これはこの通りだが、商業以降の発展に及ばず、ましてや供給過剰問題は恐慌での生産縮小のみで描こうとしている。しかし、国があり貿易があり、内需でも市場経済参加消費者増加があれば、恐慌は必ずしも必然ではなくなる。

これらの発展を超えて過剰生産にはなるのだが、小宇宙の範囲での恐慌は普遍的とは言い切れないのだ。

工場生産での分配対立の範囲を超えていない。

 

具体的には、不生産階級による工業化の著しい発展であり、交換を前提とした工業生産による流通発展を支えるシステムによる資本の拡大再生産が資本主義である。

その為の流通、商業、信用、金融、サービスの発展をも誘導するシステム全体である。

 

 仮に農本社会段階で資本主義に発展余地を多く残す状態で社会主義政権に移行して社会主義国家を目指したとしても、それは上部構造が革命思想集団に取って代わっただけなので、その思想はどうあれその上部構造自体が農本経済システムの下部構造の生産する余剰生産物の収奪によってその多くを支えられており、野心家、又は新しい別種の専制君主となることで、せいぜい工業化発展を国家統制的に官主導で移行させる任務を担うことでしかないだけのことである。

これは資本主義ではなく、統制経済での工業化である。この段階では、商業も信用や金融も育ちが悪い。市場経済が未成熟なのだ。現代中国は前期の農民の工場労働者化を他国の技術支援と資本導入で進め、製品を輸出し外需に頼るというビジネスモデルを成功させたが、後期の市場流通、商業資本増加、信用、金融は矛盾を抱えることになった。工場労働者は低賃金であることが条件のため、所得が上がらず、所得を上げようとするとこのモデルは成立しないのだ。従って消費所得が少なく、市場経済による消費に沿った内需生産消費ではなく、投資拡大による経済成長であった。ここに後期の弱点がある。投資も生産も官主導、というスタイルだ。仮に日本の2倍の生産力としても、10倍の人口だから、1/5のレベルだ。

規模が大きくなると統制経済ではついていけないのだが。

 

要は、工業化が支配階級の手で進められるのか、交換市場を通じて伸びるのか、の差だ。

日本は朝鮮戦争を通じて外需を頼りに過剰生産投資=所得倍増計画により所得を上げ、その所得を背景に資本主義が成長した。冷戦とアメリカ所得のお陰。

日本の資本主義は戦後である、と言えるのではないか。

 

 その意味では、国家社会主義労働者党=ナチスや昭和初期の日本も同様であった。

特長は官主導、国家主導の統制経済による工業化推進である。

ある意味農本時代の君主と変わらないが、強兵の為の工業生産を進めるが、市場原理の資本主義発展とは異なる。

国家需要の為の工業生産増であり、古典派経済学はお呼びでないのである。

税と工業製品との等価交換?でしかないのだから。

資本主義生産階級内の資本形成が不十分で、要はブルジョアジーが育ってないのである。

ブルジョアジーとは、資本を持ち資本を投下して生産販売計画と、固定資産を持つものといえる。

労働者を雇用して利潤をあげる人のことである。

 

それくらいなら、ヨーロッパやアメリカ型の市民型、市場主義型での資本主義発展の方が人権上もはるかにマシだろう。アメリカは第二次大戦前は冷蔵庫やミシンや日用品やお菓子などの民生需要の生産を多く行っていた。これも大戦参加で、軍需製品を国債との交換で半強制的に軍需生産転換する事にさせられたが。

第一次大戦でのヨーロッパでの民生需要の為に世界の工場として、軍事品だけでなく民生品も多く生産し、一次大戦が終わり過剰生産状態になり、大恐慌となった。軍需需要に支えられて重化学工業が巨大に発展したが、一次大戦終了で平和となり民需経済に転換もしたが、供給過剰はおさまらず、第二次大戦開始ででの生産需要に救われたのだ。

 

資本主義自体も労働者からの収奪で資本形成されるが、国家ではなく企業体内に階級対立を伴いながらも資本蓄積するブルジョワジーの成長を伴う。これが国家君主の権力支配にも対抗しうることで、共和制を要求する側に立ちうるのだから、要はブルジョア民主主義革命が資本主義発展期にできて、国家権力を制限して、ブルジョア主導の国家国体を作れるか、が1つの試金石となる。

これがないと市場原理の資本主義は育たない。

国家管理の官主導の工業生産であれば、国内民需は無いに等しいのだから、他国の戦争特需に期待するしか需要がないのだ。

 

話はそれたが、資本主義発展の後発組は、不生産階級が職人レベルで貧困で、従って資本家階級も未成熟か小さいので、どうしても支配階級による国家主義になるのではないか。少ない税徴収による重化学工業化による軍需品生産に偏向するわけだ。

これは、正確には工業化であっても資本主義化ではない。

純化すれば、共和制に自らできなかった国は、市民社会未成熟、人権未成熟国家なので、資本主義発展の段階で市民主義や国民主権市場経済発展や商業、運輸、サービス、信用、金融が未成熟になる。日本もこれだった。

戦争経済による工業化は、巨大独占企業を作るだけで、軍需産業と国が癒着することになるから、商業資本、市場経由の資本主義は育たない。

もし、戦争が他国でも自国でも無ければ、民需中心の生産体系が市場を通じて出来上がり、生産過剰になった時点で動的平衡状態になる。

即ち単純再生産になるのだ。この体系では、生産性向上を可能にする新規機械生産やサービス労働等に労働移動し、単純再生産となる工程を繰り返す。

 

仮に旧ソ連や中国のように農本国家で社会主義政権ができても、国家統制型の統制経済工業化すら行わないのであれば、旧カンボジアのように国家は黄昏を迎え滅びるのは、他の国々があるからで、農奴の逃亡と同じ事、国から労働者が流民難民となり、逃げ出すだけである。経済発展そのものを否定した、鎖国的な遅れた世界を国民が望むのならそんな国家も存続はしうるのだが。ただそれは文化水準の低さ以外の何者でもない。資本主義は通るべき発展の過程なのだから。

 

・ケネーモデル=経済表範式はフランスルイ王朝にのみ適用されるモデルではない。世界の資本主義前の農本社会、封建時代に普遍的な国体経済システムモデルとして有効なのである。

全人口の80%が農業生産労働を行い、年間総生産物50のうち、20が税として収奪される支配階級の権力維持に消費される社会である。20は翌年の年前払いとして生産階級内の中間消費として保存されること、だが10は固定資産減耗分補充として流通を経由して生産階級内で資本化される。%の配分は多様性あるものの、農本経済の基本システムである。

 

・要は、余剰生産物ある社会は必ず余剰生産物の占有権を巡り階級社会が形成されるということであるが、また、モデルでは支配階級に20、自己資本補充に10使っているが、不生産階級が生産階級の為に15、20分の固定資産形成をしてあげれば、それは食糧生産増となり、ますますの不生産階級を増やせるわけで、生産階級から不生産階級への人口移動が可能となり不生産階級を大規模化できる。

しかし、この場合支配階級の取り分を減らすことになる。これを納得しない権力と生産階級の領主と不生産階級の工業化に成功し、資本蓄積できた成長したブルジョアジーとの労農同盟により、君主に議会などの制度を押し付けたり、君主を廃止して共和制にするなど、要はブルジョア民主主義革命をなしとげなければ資本主義ではない、君主による統制経済となる。

不生産階級による工業化は、君主かブルジョアジーかということだ。

君主なら資本主義でもないし、古典派経済学は通用しない。古典派経済学は君主の意思の下位になり、等価交換は成立しないのだ。

ブルジョアジーが君主を倒すか、権力を大きく制限できれば、初めてブルジョアジーの資本=固定資産のプロレタリアートによる共有管理が課題となるのだ。

経済の面では、君主は誰がやっても同じで、異なるのは余剰生産物のうちどれだけを支配階級が浪費するか、でしかない。

 

 ・上部構造としての権力についてだが、 余剰生産物20が支配階級の原資であるが、この余剰生産物の所有権獲得を巡って権力闘争が発生するが、この権力の空白は歴史的にはほぼない、といえる。

牧歌的な権力の及ばない地域は無かったとは言い切れないものの、国、という領域に編入されれば国民、領民には生存と同時に負債が国家により付与される。負債とは納税義務のことである。この義務の為に生産労働して余剰生産をしなければならない。

この負債との交換として労働による余剰生産物を差し出すのであるから、古典経済学は数学的な意味しか持たず、経済の本質を描ききれない。

等価交換、ではない略奪が交換の衣を着て交換経済にそっと入り込むのだから。

古典経済学は、せいぜいロビンソンのような社会的でない非階級社会に限っては通用するものなのだ。

 

・不生産階級は、生産階級から派生したと考えるしかない。生産階級と支配階級だけでも構わないが、その場合は、機能分化前段階で生産階級内で中間消費を増やしながら=納税額を落としながら、農閑期には領主の城建設の土木建築作業に動員されたり、戦争に動員される。しかしこれらは工商の機能としての分離により、二次三次産業分野を育成する方が発展の為には合理的だ。二次産業は過剰な非機械的人間労働に頼る農業の過剰人口からの食い扶持の削減により生み出される。専業農家から溢れた人間達だといえる。

 

・20の余剰生産物は、その食糧や原材料に依拠して生活できる人口を支えることができる。

生産階級外人口は単に消費生存するのではなく権力維持の為の生産労働も行う新たな不生産階級という名の生産階級を作るが、農業生産性の高まりにより、その数量に伴う人口構成比率は増し、不生産階級が年前払いだけでない原前払い即ち生産階級同様に固定資産という資本を持つに至る。固定資産は資本の形を変えたものである。

この資本は、生産階級の固定資産形成同様に階級内内部留保であり、労使の共同製作物であるが、庄屋や領主同様に、経営者が所有権を有する。

とはいえ労働により生み出されたものである。経営という労働もあり、生産管理の支配権巡り分配権の執行は異なるが。不生産階級のように、職人や商人にその機能が依存し相続権が認められなければいつまでたっても原前払い=固定資産形成又は内部留保は得られない。

法人として永続性が付与されることが前提だ。

だらだら書いたが、支配階級は誰でもよく、即ち徴税が低く、人権を認め、資本主義生産がきちんと進むのであればだが、その意味では生産階級、不生産階級は、国家主義ではなく本質的にインターナショナリズムを信奉するインターナショナリストであるはずだ。

次高は、不生産階級の対支配階級、対生産階級との関わりと、その成長の意味を考えてみる。

経済ノート-3

1. 農本社会から資本主義社会への変化は経済システムの変化である。農業生産を中心とした社会の生産基盤は土地即ち農地、即ち領土であり既得権益を保障する国家である。対応する統治システムは専制暴力であろうと法治国家であろうとこの経済システムの維持を目的とする国体を作り維持するものだ。

政権が王制か軍事政権か、はたまた社会主義政権かを問わない。

 

2. 要は余剰生産物を、農民の所得配分増か、農業資本=固定資産減耗配分増か、支配階級の税収増にするか、の選択である。農民の所得配分増なら貯蓄による流通循環からの離脱なければ不生産階級生産物の生産増=農民階級の消費増をもたらす。

固定資産形成でも同じである。支配階級の税収増も同じである。異なるのは固定資産形成増のみは次期生産農産物増をもたらすことである。

また、生産階級、支配階級の所得配分のうちの使途が、金融機関を通じて不生産階級への投資や融資、社会資本の整備などの固定資産形成に使われれば、生産性向上をもたらすのでゼロではない。

 

3. 不生産階級の人員増は生産階級の余剰生産物増によってもたらされ、不生産階級の総生産のうちの余剰生産物増による固定資産形成増がさらなる余剰生産物増をもたらす。この循環が資本主義を育て、土地に限定された資本が、人の技術水準向上や投資拠点の選定に判断の重点が移行する。生産組成の方針に依存することになる。

 

4. 上記により、国家や領土の国民国家は、その統治システムの目的が制限されることから、国法体系が揺らぐ。グローバルに資本が異動できるようになると、国法とグローバルルールとの間に矛盾を生じさせる。資本のグローバル異動が国法に挑むことになる。国法の経済活動にかかわる部分は地方の政令や条例の位置にランクダウンさせることになるし、この操作を拒絶する国家は生産拠点の対象から除外される宿命を迎える。

憲法は、国際的な金融商業関係法については傘下とされる位置に。また、債権債務に問題が起きた場合、その解決は外交問題になるが、最終解決は軍事力となる。軍事同盟ならなおさらだ。

 

5. 資本のグローバリズムにより生産拠点の支配権確保は、中国の生産拠点化を進め、強気の投資で世界的生産過剰と先進諸国の生産力の低下による雇用問題が世界に蔓延した。

全世界同時不況となり、金融資本は投資先が見当たらなくなりつつある。

IT関係のリノベーションが顕著だが、これ以外に投資先がない。リーマンショックのように借り手を無理やり探す詐欺的商法しかなくなる。中国自体も債務問題が発生している。

 

6. こうした世界情勢は、投資先を探す国際生産拠点作りを求めるが必ず行き詰まる。国法にも影響するグローバリズム保護主義の台頭を免れない。

アンチグローバリズム保守主義が世界経済の潮流となるはずだしなるべきだ。

日本型の低成長受入、内需主導の単純再生産へのランディングが適切である。

無論、新たな輸出産業がリノベーションで勃興すれば別だが。

黄昏を時短で楽しむ社会、協同を旨とする社会、資本主義を卒業した社会主義社会が実現する。

そのキーは、教育や思想建設により安定して進行するであろう。

 

7. 生産拠点を自国に戻して、国内生産限定で生産調整する。内需循環だ。

既存の産業を生産調整し、外需があり秀でた生産物は輸出をFTA貿易協定で輸入を多少上回る程度で止める。

新たに輸出産業を研究開発する。

イノベーションを推進する。

政府投資は見合わせて小さい政府とする。

グローバリズムは推進せずに、アジア途上国とのブロック経済圏をめざす。

保護主義経済による内需中心の、単純再生産型の社会主義経済を確立する。市場経済であり、国家官僚統制の弱い、国の関わりは最低限、即ち国防、警察、徴税、裁判等にとどめ、社会保障は協同組合方式で運営する。

国債は長期国債に借り換え、買い手は金融機関でなく個人とする。新たな国債発行は止める、を年次計画で進める。など。

 

8. しかしこれは到達すべきランディングの姿でしかない。

少子化は、需要を超えた労働者の失業者化の防止策であり、高齢者の多い現在に拍車をかけて失業者が増えれば余剰人員の嵐だ。特に先進国には生産拠点投資が行われないから労働者余剰が増える傾向にある。

至る過程では既存の所得をめぐり就労競争が激化して、その対応は生産拠点国即ち発展途上国並みの賃金目指して収縮傾向が続き、少ない企業所得の分配では労働者に不利であり、格差社会とならざるを得ないが、高生産高所得の時代と異なり少ない所得をめぐる階級対立により、支配階級が容赦なく分配を高めることになる。資本即ち剰余価値を国外投資とする為に、配当は企業支配者の元に分配される。

格差社会ができるのだ。高度成長期は生産性向上でできた余剰人員は固定資産生産の仕事に回れたが、一巡するとその仕事も減り、受け皿はサービス労働者となった。高い生産性による所得に依存し、高い生産性作業に専念させる補助者である。その代表が主婦業であり、水商売であり、しかし生産性向上が止まると専業化は崩れる。

企業に集められた金融資本は国外投資に向かうのなら、多額の納税による社会資本としての福祉や社会保障費などに還元しなくてはならない。それより賃金として消費し内需を拡大し生産を誘導しなくてはならないものだ。なぜならこの収益は高い生産性を生み出す教育研究や長時間労働、分配を我慢した労働者により生み出されたものだから。それをしないで成果物を国外投資に向かわせる為に税収不足となり、徴税を正当化する世論操作により、支配が維持されている。

日本の税収不足は、企業の国外投資に向かう利益と同じ額だ。毎年40兆円が法人所得税の脱税額に相当する。消費税の本質は2つ、法人所得税の税率軽減の原資確保、輸出補助金として企業の内部留保を増やし応援すること、である。企業の原価にはらった消費税分は国外で販売する場合は預かり消費税がないので全額控除されるのであり、フランスのルノーへの輸出補助金付加価値税に変えてWTOの批判を免れる為に導入したのが起源なのだから。

資本のグローバル化は、生産拠点支配権を巡る他国

労働者の雇用と企業利潤追求に消えるのだ。それも国内で培った技術、その技術を生み出したインフラ、特に教育研究投資により得られたもので国民に所有権がある。これを支配権として国外に持ち出し利潤を独占する行為は、国民の力で戒めなければならないかも。要は国外投資捻出資金が税収不足として現れていて、これを消費者である非輸出企業と労働者に付け替える措置を行い、これが国民の認識ではなく合意を得つつある、ということだ。

本来、企業は投資には借入で行うものだが、国外投資するなら借入で行うべきだ。なら目をつぶろうではないか。

労賃分配金の収奪を原資として国外投資の資金にし、税収不足をきたして国民徴税に振り替えるのは企業活動に甘い。

家計の1600兆円の金融資産は、平均すれば1330万の預金がある、ということになるがそれは格差拡大での平均値にすぎない。消費が冷え込み消費生産が収縮するだけだ。固定資産財生産産業だけでなく消費財生産産業の生産力も削ぐのだ。

企業は10年間で400兆円の内部留保=資本を蓄積したのだ。

日本の労働者階級の文化水準が、政治経済社会の理解水準が問われる。外圧によってでしか変えられないのだろうか?

私には囚人的な屈辱に立ち向かう自信のない依存的な体質として映る。70年前に原爆落とされてボコボコにされないと基本的人権を得られなかった国民性は、高い知的技術的知能とは対照的な無権利、自立性のない哀れさを感じざるを得ない。

 

9. 私は、比例区共産党小選挙区立憲民主党を今回は投票することにしたが、彼らに政権担当能力はないと思う。全ては日本人気質に起因すると思うが。

長い権利意識の高揚の思想運動の先に、当面は保護貿易への暫時段階的移行をへてグローバリズムを克服し、中立平和宣言をして自衛力を整備再編し、自らの労働で自らと隣人を豊かにする先進国としての支配権を労働者階級が運営する社会を目指すべきで、それは自由市場経済によるべきで、国家や官僚による、統制を最小限にする自立社会であることが前提である。果たして日本の労働者階級は、自立社会を作れるであろうか?

ゴルバチョフは、訪日の際に、日本は唯一成功した社会主義国だと評した。

そして最後に崩壊する旧社会主義国かもしれない。私は冷戦時代にアメリカの植民地として成り上がった国家で、朝鮮ベトナム戦争成金で、キャッチアップを終え拝金主義むき出しでバブルを崩壊させ彷徨う国民であり、国際新秩序のルール作りに参加する自立性に疑問を持っている。

 

経済ノート-2

1. 前期資本主義の発展進行の結果として、国内には多様な産業が育ち、これらの生産性を向上させる為に重化学工業のような、投資型の産業が発展する。

この種の産業は、固定資産を生産するので、他産業の生産性向上に寄与する生産財を生産するのであるが、またこれ自体が新たな雇用をもたらすので、生産性向上による各産業に発生する余剰人員の受け皿にもなり、理想的な全産業の発展により農本社会から資本主義社会に失業を伴わずに以降発展できる。

この発展は流通量を増加させるので、運輸と商業も発展させ、金融も発展させる。同時に発展期は資本も労働所得も増え、社会保障制度も充実し、社会蓄積される為、金融資本の原資が社会的に蓄積し、後期資本主義=金融資本主義の土台が形成される。

 

2. 資本主義国への発展は不均等であり、先に発展した国は、国という閉鎖経済では需要は飽和し、原料資源も不足する為に、国外市場や原料調達の為の国外取引先国をできれば不平等に求めることになる。植民地であり、経済ブロック同盟国である。

閉鎖経済のままで、階級分離が強くなければ資本主義は需要不足から生産縮小し停滞して単純再生産の本来的な意味での社会主義国=単純再生産型のポスト資本主義中世国となる。

しかし、国外に市場があれば生産縮小せずリカード的分業を働かせることができる。ただし植民地の資本主義発展を阻害する為、後発資本主義国は国内では保護主義を求めるし、発展スピードも伴わず、低賃金で国外市場に挑戦することになる。この摩擦が第一次大戦で再整備され、ここで死の商人となったアメリカの台頭、既存資本主義国の消耗と植民地の再分割、遅れた農本社会的資本主義ソ連社会主義化をもたらした。

ソ連は、絶対主義を倒したが、農本社会の経済構造の為、新政権もその上部構造に置き換わったのであり、資本主義生産は国家資本主義として市場経済の発展を通じてでなく行われ、戦時であった事もあり、戦車の大量生産のような武器生産を可能とする重化学工業最優先となり、その限界=絶対主義的上部構造のまま国家資本主義を官僚政治で進めることになり、消費財生産が弱く自由生産、自由市場のない、イノベーションの欠資本主義による限界から、1990年に自滅的に崩壊したものである。

その後の社会主義も同様の農本経済の植民地の独立運動としての世界的連鎖であった為、同じ末路を辿るか、資本主義を社会主義政治体制で行うことになった。統制経済の色彩の残る資本主義である。

 

3. 重化学工業の発展含む全産業の生産性向上は、各産業で過剰生産力をもたらす。

この過剰とは、需要に対する生産力過剰である。閉鎖経済なら、生産調整に入り、まず重化学工業の固定資産生産縮小が始まり、各産業でも生産調整生産縮小になるが、すでに生産性は高いのでまずは重複産業を統合し、労働力を削減する為に失業者が増え賃金が低下する。非正規労働も増える。労働することでしか生存できない労働者は、預貯金あれば取り崩し、国に社会保障システムあれば国の負債での所得移転で救済される。人口減が最も有効な対策となる。そして需要と供給がバランスが取れれば、ポスト資本主義中世=単純再生産社会に移行できる。

黄昏的な安定社会である。これが本来的な社会主義なのだ。反植民地主義的な農本経済的社会主義時代はもう到来する必然性はない。

 

ロビンソンで言えば、食糧特に漁業の生産性を高めるために、投網や小船を作り終わった状態で、家も完成し服も作れて、要は新たな投網生産等の労働時間を割く必要性はなく減耗補修だけで済むわけで、この時間的余裕が他の労働需要に振り向ければ良いのだが、一通り終わると、労働時間が最小になり余暇時間が増え生産力が定常化する単純再生産構造に到達する。同じことが社会的に起こるだけだ。

 

4. しかし世界が1つの閉鎖経済になるまでは上記のようにはならない。鎖国社会が成立すればの話でしかない。

生存競争があり、自分だけは勝者になりたい、敗者の屈辱を避けたい、という中ではグローバルに動く。

2度の大戦は国内生産力の維持発展を求めた結果としての市場、植民地争奪の戦いだったが、今日のグローバリズムは生産拠点の支配権争奪戦の様相がある。以前の帝国主義、国内生産力を維持し増加させる為の市場ブロック経済圏の争奪戦から、生産拠点支配権の争奪戦に変化しているのだ。

資本は国内生産からの利潤だけでは頭打ちになり満足できないのである。自国労働者を減らし、生産組成の労働力商品を国外生産拠点に求めることで、発展途上国の労賃を自国労賃のブレーキとして使う。

このことは、国外リスクを無視すれば、奴隷的低賃金労働者移民を国内に入れるに等しい。

国外で生産組成すれば、組成の中の労賃が下がるだけだから剰余価値は上がり、更に拡大再生産が起きる。それは配当増として労賃の側にはゼロ解答で失業リスクさえ押し付け、100%資本増殖となる。更に再投資に向かうから国内は税収不足となる。

資本主義発展期の社会保障財源である家計の公的私的年金や生命保険、家計の貯蓄、ありとあらゆる金融資産が投資会社や証券会社を通じて運用先を彷徨う。実体経済の3倍と言われる金融資産が実体経済に群がって増殖を目指す。この資産を担保にレバレッジを効かせて信用取引が行われる為に、3倍の金融資本がグローバルに投資先を求めて彷徨っている。需要不足の先進資本主義国はその対象にならない。発展途上国に投資需要があるのだ。

中国が世界の工場を一手に引き受けたことで、またこの国が統制経済であり、官僚主義国家である為、下部組織や地方組織は争って高い成長を目指した。

返済の可能性ない投資を呼び込んだ。重化学工業は世界の総需要さえ賄って余りある規模の投資を外資で行った。しかし、世界の総需要を超えた生産力は稼働率が低く、長期の生産調整=経済縮小、徳政令=借金の放棄を迫る破綻、劇的バブル崩壊、いずれかの道の選択が迫られている。

総じてグローバルには、生産過剰=需要不足となったのだ。

日本に端を発するデフレ経済は、先進国の全てに伝染しようとしている。このことが後期資本主義の構造的特徴なのだ。しばらくは、中国が生産調整に入り、第2、第3の中国を作りながらインド、タイ、ベトナムバングラデシュなどへと金融資本は移動して通り過ぎた国にバブル崩壊を味合わせながら。

 

5. もともと、日本人は日本人としての一体感はないわけではない。家族の一体感も。しかし、日本の現代では、帰属する企業の一体感が勝るのである。日本の一体感は国家公務員にしかないのではないか(^^)

個人は複数組織に帰属しているが、労働者階級は就職により生活費を維持しているから給与支払い元に帰属する。

リタイア族は国の年金に紐づけられるが。また、失業者は失業保険や生活保護に紐づけられる。要は公務員や社会保障受益者は国の庇護下に、それ以外は税の生産者であり賃金支払い者に帰属する。

従って生産縮小生産調整は致命的であり、国外生産含むグローバル化には応じざるを得ない。

 

6.  グローバル化は資本の要求であり、国内生産投資より発展途上国の生産拠点化投資が収益性が高ければ遠慮なく国民を見捨てる。が、混乱を避ける風土は日本の法人にはある。

この段階の世界には、2大戦的な、国同士の民族主義的な戦争は起こりにくいのだ。

生産のないところに、金融利潤はない。

金融だけならゼロサムである。

生産が国内に限定された旧社会とは別の金融資本主義時代なのだ。

生産拠点をどこに置くのか、の争奪戦なのだ。

1つの製品が生産拠点を複数の国にまたがって行われることも多い。CPUはアメリカ、メモリは台湾、基盤は中国、組み立てはベトナムなどのように。ここで国際紛争があれば工場が移転してしまい国民が露頭に迷うので、誰もやりたがらない。資本も投資が回収不能となり投資回収できないと配当が得られないのだ。労働能力や労働の質、宗教や教育水準などにリスク回避を組成して生産工程や生産品は選択される。自国で全て完結するものはない。もともと石油エネルギーは輸入なのだ。日本は食糧まで輸入なのだ。

 

7. 日本の高度成長期は、国内生産と輸出が基本であり、労働者階級は、農本時代の名残の農家から農家の生産性向上によってではなく、安価な農産物の輸入により都市や工場団地に人口異動した。

もはや都市に集中して久しく、実家が都市だったりするが、実家に戻る必然性はない。生産産業の周辺に移住する為、グローバル時代には国外で定年を迎え、そこに老後は定住する場合さえある。国同士の戦争に意味がないのである。

 

8. グローバリズムは、金融資本と発展途上国には意味のあるものだが、先進資本主義の国民には中間層から発展途上国レベルすれすれにまで落ちるのだ。

部分鎖国=保護主義を行い国内仕事を増やす、高関税による産業保護、仕事しないと食えないし、高い所得水準を維持したければこうするのが一番なのだ。安い海外製品で自国産業を崩壊させるのはグローバリズム思想改造攻撃なのだ。

日本は食糧やエネルギーを輸入に頼らざるを得ない。この分の輸出を得意分野で行えばよいのだ。

小さな政府にしなければならないし、社会保障も自助を基本としてアジア特有の政府依存精神を変革しなければならない。

独立、自由、平等、博愛を基礎とした国家作りをしなければ。

 

経済ノート

1. 経済学の歴史は、農本社会から資本主義社会への移行の歴史であり、現代にいたるまでの短期間の歴史である。

常に後追いでの分析に終始した中で、マルクスケインズ新自由主義と理論が現実経済に挑んでもきたが、成功はしていない。実体経済以上に金融経済が発展し、リーマンショックの予見を誰もできず、その結果としてのグローバルデフレ経済が進行しつつある。これへの処方箋もないまま保護主義が散発的に台頭している。中国発のバブル崩壊が取りざたされているが、予見も治療法も対策もできていない。

資本のグローバル化により、難民移動が起きており、島国日本は対岸視できている。

 

2. 農本社会の基本モデルは、ケネーの経済表範式での3階級(生産、支配、不生産=商工)であり、日本では士農工商の江戸社会である。これは農本社会の世界的普遍的な階級構造、国体である。

日本でさえ、つい150年前まではこの農本主義であったわけだ。

農民の囲い込みと支配が封建社会の本質である。この支配から農民が離脱するには、革命か逃散しかないが、明治維新後も農業は低い生産を継続する支配を継続したままの遅れた国家的資本主義建設のパターンであった。今の中国もどきであり、労働者所得の消費経済型の資本主義モデルとは異なった発展方式である。

 

3. 農民による余剰生産物生産が、他の階級人口を存立させる原資である。支配階級が余剰生産物を収奪し、支配階級と不生産階級の人口を賄う。

農業は、太陽エネルギーの固定化により、種子生産物自然増が得られる。単に変化させる不生産階級の生産様式とは異なり、人間の生存に関わる最低限のエネルギー生産方法である。

ここを経済の根幹に置くシステムである為、余剰生産で原前払い=固定資産形成を行い、その固定資産減耗により生産増を果たしてきた。生産性を向上させたのは、この部分である。この固定資産形成は、生産階級が支配階級の税収奪との拮抗の中で得た内部留保であり資本である。消費に回さず次期利潤を得るための投資に使われるわけだ。農本主義も農業資本主義の要素が入っていたわけだが、自然の恵みと制約があっただけだ。

簡単な例は、牛や馬の利用による耕運による耕運力の向上がある。牛馬には減価償却がある。飢饉の際は非常食にもなる。

不生産階級は、AをBに変えるだけで、自然の恵みによる自然増はない。種子生命体の太陽エネルギー固定による増殖の制限、例えば年に一度の収穫等のような制約もないから、原料の制約なければ労働量に比例して生産量があるだけである。労働量がどれだけのAをBに変えるかは、労働量の質の変化、即ち人間労働の生物的限界を超えられる機械と動力エネルギーによる置き換えで、例えば24時間稼働が可能になるとか、何十人もの簡単安価な工具労働での土木作業を、パワーショベルの操作人とトラックの運転手と石油エネルギーにより行うことにより生産性を向上できる。このタイプの機械労働による生産原価が、現在市場の生産原価を下回る時、その差額が剰余価値となる。

生産過程Pで剰余価値が生産される、というのは一面的である。機械生産依存の低い、即ち生産段階で固定資産減耗を殆ど伴わないA賃金労働による生産であるのならば、W'のうちの'部分はAからの収奪搾取であり労働者に所有権があるが、Aがa+D(固定資産減耗)ならば'部分はD所有者に所有権があり、資本Gに帰属する。高度な機械使用による生産活動による荒利益は、ほとんどが減耗機械に属するもので、しかも利益が発生するのは、総需要と非機械生産による生産物を機械生産物に置き換えるまで剰余生産は可能である。不生産階級も生産階級同様に階級内に固定資産形成する、ということは剰余生産があることと同義であり、資本生産とも同義であり、この固定資産減耗することにより生産性は向上できるわけだ。

最近はAIの知能部分も代替しようとしている。生産の多様化により、需要の質量の変化に対応できる生産管理が求められる時代になり、需要は膨らむ。

 

4. 支配階級は、領土の内には農(=生産階級)からの税収奪機構を、領土の外には貿易と戦争、即ち領土防衛、領土拡大を担い、富国強兵が価値観となる。

支配階級は支配してなんぼだ。

現実社会は、固定した領土などなく、世界が1つになるまでは隣国はあり生き残りをかけた競争が続く。

この階級は、生産階級に依存しながら国力を上げるという矛盾を内包しており、統治のための権威を維持する消費と戦争準備の為の備蓄や投資を必要とし、消費も投資も不生産階級の中間生産と最終生産を誘導する。しかし、税を生産階級から容赦なく取り上げれば固定資産投資原資を奪い、農業生産力を増加させず不生産階級への人口異動を供給できないという矛盾である。

不生産階級人口増加が職人生産から工業化への道を開き、工業化による機械生産導入が前期資本主義発展に繋がる。機械生産による生産力増加が、資本=剰余価値生産物を生み出す。ここでも労賃と収奪剰余価値生産物との綱引きがある。資本を取るか、労賃を取るか。資本が機械生産資本として投資されることでさらなる産業が育ち、失業せずに労働者の産業異動が行われ、矛盾は解消される。資本主義発展期の黄金時代だ。

丁度ロビンソンが、漁獲量を素潜り漁から投網作りによる投網漁に変え、そのことで工具作りや家や服を作る作業時間を得て家を作り豊かな暮らしを得ていく過程と同じである。

食糧生産が生産性向上により短時間化できることで、食糧外の生産時間が得られるが、高度な道具、即ち固定資産形成がある場合は更に生産時間が短時間化できる。農業から工業商業発展の時代を迎える。

 

5. 不生産階級の生産性向上の原資は、生産階級の投資消費行動の大小で規模やスピードが決まる。

豊かな文化持っていたヨーロッパでは、生産階級内の借地農経営者の内部留保が引き金になり、生産階級内の固定資産形成や減耗補充を不生産階級により多く発注することで不生産階級を傘下に入れて資本主義経営が進んだ。この場合は市民革命、自由市場的な要素の強い資本主義化だ。もちろん生産階級からの消費材発注も多い。アジアは、支配階級発注を基本とした国家資本主義的統制経済が進行した。

これでは殆ど社会主義である。

同じ資本主義といっても市民革命型とは異なり、農本主義の政治権力システムである、絶対主義的封建主義継続内での不生産階級の生産性向上であり、農民の生産性向上も期待できず、富国強兵の国家需要に依存した計画経済になりがちで、絶対主義や軍国主義が侵入する余地を多く残すことになる。アジアは、個人消費弱く、民主主義の土台弱いまま資本主義に入る遅れた資本主義化となり、上部構造を残したまま、なのだ。ブルジョワ民主主義革命を経ることで絶対主義上部構造を粉砕できるかどうかはその後の資本主義発展の性格を規定する。

日本はアメリカに上部構造を破壊され、占領されることで、アメリカ経済圏に従属し、経済以外に存在領域を失うことで戦後経済発展でき、中国はイデオロギーを捨て社会主義を放棄し他人資本導入して奴隷労働に甘んじることで経済発展した。

中国の世界の生産集中とグローバリズムにより、世界的な生産過剰と所得の偏在化が生まれ、生産なき資本主義国が増えて需要不足が蔓延してきたのだ。

生産投資なき資本主義国の蔓延、賃金所得なき資本主義国の蔓延、消費能力なき資本主義国の蔓延、グローバル生産過剰=需要不足となって世界に立ちはだかっている。

これが後期資本主義時代の幕開けである。

 

 

 

世界同時不況

世界の需給ギャップは110兆円。そのうち60兆円はアメリカ。需要不足だ。実需を生産力が超えている。

これはIMFの発表。

金がないのか、物やサービスを作りすぎなのか、しかし金も世界に溢れている。ということは、使いたい人に金が渡ってない、ということと、貯金して節約している、ということの積み重ねなのだろう。

 

世界の主要30数ヶ国はデフレ経済に向かっており、大国では日本がデフレ経済に入ったままになっていて、脱出は安倍のミックスでトライしたが成功していない。金余りとなり、株式がミニバブルになっただけだった。

 

リーマンショックの影響は主要各国にバブルを拡散したのち一斉に弾け、世界を駆け巡った。

ヨーロッパもリーマンで押し上げられた土地バブルが弾けて、軒並み債務過剰となった。

アメリカは日本のバブル崩壊から学び、異次元の金融緩和100兆円程度?を早くに推進し、ヘリコプターベンともいわれる金融緩和でしのぎ、ヨーロッパ各国も緩和の方向に進んだ。高い金利を生む債権の証券化組成が破綻したから、金利を当てにした消費や投資が膨らみ、結局元本自体が回収できないことがわかったから、もしも借入やレバレッジかけてれば債務だけが残ることになり、過大消費、投資から返済への流れに逆流したわけだ。バブルは崩壊した。

しかし、マイナスになるわけではない。失業や倒産、投資家の自殺、GDPが縮小していく。

 

これらの国は、企業が、家計が債務返済優先の姿勢になり、新規投資や消費を押さえて、日本と同様の実需の縮小に陥ったが、ただ異なるのは実需の縮小から債務先送りの為の金融緩和を大胆に素早く行ったことだけだ。

日本は90年のバブル崩壊にもかかわらず、最近になってようやく日銀黒田バズーカによる異次元の金融緩和を行ったが、やはり同様に実需に回らず株価を上げるだけの結果を招いている。ある意味これもバブル状態を新たに作ったことになる。不動産は上がっておらず、バズーカは不足のまま、とも言える。

 

中国はリーマン直後に逆に60兆円程度を国内内陸部への投資実需に振り向けた。リーマンショックの主要国への輸出が頭打ちになるなか、好況を内需拡大で唯一維持さできた。この国だけが不況の嵐を回避できたと評価された。

しかし、収益見通しのない過剰投資という消費は、過剰生産力増という問題を引き起こし、バブルの崩壊規模を先送りして大きくしたにすぎず、実体生産力が内需を埋め尽くしたことにより、会社で言えば巨大生産設備を不況時に他人資本で導入したその会社内で生産したに近いわけで、導入時は投資財生産があるので景気はいいが、導入後には利益を産まず債務返済が利益を上回れば、資金がショートする、すなわちいずれ倒産にいたることになる。回避には雇用や投資、消費の規模を小さくして流血を止めるしかない。そして

中国だけがバブル崩壊が先送りされてきたから、中国単独の崩壊がカウントダウンされている。

また、中国の統計情報は意思が加わる為、読めない。貿易統計だけが相手国がある為、嘘が暴かれているし、そこから類推計算されている。

気になるのは、最近のビットコインの今月末停止だ。元通過が安くなっていて、これは輸出のための為替操作ではなく、多分国内資金需要の逼迫から元を刷りまくり国内の債務支払いに当てていることによる減価であるため、ビットコインによる外貨獲得を早めに、という動きからは、これ以上の元安が予測されていて、ということは既にバブルは崩壊し始めていて、国が躍起になって崩壊が明らかにならないように手を打ちまくっている、ともかんがえられる。

しかし、中国のバブル崩壊は、中国で稼いできた金融が毀損するから、世界もただでは済まない。世界同時デフレが深刻になり、各国、又は各ブロック国ファースト、の関税戦争になるのではないか?

下手をすると、戦争により当面の需要と破壊後の長期需要の拡大が催促されているのかも。

中国の過剰債務による過剰生産が、世界同時不況の根源ではないか。

で、中国バブルの崩壊により、生産消費のバランスが取れることになるのではないか。