経済ノート-2

1. 前期資本主義の発展進行の結果として、国内には多様な産業が育ち、これらの生産性を向上させる為に重化学工業のような、投資型の産業が発展する。

この種の産業は、固定資産を生産するので、他産業の生産性向上に寄与する生産財を生産するのであるが、またこれ自体が新たな雇用をもたらすので、生産性向上による各産業に発生する余剰人員の受け皿にもなり、理想的な全産業の発展により農本社会から資本主義社会に失業を伴わずに以降発展できる。

この発展は流通量を増加させるので、運輸と商業も発展させ、金融も発展させる。同時に発展期は資本も労働所得も増え、社会保障制度も充実し、社会蓄積される為、金融資本の原資が社会的に蓄積し、後期資本主義=金融資本主義の土台が形成される。

 

2. 資本主義国への発展は不均等であり、先に発展した国は、国という閉鎖経済では需要は飽和し、原料資源も不足する為に、国外市場や原料調達の為の国外取引先国をできれば不平等に求めることになる。植民地であり、経済ブロック同盟国である。

閉鎖経済のままで、階級分離が強くなければ資本主義は需要不足から生産縮小し停滞して単純再生産の本来的な意味での社会主義国=単純再生産型のポスト資本主義中世国となる。

しかし、国外に市場があれば生産縮小せずリカード的分業を働かせることができる。ただし植民地の資本主義発展を阻害する為、後発資本主義国は国内では保護主義を求めるし、発展スピードも伴わず、低賃金で国外市場に挑戦することになる。この摩擦が第一次大戦で再整備され、ここで死の商人となったアメリカの台頭、既存資本主義国の消耗と植民地の再分割、遅れた農本社会的資本主義ソ連社会主義化をもたらした。

ソ連は、絶対主義を倒したが、農本社会の経済構造の為、新政権もその上部構造に置き換わったのであり、資本主義生産は国家資本主義として市場経済の発展を通じてでなく行われ、戦時であった事もあり、戦車の大量生産のような武器生産を可能とする重化学工業最優先となり、その限界=絶対主義的上部構造のまま国家資本主義を官僚政治で進めることになり、消費財生産が弱く自由生産、自由市場のない、イノベーションの欠資本主義による限界から、1990年に自滅的に崩壊したものである。

その後の社会主義も同様の農本経済の植民地の独立運動としての世界的連鎖であった為、同じ末路を辿るか、資本主義を社会主義政治体制で行うことになった。統制経済の色彩の残る資本主義である。

 

3. 重化学工業の発展含む全産業の生産性向上は、各産業で過剰生産力をもたらす。

この過剰とは、需要に対する生産力過剰である。閉鎖経済なら、生産調整に入り、まず重化学工業の固定資産生産縮小が始まり、各産業でも生産調整生産縮小になるが、すでに生産性は高いのでまずは重複産業を統合し、労働力を削減する為に失業者が増え賃金が低下する。非正規労働も増える。労働することでしか生存できない労働者は、預貯金あれば取り崩し、国に社会保障システムあれば国の負債での所得移転で救済される。人口減が最も有効な対策となる。そして需要と供給がバランスが取れれば、ポスト資本主義中世=単純再生産社会に移行できる。

黄昏的な安定社会である。これが本来的な社会主義なのだ。反植民地主義的な農本経済的社会主義時代はもう到来する必然性はない。

 

ロビンソンで言えば、食糧特に漁業の生産性を高めるために、投網や小船を作り終わった状態で、家も完成し服も作れて、要は新たな投網生産等の労働時間を割く必要性はなく減耗補修だけで済むわけで、この時間的余裕が他の労働需要に振り向ければ良いのだが、一通り終わると、労働時間が最小になり余暇時間が増え生産力が定常化する単純再生産構造に到達する。同じことが社会的に起こるだけだ。

 

4. しかし世界が1つの閉鎖経済になるまでは上記のようにはならない。鎖国社会が成立すればの話でしかない。

生存競争があり、自分だけは勝者になりたい、敗者の屈辱を避けたい、という中ではグローバルに動く。

2度の大戦は国内生産力の維持発展を求めた結果としての市場、植民地争奪の戦いだったが、今日のグローバリズムは生産拠点の支配権争奪戦の様相がある。以前の帝国主義、国内生産力を維持し増加させる為の市場ブロック経済圏の争奪戦から、生産拠点支配権の争奪戦に変化しているのだ。

資本は国内生産からの利潤だけでは頭打ちになり満足できないのである。自国労働者を減らし、生産組成の労働力商品を国外生産拠点に求めることで、発展途上国の労賃を自国労賃のブレーキとして使う。

このことは、国外リスクを無視すれば、奴隷的低賃金労働者移民を国内に入れるに等しい。

国外で生産組成すれば、組成の中の労賃が下がるだけだから剰余価値は上がり、更に拡大再生産が起きる。それは配当増として労賃の側にはゼロ解答で失業リスクさえ押し付け、100%資本増殖となる。更に再投資に向かうから国内は税収不足となる。

資本主義発展期の社会保障財源である家計の公的私的年金や生命保険、家計の貯蓄、ありとあらゆる金融資産が投資会社や証券会社を通じて運用先を彷徨う。実体経済の3倍と言われる金融資産が実体経済に群がって増殖を目指す。この資産を担保にレバレッジを効かせて信用取引が行われる為に、3倍の金融資本がグローバルに投資先を求めて彷徨っている。需要不足の先進資本主義国はその対象にならない。発展途上国に投資需要があるのだ。

中国が世界の工場を一手に引き受けたことで、またこの国が統制経済であり、官僚主義国家である為、下部組織や地方組織は争って高い成長を目指した。

返済の可能性ない投資を呼び込んだ。重化学工業は世界の総需要さえ賄って余りある規模の投資を外資で行った。しかし、世界の総需要を超えた生産力は稼働率が低く、長期の生産調整=経済縮小、徳政令=借金の放棄を迫る破綻、劇的バブル崩壊、いずれかの道の選択が迫られている。

総じてグローバルには、生産過剰=需要不足となったのだ。

日本に端を発するデフレ経済は、先進国の全てに伝染しようとしている。このことが後期資本主義の構造的特徴なのだ。しばらくは、中国が生産調整に入り、第2、第3の中国を作りながらインド、タイ、ベトナムバングラデシュなどへと金融資本は移動して通り過ぎた国にバブル崩壊を味合わせながら。

 

5. もともと、日本人は日本人としての一体感はないわけではない。家族の一体感も。しかし、日本の現代では、帰属する企業の一体感が勝るのである。日本の一体感は国家公務員にしかないのではないか(^^)

個人は複数組織に帰属しているが、労働者階級は就職により生活費を維持しているから給与支払い元に帰属する。

リタイア族は国の年金に紐づけられるが。また、失業者は失業保険や生活保護に紐づけられる。要は公務員や社会保障受益者は国の庇護下に、それ以外は税の生産者であり賃金支払い者に帰属する。

従って生産縮小生産調整は致命的であり、国外生産含むグローバル化には応じざるを得ない。

 

6.  グローバル化は資本の要求であり、国内生産投資より発展途上国の生産拠点化投資が収益性が高ければ遠慮なく国民を見捨てる。が、混乱を避ける風土は日本の法人にはある。

この段階の世界には、2大戦的な、国同士の民族主義的な戦争は起こりにくいのだ。

生産のないところに、金融利潤はない。

金融だけならゼロサムである。

生産が国内に限定された旧社会とは別の金融資本主義時代なのだ。

生産拠点をどこに置くのか、の争奪戦なのだ。

1つの製品が生産拠点を複数の国にまたがって行われることも多い。CPUはアメリカ、メモリは台湾、基盤は中国、組み立てはベトナムなどのように。ここで国際紛争があれば工場が移転してしまい国民が露頭に迷うので、誰もやりたがらない。資本も投資が回収不能となり投資回収できないと配当が得られないのだ。労働能力や労働の質、宗教や教育水準などにリスク回避を組成して生産工程や生産品は選択される。自国で全て完結するものはない。もともと石油エネルギーは輸入なのだ。日本は食糧まで輸入なのだ。

 

7. 日本の高度成長期は、国内生産と輸出が基本であり、労働者階級は、農本時代の名残の農家から農家の生産性向上によってではなく、安価な農産物の輸入により都市や工場団地に人口異動した。

もはや都市に集中して久しく、実家が都市だったりするが、実家に戻る必然性はない。生産産業の周辺に移住する為、グローバル時代には国外で定年を迎え、そこに老後は定住する場合さえある。国同士の戦争に意味がないのである。

 

8. グローバリズムは、金融資本と発展途上国には意味のあるものだが、先進資本主義の国民には中間層から発展途上国レベルすれすれにまで落ちるのだ。

部分鎖国=保護主義を行い国内仕事を増やす、高関税による産業保護、仕事しないと食えないし、高い所得水準を維持したければこうするのが一番なのだ。安い海外製品で自国産業を崩壊させるのはグローバリズム思想改造攻撃なのだ。

日本は食糧やエネルギーを輸入に頼らざるを得ない。この分の輸出を得意分野で行えばよいのだ。

小さな政府にしなければならないし、社会保障も自助を基本としてアジア特有の政府依存精神を変革しなければならない。

独立、自由、平等、博愛を基礎とした国家作りをしなければ。