経済を考える9-10

◆一休み

⚫︎ケネー主義者だった自分を発見できたこと

今回、ブログをやってみて、下書きにあたる日記的な積み上げから、モヤモヤしていた経済に対する思いが晴れてとてもよかった。

自分は、マルクス主義者のつもりだった。が、資本論でのモヤモヤした疑問がありつつも離脱もできず、苛立っていてが、ケネー主義者だったことがわかった。

立ち位置が、「マルクス派ケネー主義者」であることがわかり、かなり気持ちが楽になった。自分の立場の立脚点の気持ちの整理がブログでできたことに感謝だ。

 

⚫︎労働力の化石エネルギーでの置き換え、が剰余価値を生み出す、これが資本主義の本質だった。

ケネーの生産階級、すなわち農民の労働は、微弱な太陽エネルギーの固定、すなわち太陽エネルギーを葉緑素により、炭水化物エネルギーに固定化する自然の作業を補助する労働であるが、植物DNAによる自然の制約に制限されて回転率は低いものの、利益率は高い。

しかもこれが労働力の再生産に必要不可欠なエネルギー源となる。したがって農業労働は、人がエネルギー消費即ち農業生産物を消費しながら、太陽エネルギーを利用して人のエネルギー源即ち農業生産物を選択的効率的に得る生産活動である。

一方で、資本主義的労働は、剰余価値を得るための労働であるが、剰余価値は人間労働の機械労働での置き換えにより生まれるのだが、機械労働にはエネルギー消費が必要だが、そのエネルギーは石炭や石油であり、過去の古代からの植物や微生物の死骸が元であり、太陽エネルギーが過去蓄積した物質の一括利用である。この自然の恵みが人に社会に恩恵をもたらす。農業が、今年一年のエネルギー固定、工業は、億年単位のエネルギー固定の利用で、剰余価値をもたらすから、圧倒的である。

こうしてみると、過去エネルギー蓄積物は有限であり、その枯渇が資本主義生産の終焉をもたらす。エネルギー源は、過去に少量のエネルギー消費で得られたが、シェールガスや海底油田などは1単位のエネルギーを得るのに例えばだが0.3のエネルギー消費を伴うようになっている。0.5に達すると翌年のエネルギー採掘用の備蓄エネルギーとして前払しなければならなくなるから、仮に埋蔵があっても採掘不能となる。ここで資本主義的工業生産は剰余価値を産まなくなる。

このことで、例えば、現在太陽エネルギー利用の太陽光発電もその効率性やその威力も大したことがないことがわかる。植物並の固定力でしかないのだ。その為に機械も作らねばならないし。

地下資源である金属、地下資源であるエネルギー、この結合による人間労働の置き換えで、過去の財産を現在に移行する、もとは太陽エネルギーだが、これを有用に得る、これが資本主義剰余価値の実態なのだ。過去の太陽エネルギーによる恵みである。

現代は石油が最も効率的で量もある。石油エネルギーの採掘効率の低下が、資本主義の剰余価値生産を制限する。ある意味、神の手による蓄積を現代に持ち込んでいるわけだ。

問題は、石油エネルギーに替わるエネルギーが安価に大量に発見されないと、現在太陽エネルギーだけに頼るのであれば、植物の固定力を上回らず、剰余価値生産できない不生産階級への逆流が基調となるだろう。新中世を目指す歩みを続けるだろう。ここで問題になるのは、支配階級が黙って労働者と共にそれを受け入れるのか、が後期資本主義の大問題だろう。

 

 

 

広告を非表示にする