資本主義を考える-10

・経済学の母、フランソワ・ケネーの経済表範式の資本主義発展による変化モデルの作成へ!

 

ケネーの中世経済システムでは、支配階級の存続をかけた富国強兵の為に、また財政基盤となる税収、即ち農産物増産の為に、

不生産階級の生産性向上による貢献を時代が求めることになる。

これは、単に支配階級ということではなく、歴史的にはその前に絶対主義的という冠詞を伴うのだが。

支配階級は、自らの税収奪維持拡大は支配階級間競争にさらされ、生存競争そのものに支配される。

 

端的にわかりやすく言えば、戦争の道具である武器や武具に欠かせない鉄の加工品を製造する鍛冶屋による増産圧力が常にかかる、ということだ。

しかし相変わらずのその日暮らしの自営業の都市市民でしかない鍛冶屋の自営業的生産では、この需要拡大には、その数を増やすだけでは爆発的需要増には応えられず、生産システム変化需要=資本主義化をもたらすのだ。

 

この需要増が、生産速度、生産量増を求め、まずは自営業所得を総量で増やし、この所得を奪いながら所得集中を産む資本主義的生産システムが有効な生産システムとして導入される。

前章参照のこと。

 

息の長い農機具のレベルアップによる生産収益増より、領主の領地戦争での武器や武具の生産で、より速さと生産量が求められるのであり、支配階級間戦争にとっては資本主義システム導入が階級間の内部対立には至ることはない。

挙国一致、民族主義でこの国体の中で資本主義システムが成長できる根拠がある。

 

国債発行して負債を負っても生き残りをかけた需要増に沿った生産活動が求められるのだ。

戦争は、製鉄加工技術を育てながら資本主義的生産システムも並行して育てる、需要増の母になる。

消耗し追加生産が求められる。武器商人は最も儲かるのだ。関連産業も伸びる。

自国でなく他国への武器、武具販売なら、リスクは債権がチャラにならないように戦勝国にのみ販売することが求められることになる。しかし、戦争はどちらが勝つかわからない。リスクヘッジとしては、両国に債権を作るしかない。又は、債権の多い側に付いて参戦することだ。第二次大戦は、イギリスへの債権保護の為にアメリカは連合国としてイギリス側で参戦した。ドイツ債権は少なかったはずだ。その間、アメリカは生産力を増し、富を蓄積した。

 

中世では、支配階級は近隣領主間の領土戦にさらされる。土地本位制、農本主義だったから、土地=生産手段である。生産手段の争奪戦である。

武器の大量生産を求める為に、単なる消費材としての武器製造を、資本主義的な工場制の機械を主たる生産手段とする機械操作労働に転換していく。

ここでの需要を満たす所得は、税であり、税の前借りである国債の発行であり、国家貨幣鋳造の悪化によるインフレ政策などで必要分が賄われる。

 

この所得の消費により、機械製造労働が誘発されて武器の生産性は上がり、また消耗も激しいので、更に需要が続くし拡大する。

この需要を支えるのは、もう多数の鍛冶屋、ではない。

生産性の高い工場生産により、需要の大半を賄うと、鍛冶屋労働の需要による労働所得をマーケットから収奪する資本家による工場生産が生産所得を集中して受け取ることになる。資本が増殖できる。

増殖資本は生産手段投資と失業労働者雇用という資本家消費を誘発する。

 

中世の戦時には、自営業生産の資本主義化は、支配階級のニーズでもある。支配階級の生き残りには、鉄の加工消耗品の資本主義的生産システム導入は必須であり、平時の民間資本が不十分であれば、国家が自ら資本主義生産システムを実行するほどである。

しかし、材料調達や輸送など周辺環境が民間で育っていないと、後発組は暴力的な資源調達など侵略戦争になりがちで、敗戦につながりやすいが。=日本。

ということは、資本主義が主流の価値観なのか、領主の絶対主義の価値観なのか、後者の国体のまま資本主義システムを入れようとすると、国家資本主義にしかならず、国体は中世の王制のまま、生産経済システムだけが資本主義、しかも育っていないから総生産力は低く軍需生産のみが資本主義的に突出するいびつな政体ができあがる場合もある。

 

要は、トラクター生産もないところで戦車を生産する、車もほとんどない社会で戦闘機を生産する、などだ。

経済基盤がない中では自ずと力量不足の精神主義になりがちだ。

絶対主義での資本主義、市場未成熟、政治体制が絶対主義で合理的な生産消費交換システム、では自ずと矛盾と無理があり、崩壊した旧社会主義国に典型的であるし、後発絶対主義国家で資本主義導入国であり、戦前の日本は絶対主義的天皇制であり、国体は絶対主義、資本主義導入はあるという程度の未成熟国であったと言えるだろう。

 

話を戻して、本題に移る。

マルクスは資本主義のミクロ解析段階が主である。

しかしケネーの経済表範式を学び、賞賛し刺激されて再生産表式を表すに至っていて、この後に命が尽きてしまった。

これはマクロ分析であり、ここが不十分なのだ。

 

この後は国体論や階級論を除き数学的に偏った片肺の経済学としてソ連モスクワ大学卒のレオンチェフにひきつがれて国民経済計算即ちGDP理論が確立されアメリカで採用、その後は世界の国の経済運営の理論になってはいるが、国体分析=政治システムには対応していない分析のみの理論的に矮小化された経済学となっていて、マルクス的な壮大な歴史的改革的価値観や影響力はない。

資本主義未成熟な後進国社会主義=20世紀に破綻。

歴史観や方向性ない応用数学ミクロ経済学主体の近代経済学、では資本主義発展から衰退、発展後資本主義の先、は見通しがないのだ。

 

そして最大のテーマは、資本主義の成熟とその後のケネー式モデル作りに進みたい。

ここには、勿論数学的合理性は求められるものの、国体論や階級論を包含するものでなければならない。

この間の分析からは、国体論や階級論を歴史的に考察しないと資本主義の発生メカニズムは分からなかったはずだ。

不生産階級の資本家と労働者階級への階級分化による生産手段の高度化による生産性向上ニーズが資本主義の発生動機であるのだから。

資本主義の発生は、この間の章の積み重ねでざっとではあるが手応えを持って掴めた感がある。

資本主義は絶対主義的農本主義体制の母体から、その一部を発達させ必要性を持って変化して生まれた。これが成長して母体の大半、からほぼ全体が変化する、そして母体が資本主義となった時に、その母体の一部から変化して何かが生まれるはずだ。

弁証法そのものである。

 

次章から検討する。