経済ノート

1. 経済学の歴史は、農本社会から資本主義社会への移行の歴史であり、現代にいたるまでの短期間の歴史である。

常に後追いでの分析に終始した中で、マルクスケインズ新自由主義と理論が現実経済に挑んでもきたが、成功はしていない。実体経済以上に金融経済が発展し、リーマンショックの予見を誰もできず、その結果としてのグローバルデフレ経済が進行しつつある。これへの処方箋もないまま保護主義が散発的に台頭している。中国発のバブル崩壊が取りざたされているが、予見も治療法も対策もできていない。

資本のグローバル化により、難民移動が起きており、島国日本は対岸視できている。

 

2. 農本社会の基本モデルは、ケネーの経済表範式での3階級(生産、支配、不生産=商工)であり、日本では士農工商の江戸社会である。これは農本社会の世界的普遍的な階級構造、国体である。

日本でさえ、つい150年前まではこの農本主義であったわけだ。

農民の囲い込みと支配が封建社会の本質である。この支配から農民が離脱するには、革命か逃散しかないが、明治維新後も農業は低い生産を継続する支配を継続したままの遅れた国家的資本主義建設のパターンであった。今の中国もどきであり、労働者所得の消費経済型の資本主義モデルとは異なった発展方式である。

 

3. 農民による余剰生産物生産が、他の階級人口を存立させる原資である。支配階級が余剰生産物を収奪し、支配階級と不生産階級の人口を賄う。

農業は、太陽エネルギーの固定化により、種子生産物自然増が得られる。単に変化させる不生産階級の生産様式とは異なり、人間の生存に関わる最低限のエネルギー生産方法である。

ここを経済の根幹に置くシステムである為、余剰生産で原前払い=固定資産形成を行い、その固定資産減耗により生産増を果たしてきた。生産性を向上させたのは、この部分である。この固定資産形成は、生産階級が支配階級の税収奪との拮抗の中で得た内部留保であり資本である。消費に回さず次期利潤を得るための投資に使われるわけだ。農本主義も農業資本主義の要素が入っていたわけだが、自然の恵みと制約があっただけだ。

簡単な例は、牛や馬の利用による耕運による耕運力の向上がある。牛馬には減価償却がある。飢饉の際は非常食にもなる。

不生産階級は、AをBに変えるだけで、自然の恵みによる自然増はない。種子生命体の太陽エネルギー固定による増殖の制限、例えば年に一度の収穫等のような制約もないから、原料の制約なければ労働量に比例して生産量があるだけである。労働量がどれだけのAをBに変えるかは、労働量の質の変化、即ち人間労働の生物的限界を超えられる機械と動力エネルギーによる置き換えで、例えば24時間稼働が可能になるとか、何十人もの簡単安価な工具労働での土木作業を、パワーショベルの操作人とトラックの運転手と石油エネルギーにより行うことにより生産性を向上できる。このタイプの機械労働による生産原価が、現在市場の生産原価を下回る時、その差額が剰余価値となる。

生産過程Pで剰余価値が生産される、というのは一面的である。機械生産依存の低い、即ち生産段階で固定資産減耗を殆ど伴わないA賃金労働による生産であるのならば、W'のうちの'部分はAからの収奪搾取であり労働者に所有権があるが、Aがa+D(固定資産減耗)ならば'部分はD所有者に所有権があり、資本Gに帰属する。高度な機械使用による生産活動による荒利益は、ほとんどが減耗機械に属するもので、しかも利益が発生するのは、総需要と非機械生産による生産物を機械生産物に置き換えるまで剰余生産は可能である。不生産階級も生産階級同様に階級内に固定資産形成する、ということは剰余生産があることと同義であり、資本生産とも同義であり、この固定資産減耗することにより生産性は向上できるわけだ。

最近はAIの知能部分も代替しようとしている。生産の多様化により、需要の質量の変化に対応できる生産管理が求められる時代になり、需要は膨らむ。

 

4. 支配階級は、領土の内には農(=生産階級)からの税収奪機構を、領土の外には貿易と戦争、即ち領土防衛、領土拡大を担い、富国強兵が価値観となる。

支配階級は支配してなんぼだ。

現実社会は、固定した領土などなく、世界が1つになるまでは隣国はあり生き残りをかけた競争が続く。

この階級は、生産階級に依存しながら国力を上げるという矛盾を内包しており、統治のための権威を維持する消費と戦争準備の為の備蓄や投資を必要とし、消費も投資も不生産階級の中間生産と最終生産を誘導する。しかし、税を生産階級から容赦なく取り上げれば固定資産投資原資を奪い、農業生産力を増加させず不生産階級への人口異動を供給できないという矛盾である。

不生産階級人口増加が職人生産から工業化への道を開き、工業化による機械生産導入が前期資本主義発展に繋がる。機械生産による生産力増加が、資本=剰余価値生産物を生み出す。ここでも労賃と収奪剰余価値生産物との綱引きがある。資本を取るか、労賃を取るか。資本が機械生産資本として投資されることでさらなる産業が育ち、失業せずに労働者の産業異動が行われ、矛盾は解消される。資本主義発展期の黄金時代だ。

丁度ロビンソンが、漁獲量を素潜り漁から投網作りによる投網漁に変え、そのことで工具作りや家や服を作る作業時間を得て家を作り豊かな暮らしを得ていく過程と同じである。

食糧生産が生産性向上により短時間化できることで、食糧外の生産時間が得られるが、高度な道具、即ち固定資産形成がある場合は更に生産時間が短時間化できる。農業から工業商業発展の時代を迎える。

 

5. 不生産階級の生産性向上の原資は、生産階級の投資消費行動の大小で規模やスピードが決まる。

豊かな文化持っていたヨーロッパでは、生産階級内の借地農経営者の内部留保が引き金になり、生産階級内の固定資産形成や減耗補充を不生産階級により多く発注することで不生産階級を傘下に入れて資本主義経営が進んだ。この場合は市民革命、自由市場的な要素の強い資本主義化だ。もちろん生産階級からの消費材発注も多い。アジアは、支配階級発注を基本とした国家資本主義的統制経済が進行した。

これでは殆ど社会主義である。

同じ資本主義といっても市民革命型とは異なり、農本主義の政治権力システムである、絶対主義的封建主義継続内での不生産階級の生産性向上であり、農民の生産性向上も期待できず、富国強兵の国家需要に依存した計画経済になりがちで、絶対主義や軍国主義が侵入する余地を多く残すことになる。アジアは、個人消費弱く、民主主義の土台弱いまま資本主義に入る遅れた資本主義化となり、上部構造を残したまま、なのだ。ブルジョワ民主主義革命を経ることで絶対主義上部構造を粉砕できるかどうかはその後の資本主義発展の性格を規定する。

日本はアメリカに上部構造を破壊され、占領されることで、アメリカ経済圏に従属し、経済以外に存在領域を失うことで戦後経済発展でき、中国はイデオロギーを捨て社会主義を放棄し他人資本導入して奴隷労働に甘んじることで経済発展した。

中国の世界の生産集中とグローバリズムにより、世界的な生産過剰と所得の偏在化が生まれ、生産なき資本主義国が増えて需要不足が蔓延してきたのだ。

生産投資なき資本主義国の蔓延、賃金所得なき資本主義国の蔓延、消費能力なき資本主義国の蔓延、グローバル生産過剰=需要不足となって世界に立ちはだかっている。

これが後期資本主義時代の幕開けである。