経済と権力-1

▪︎不生産階級の生産階級化がテーマ

 

・農本社会から工業、商業社会への発展で、資本主義経済システムの果たす役割と意味を、ケネーの経済表範式を元に考察してみたい。

 

・そもそも経済活動とは、欲望の充足を目的とする活動を指す。

人が生存するには、欲望に段階があるにせよ各種の欲望を満たさねばならない。また、その欲望には限りはないが、欲望を満たすための生産活動=労働には常に限界があり、生産活動分の需要が実現し満たされるに過ぎない、ということになるだろう。

 

・欲望をどう遂げるかは、何通りかの方法がある。

個人しか存在しないロビンソンの場合は、全て自分一人で自分の為の食糧や暮らしに関わる必要物を自然の中から採取したり加工したりする生産労働により生産するしかない。欲望の達成には、自らの労働のみが関与し実現する。分配や交換がないのだ。

 

・しかし現実の集団社会は、他人の労働成果物を暴横領したり、譲渡を受けたり、また、流通市場を経由して分業生産物を交換により不等価交換したり等価交換したり、生産物からの需要を満たすには様々な方法が選択できるし、また、組み合わせも可能である。

(古典派的経済学は、流通による等価交換に限定されている。

これではマルクスの言う通り経済の根底にある現実の階級社会を説明できない。

例えば貨幣経済による国家の通貨発行権の問題や税収奪の不等価交換など経済全体を説明するには国家の権力構造を国体として把握しながら流通や交換を鳥瞰するマクロ的な視点をあわせもたなくてはならない。数学での制限条件付き証明の世界では十分条件は得られないのだ。

 

マルクスは資本主義萌芽期の限界の中で、生産活動をミクロ分析して階級闘争の根源となる剰余価値を発見している。資本論というより経済学批判なのだ。

しかし、ケネーのマクロ手法をかなり肯定的好意的に捉えて再生産表式として自らの理論に取り込んだほどであり、この部分だけはマクロなのだが、権力論を包含したマクロには到達していない。

その為、階級闘争で個人資本家は倒せてもマクロ的には他の競争資本家による支配に変わるだけであるし、1資本主義国家を倒しても、他のより強い資本主義国家の支配に手を貸すだけとなる。

1農本国家を倒して政権を奪取し国体を農本経済のまま社会主義政権を打ち立てても、生産階級から税として略奪して、官制需要だけで工業化を進める経済システムであり、市場経済が育たない軍事的重化学工業優先政策しか取り得ない。また、資本主義国家との資本主義的生産競争にさらされるので、市場経済での国民需要システムを作れずに崩壊するか、自らが批判していた資本主義に変化するかしかない。前者はソ連、後者は中国で検証されたが。

ロビンソンではない、国家を基礎とした人間集団社会は、存在主流は階級社会であり、この体制とそのエネルギーで、欲望(より良い暮らし)の集団的需要を集団的生産活動で支える。この場合は、階級対立と資本主義発展とが拮抗関係になるが、資本主義発展が順調に進むなら、階級対立は抑えられる。

農本階級社会が、工業商業サービス階級社会に変化するのは経済的発展の自然なプロセスであり、欲望がより満たされる=食糧以上の欲望へと生産システムへの変化でしかない。

不生産階級の生産階級化は総欲望の総実現の為の生産活動の社会的ニーズとして肯定されるべきものである。要は国体のマクロ経済把握が問題であり、資本主義を無くせば牧歌的生産力による牧歌的需要を満たせるに過ぎないということだ。)

 

・しかしながら、流通を経由しない横領や譲渡、流通を経由する不等価交換を包含しながらも、社会の欲望実現の総体=総需要は、社会の生産活動総体で達成していることに変わりはない。

総需要は総生産の枠の中で得られるのだ。

総生産を分配の切り口から見たのが総需要でしかない。

総需要は総生産物の分配後の合計値でしかない。

総生産を社会的に分配した結果が、総需要である。

 

・総需要に着目すると、社会構成員の全人口の最低限の生存需要が満たされている生産力量があった、ということを結果として証明しているに過ぎない。

生産力が生産階級で生存の最低限の需要を超えて得られる場合、即ち言い換えれば余剰生産物を生産する生産能力がある場合は、非生産人口をかかえることができる、ということがわかる。

生存の最低限界は農業生産物即ち食糧生産であるから長い歴史は余剰農産物の生産を維持する社会システムを国体として採用されて来たといえる。

 

ケネーの経済表範式は、高度に発展した農業社会生産と支配のシステムモデルであり、このモデルは資本主義システムを内包していたし、少なくとも内部にその萌芽が見られるのだ。

 

・農業生産力が高まるには、農業生産人口の増大と農業生産技術の向上蓄積が必要であった。

平和に満遍なく皆で農業して平等に分配する離島や村の社会システムよりも、権力で収奪することで、より生産力を要求する強制力の存在する社会の方が生産性を向上させた歴史的結果として、階級社会システムが勝ち抜いて来たのだ。

支配階級は、武力と思想統制に宗教などをも利用しながら支配=収奪を、もう一方で領土を広げ、また属州や領民を増やして、更に余剰生産物を拡大する階級社会として勝ち残って来たのだ。

 

・農業生産は、勿論人間生存の最重要需要であるが、一粒の麦から何倍もの麦を年に1、2回収穫できるという付加価値生産を可能にする。

食糧生産増は人口増をも促す、即ち非生産階級の存在を可能にするわけだ。一方で農民を削減して他階級への人口移動も可能にする。

非生産階級人口とは、生産階級から離れて生産階級の生産する余剰生産物に依拠して、生産活動を行わないで総需要の一角を担う人口である。

ただし、生産階級からの収奪は、人口の大半を占める農民から一人一人の余剰?生産物を集めるのではなく、生産階級内の資本家にあたる、借地農経営者たる領主、又は地主、日本なら庄屋、などを経て納税を現物か貨幣かを問わず、貸したことに対する謝礼として合法化された借地=領地権の代償として、又は国土からの借地権の代償として収奪することになる。

 

・従ってこの国体は、借地農経営者を中間管理職とした、農奴、借地農経営者=領主、国王の3階級から構成された社会であり、生産階級に区分されるのは農奴と領主であり、支配階級と区分される。

領主と王の違いは、領主には生産性向上欲求が内的にあり、その元となる内部留保欲求がある。しかし、その内部留保を自らの消費にのみ当てるならば王と何ら区別されないことになる。固定資産投資=固定資産形成=原前払いによる生産力増大投資を行う動機が階級区分からある、というだけだ。

 

・さて、総需要の一構成要素としての譲渡とは、父親が妻や子育てに労働所得を与える場合や国が老人や健保等社会保障に与える場合があるが、後者は税の使途であり、減税と変わらない。

また産業に補助金を出す場合等もある。これは法人税の使途である。

横領とは、犯罪、徴税、略奪戦争等を指す。

これらは生産ではなく余剰生産物の所有権移転行為である。

この移転や交換を可能にする元は、余剰生産物であるが、横領や略奪は余剰生産物不足=総生産力不足であっても可能である。しかしここでは略奪から守る力も働く為略奪される側との紛争となる。紛争には金とエネルギー消費を要する。

結局のところ略奪原資が不足するだけなので、生産した方が楽で安定的であることから、生産と流通による経済に落ち着いていく。

また、税収奪は、他の略奪に勝ろうとする権力のニーズがあり、略奪するやからを駆逐する力学が働く。

こうして、税の収奪以外は税による支出含めて市場流通されて不等価交換も徐々に等価交換に収束していくことになる。税による消費のみが不等価交換として流通に関わることになる。

 

・余剰生産物から支配階級への納税分になお階級内に残余生産物がある場合は、これが生産階級内資本となる。ケネーの経済表範式では10の余剰生産物が利子要素として残るが、固定資産減耗分を補充形成して10と交換支出して終わっている。

 

経済表範式は、生産階級に新規の固定資産形成をさせない、補充のみ許す、生産性向上を阻害して税として余剰生産物を掠奪し尽くす単純再生産を強制している図式である。

しかし、これは前述の長年かかっての現前払い=固定資産蓄積100の形成を無視している。

歴史的には、生産階級の内部蓄積があったわけだ。

この蓄積は、所得-消費=貯金、というように、例えば領主が農民にまともな衣食生活をさせずに年前払いを節約させて原前払いに備蓄することも可能である。また、領主が総生産量を低く支配階級に報告して利鞘を充てることも可能である。

これは支配階級もこれ以上の贅沢=消費は長期的にはできないと同時に引き換えに国体を維持できるというものだ。

固定資産減耗の元となる固定資産=原前払いが既に生産階級内に存在するということは、税収を逃れた余剰生産物の蓄積が既に実績としてあったわけで、単純再生産でない税を逃れた余剰が過去にあり、これが固定資産となり、労働と結合して税収を生み出す余剰生産力の構成要素となっている。

しかし、よく観察すると内部留保を固定資産形成に変えるには、不生産階級の成長がなければならない。範式の時点は、おそらく農民からの収奪による内部留保のうちからの次元の低い=工業生産力に依存しないレベルの固定資産であったと推察される。

例えば牛馬の育成や、開墾による耕地面積の拡大、農機具の鍛治職人からの購入、荷車など、貧弱な不生産階級との交換によるものではないか?

 

・階級内に階級対立ある場合は、実際は階級内対立があるのだが、階級内支配階級にその富は集積する。即ち農民や農奴ではなく地主=領主に富が集中する。

この集積された富=資本は、不生産階級に生産委託して増産を促す固定資産形成としたり、自国不生産階級が弱体な場合は、国外から余剰生産物輸出と引き換えに固定資産物を購入交換すれば良い。

 

・支配階級は余剰生産物を消費する領主や地主の扶養家族のようなもので、地代や利子にあたる余剰生産物を消費することで、投資即ち固定資産形成を行わず、消費だけを行う階級である。

もし減税にあたる支配階級=国王、君主の余剰生産物からの取り分を減らせば、余剰生産物はより多く領主や地主に内部留保される。これは彼らの消費だけではなく固定資産形成に使われるから、より経済発展=生産力拡大することになる。もし、地主や領主が資本分を消費=贅沢の目的で使うなら、支配階級となんら変わらない。余剰生産物で不生産階級に固定資産形成物を作らせることで生産力を上げることができるから、地主、領主は単に支配階級とは異なり、生産組成に例えば機械化を導入するなどして省力化や生産量増加を促し、資本増殖させる資本家としての役割があり、これを不生産階級の生産活動に応用して資本主義社会を実現するブルジョアジーに転化もできるのだ。この能力のないブルジョアジーは消費と贅沢の貴族化するが、生産基盤が伸びないのでいずれは没落する。

支配階級の税収が固定されたままなら、生産階級内の内部留保が増えるが、それは内部留保の地主や領主の消費ではなく、固定資産投資により更に資本が増える。このことは支配階級との対立を醸し出し、国体を揺るがす。

もし、不生産階級の支配権を生産階級内の地主や領主の配下に据えて内部留保ができるなら、ブルジョアジーによる支配が可能となる。

ブルジョア革命を経た資本主義化が進む。富が旧地主であるブルジョアに集積するからだ。

農産物課税収奪システムから不生産階級の工業化による内部留保を得ることで富を蓄積できる。ここへの課税は支配階級には困難だ。借地はわずかでしかない。

不生産階級の発達をブルジョア階級が進めることになる。不生産階級の内部留保可能な生産階級化である。この資本主義は、農業と工業、商業との垣根を払い、内部留保を可能して固定資産投資による資本の拡大を自己目的化するシステムに統合される。

にも関わらず、農奴からの収奪同様に初期は低賃金長時間労働内部留保するしかなく、内部留保を固定資産投資に運用してはじめて、高い生産性とより高額の内部留保が可能になる。初期段階はマルクスの言うように収奪構造でしかないが、固定資産投資が始まると、固定資産生産労働に移行できることから矛盾は解消できるが、階級対立は初期の体質を引きずる。体質だけでなく、初期の収奪方法のまま、という企業も日本には多く残っている。

 

・固定資産を労働と結合させる労働により、生産階級(農民階級のこと)は生産性向上でき、固定資産減耗分の生産階級内労働人口を余剰人員とすることが可能となり、不生産階級への労働移動が、労働需要としても増大していくので、そこに移行して工業生産に活用できる。また、生産階級内労働人口減少による内部中間消費も減り、その分も生産階級の資本蓄積に組み入れられもする。

 

・一方で不生産階級も、鉄加工の匠=鍛冶屋などの工芸職人、商人、などのような職人的不生産状態=資本蓄積ない=原前払いのない、食うために仕事している委託業者で、相続できなければ資本形成できない。

ここからも資本主義発展には、ゴーイングコンサーン=企業の法人格化は重要である。職人から工場生産の集団的生産システムへの移行である。

 

職人生産から脱皮して、労働者雇用による工場生産に移行すると、余剰生産物を得られるようになる。

このノウハウは生産階級=農業の領主や庄屋からの資本の移動を兼ねた転身によりなされる。

資本家の前身は借地農経営者即ち領主や庄屋であった。

そしてまずは無賃の超過労働により、資本が蓄積され始めるのだ。

=イギリスにおける労働者階級の状態や女工哀史

ここで、マルクスはこの段階での階級感での革命論を論じた。

 

・しかし、それも長続きせず、生産力向上は停滞し、社会問題化する。女工集めて長時間労働では生産性向上に限界があるのだ。

機械導入により、その減耗分を生産労働に付加することで生産性が高まり、生産階級に起きたと同様の変化、即ち機械化による労働者の削減が可能となり、削減分を資本として蓄積できるようになり、その資本の使い道として、生産財としての機械そのものの生産需要が高まり、工業が発展する。

機械生産があれば、工場生産で削減される労働者も職が移動で済み継続する。これが前期資本主義であり、通らなくてはならない農業に次ぐ工業の発達段階、派生して、これらを市場全体に行き渡らせる商業、金融や信用も同様に発達してそれぞれの業種で資本形成も可能になる。

この段階ではケネーの生産、不生産の階級区分には意味がなくなり、単に農、工、商、サービス業の産業別の区分でしかなく、資本主義経済システムで一括できる。

 

・これらは、流通機構の拡大=市場の拡大が続く限りにおいて継続し、農本主義が資本主義になり、経済発展して農業、工業、商業の区分けの必要のない、不生産階級の生産階級化となるので、もちろん中小や産業の一部に零細自営業者のような不生産階級を残すとしても、圧倒的には不生産階級の生産階級化が進み、資本主義として資本家と労働者とそして支配階級としての国家、という三段階構造となる。

 

・歴史の発展から、資本家はすでに個人資本家ではなく、出資者の配当や利子や地代の形で富は分配される為、中間層という、貯蓄可能な労働者も増え、部分資本家として機能し始めると、個人の経済格差として現れるだけで、悪徳資本家が労働強化で収奪しまくる初期の資本主義のイメージでは理解しがたいものである。

ただ、資産が5億円以上ある人を資本家と呼んでも差し支えない、と言われており実態はほとんどは労働者階級であるに過ぎないのだが。

 賃金より配当に手厚く、という企業の姿勢が継続すればそれで十分なのだ。また、労働者階級であっても消費を抑えて貯金をして株式に変えれば、配当は得られる。賃金以外の所得は得られるのだ。

ただ、大株主でない、というだけでしかないが。

 

 ・ここで、流通と貨幣について述べなければならない。物々交換などは歴史的には立証されてはいないが、交換流通を現物通しでやることは困難で、時間の概念を加えると更に絶望的になる。

で、農本社会でも余剰生産物の流通はあったので、現物主義から徐々に貨幣を媒介物として交換がなされるようになった。

ましてや資本主義社会では貨幣流通経済は加速することになる。

 

・少しそれるが、貨幣納税を国が強制すれば、市場内では貨幣流通し、国家の通貨発行権による通貨が流通するわけだ。

法定通貨が金(きん)なら、それは金という商品貨幣だから信用はあるが、現代日本を除き、世界はインフレの歴史であり、経済規模拡大により金不足となるので、尺度と権威の法定貨幣に移行する。金本位制といっても、いざという時だけ金と交換できる、という見せ金に過ぎない制度になるので、アメリカが1970年代にニクソンショックで交換停止を宣言しても、ドルは国際通貨として君臨できたのだ。

ドルは国際的な法定通貨となっており、ドル建てでの流通経済が出来上がっていて、各国通貨が国際的にはローカル通貨でしかないのだ。

ユーロがチャレンジしているが。

法定貨幣は単に強制尺度である為、税収を超えた通貨発行が可能となる。即ち税収を超えた消費を通貨発行権を持つ支配階級に可能とする、ということは、不等価交換が市場内に持ち込まれることになる。

物不足としてのインフレではなく法定通貨乱発による貨幣価値の下落によるインフレが歴史的日常的に世界的には起こっていて経済成長とともに継続しているのだ。現代日本では経済成長が止まっているのでわからないが、ドルは対円では常に下落傾向に動くわけだ。金融緩和しない限り。今やってる異次元緩和やらなければ円高になるし、金融緩和した分は預貯金となるか、銀行の負債を増して銀行イジメにしかならないのだが。

 

国際経済で考えるならば、アメリカ以外で流通するドルは、アメリカの独立金融資本であるFRBが印刷するドルであるが、世界はドルないと石油など輸入できないから、ドルを備蓄せざるを得ない。

ドルのアメリカ以外の分は、シニョリッジなのだ。アメリカはドル印刷で各国から物を買う=不等価交換できるのだ。それでもアメリカはインフレに襲われる危険がない、即ち支配階級が余剰生産物を法貨で納税させ、その交換物として印刷貨幣を支払っているのと同じである。

現代では、各国の国家の上にアメリカが超国家として君臨している。

国際通貨の占有権=通貨発行権をアメリカが保持しているのだ。中国でさえドルペッグ制であり、戦争になれば保持するドルは米国債化しており債権は紙屑になるから、本質的には逆らえないのだ。

 

軍に物を言わせて中国が世界を支配して、元が国際的に通用し流通するようになって初めてアメリカに代わって現代帝国主義の座を得ることになる。

経済力で追い抜いた、だけでは支配権は不十分なのだ。アメリカが中国に話し合いで世界通貨の座をゆずるはずはないのだから。軍事力均衡が崩れればその座は変わりうるが。

 

・現代は、労働者階級、資本家階級、国家、世界=アメリカの4層階層であり、国家の位置が弱まりつつあるアメリカ標準のグローバル化が進行しているのだ。

 

・後期資本主義を-2で考察する。