経済と権力-草稿2

・まず復習。

ケネーの経済表範式モデルとは、以下の通り。

生産階級(農民や漁民や工夫など一次産業従事者)

は、20の年前払い=前年生産物と、100の固定資産を活用して10の減耗を伴いながら生産し、50の生産物を得る。うち、20は次期生産に保存して、30を流通に回す。余剰生産物である。

流通に回された30のうち、生産物10を支配階級消費用に販売、貨幣10を得る。

更に生産階級は生産物10を不生産階級の原料として販売し貨幣10を得る。

そして生産物10を不生産階級に食糧他で販売し、貨幣10を得る。

生産階級は合計で30の貨幣を所持するが、20を支配階級に納税し、10を不生産階級に販売し、固定資産減耗10を補充して今期を終了する。10の不生産階級の貨幣は翌年の年前払い資本に保管される。

 

支配階級は、前年納税20のうち食糧購入10、残る貨幣10で、今度は不生産階級に消費材購買に支払い、不生産階級生産物を購入し消費する。

(しかし、この交換は一方向で等価交換ではない。略奪消費である。官制需要を流通でもたらすのではあるが)

不生産階級はこの貨幣10を生産階級に支払い、生産物10を得て消費する。

 

生産階級は30の貨幣を得るが、このうち20を支配階級に納税、残10の貨幣で、固定資産減耗10を不生産階級から補充してもらう。

年前払いとして、

生産階級は20の生産物

支配階級は20の貨幣、

不生産階級は10の貨幣、が次年度用に蓄積される、というものだ。

 

・原前払いと利子

ケネーの階級分類では、少なくとも生産階級には既に100の資本即ち原前払い=資本=固定資産があり、減価償却が10年の固定資産100がある。

これのうち10を1年で減耗しながら50の余剰生産物を産み支配階級に20を納税する構造だ。

正確には50を生産し、20を年前払い保存するので

50-20=30を産んでいるが、そのうち10は固定資産減耗によるもので補充せざるを得ないからだ。

 

それと、生産階級としての分類の中に、100の固定資産=資本は既に備蓄されており、そのうちの10を労働と結合することで高い生産力が得られるのだが、過去に内部留保ができていたわけである。

生産力向上に役立つ生産物の資本蓄積が、領主や庄屋の所有権であろと農民の所有権であろうと階級内に備蓄され、維持補充を要する減耗生産材が納税後にも確保=内部留保蓄積されていたわけである。

勿論それは単年度ではなく長期を経て蓄積されたものである。流通に投入されないで済まされた余剰生産物である。

余剰生産物は20で全てではなかったのである。

この固定資産形成が毎年できて尚、余剰生産物を流通にもたらすことができるから生産階級なのである。権力と生産階級の分配を巡る階級対立があり、生産階級の減税闘争の結果?又は脱税の結果でもある。

しかし、ケネーはここは深掘りしておらず、単純再生産として10の減耗分のみ補充しているが、ここは100の固定資産形成が暦年にどう作られてきて今後どうなるのかの説明がない。ただ減耗補充分に利子と小さく書きこんではいるが。(^^)

最終生産物は実は、40+δであり、モデルは10で定数にして単純再生産として断面を示しているにすぎない。実は10プラスδであり、δは利子であることに気づく。ここに生産階級の生産性向上の即ち拡大再生産を導く根拠がある。また、支配階級が税収を強化できるのりしろでもある。要は利子がここに入り込むのだ。

この内部留保は、貯蓄であり、貨幣形態で生産体系からははずれた種子の冬眠の状態から、流通を経て生産材など償却性の固定資産の形態でもよいし、資本そのものである。この資本の所有権は階級内に存在するわけだが、階級内支配者即ち領主や庄屋か農民かどちらに所属しようと貨幣形態なら直接間接を問わず、資金需要に流れ込む。金融機関を通じて。

投資資金として産業の固定資産に投下され労働と結合、余剰生産物を換金することで利子を確定する。

 

これが実需に代わって猛威をふるうのが後期資本主義であり、金融資本主義の時代を迎える。実需に使う貨幣資本需要が相対的に少ないのだ。需要の壁が近づくにつれて、資本蓄積が進み、実需不足で投資に回らなくなり、金利も低下するわけだ。

要は金余りとなり有効な投資先がない状態になる。

 

農民から君主に直接納税するとは考えられないから、領主や庄屋を通じて納税されていたはずで、とすればこの内部留保は彼らに所有権があったというのが妥当だろう。農民の作業着や靴、鍋釜などの不生産階級生産商品も村の定期市で自由に交換、というより領主や庄屋経由から生産階級に支給された、と考える方が妥当だろう。村の定期市は闇市場でしかなく、制約を受けたはずで、フリマを領主管理のもとに所場代を跳ねることを目的に領主管理下で許可されたと考えられなくもない。その程度だったはずだ。

階級内階級対立で、この年前払い費用にあたる支出を領主がけちっても内部留保が増える。

だから、農民には高く売りつけることができるから村の定期市に委ねるのはもったいない。

農奴にその原資が給付されていれば、農奴が節約すれば農奴の所有権のある固定資産原資=資本が得られる。農奴が給料制での雇われ農民であれば、賃金所得が発生するから、所得ー消費=貯蓄、であり貯蓄は貯蓄=投資となり金融資本化し生産需要に活用され利子を産む。現代と同じく労働者の賃金所得の預金で利子所得をも得られるのだ。

 

いずれにせよ種もみや農民の食糧、一年で消費する年前払いとは別に、10年で使い切る農作業用の固定資産が領主や地主や庄屋の元に主には備蓄活用されていたはずだ。この備蓄は不生産階級が確立される前は、農民からの収奪を溜め込んでいたはずで、支配階級への納税とは別の労働を追加で農民に課していたことになる。これが階級内の外に出ない税収であり、階級内対立の元となる。

 

とすれば、不生産階級の資本蓄積を可能にするのも単に職人生産と商人、とかでなく資本家と労働者の階級分離による工場生産、大規模生産となり、領主や地主、庄屋が工業需要の増大で、資本家に転化し、農奴が労働者階級に転化していくことになり、歴史は実際にそのようである。

工業需要の急激な増加は職人生産で食べられる分の労働をする単純再生産程度の生産力では済まない、欠乏的需要の発生がないと、即ち官制、民生の自然の需要に応えて生産する、では済まない生産力を激しく要求する需要が発生しないとなかなか不生産階級の階級確立即ち資本主義需要へは移行しない。

不生産階級内で内部留保ができるような規模にはならないし、君主への納税もできない。この農業社会から工業社会への移行要求は、保守的な農業主体の生産体系の延長線上からは自然には生まれにくい。農業社会で既に過剰生産されていて、内部留保も出来上がっているのだ。

考えられる最大の動機は戦争であろう。

 

・生産階級による自然増も既に階級内消費を超えて非生産階級人口をもまかなえれば、生産増需要は乏しく、輸出による他国消費に頼る生産性増はありえるものの、農民人口の削減による不生産階級への移動を選択する方が自然である。

 

・仮に、戦争になったとして、大量の武器が必要になったとする。官制需要が通常の職人生産では間に合わなかったとする。どうするか、だ。

まずは農民から工員を調達する。それには機械化による農業労働の生産性を上げることが求められる。

これにより、農業就労者を過剰にして不生産階級に移行できる。

しかし、それ以前に生産に寄与していない婦女子や子供を動員する方が早い。

また機械を動かすエネルギーや機械生産=生産材生産が必要になる。これが更に工業化需要増大となる。

この需要は君主の需要であり、既存の納税額では不足し税収を上げなければならず、原資は限られているから、将来払う約束で金融業者から借金をすることになる。現実には国債を発行し金融業者に買わせることで資金を調達することになる。

負債の増大による資金調達で、ギルド的な職人工房は、工場生産に取って代わることになり、地主や庄屋は、資本家として固定資産を減耗させながら労働者を雇用して生産するが、黎明期には労働時間延長分を収奪することで、階級内に内部留保し、この資本を設備機械投資に振り向けるから、更にその工場ができ雇用がされるという循環で矛盾が起きることは少ないが、不生産階級の内部留保か、納税かの矛盾は相変わらず支配階級との間での対立はあり、アメリカのように納税を拒否して共和国を作ることになる場合もあるが、折り合いを適当にする場合も多い。拒否は国内戦争を伴う。

 

人と機械導入により飛躍的に生産性が上がるが、納品単価が変わらなければ、生産量増大分が剰余価値を産む。工業化は飛躍的に発展し、商業や運輸、金融やサービスなども派生的に発展する。

これらの人口を支えるのは農業生産性向上であるが、人口を超える生産力は必要がない。食糧不足の国外に輸出できれば別だが。第一次二次大戦時のアメリカはヨーロッパの食糧需要をも賄う農業生産力に至った。

 

しかし、和平が結ばれて過剰な生産力の行き先がその後に問題になる。アメリカで言えば銀行借入で農家は輸出前提で機械投資して農業生産を拡大したあとで、輸出先が復興し過剰生産となって恐慌に至った。

現在のアメリカの農業人口は人口比農民は1%である。いかに機械化されているかだ。

こうして、人口の産業移動が起こる。不生産階級は生産材生産への移動も進む。これも飽和すると、更に生産性を上げる行き先がなくなり、生産過剰となる。商業や流通、信用制度も普及し終わると需要不足になるのだ。工業化はここで農業の場合と同様に需要分のみを生産すれば良い、で統合と縮小の時代となる。資本も増加はしなくなる。

そして需要不足が決定的となり、成長が止まる。

黄昏のデフレ経済と金融資本主義が主流の時代に突入することになる。