経済を考える9-3

剰余価値生産の分類パターンを考えてみる。

 

第一次産業

自然に直接働きかけて有用物にする労働なので、

原材料はないか、ないに等しい。原料調達部門だから。Pmを自然から選択的に得る仕事である。

農業の場合は種子がそれだが、種子に労働を加えて産物を作るのではなく、自然の力の利用と制約を受けて選択的に原料を得る重労働である。

水産業も、強いて言えばエサ、鉱業はない。

要は、原料自体を取り込む活動なので、その活動は、人の筋肉労働か、それを代替する機械化労働となるのが特長である。機械化の効果は大きいが、レベルを考えなければ誰でもできるから、人件費を超えての機械化は経済面でのハードルは高い。

 

第二次産業

いわゆる製造業であり、Aという原材料をBという有用物に変える産業で、原料を別なものに変化させるので、原料のウエイトは大きく、それを労働と機械化労働による。原料以上の生産物はできない。不可価値業種なので機械化を進めやすく、進めるほど剰余価値生産できるが、すなわち生産量を上げられるが、需要を満たすと規模が縮小するため、需要との戦いとなる。

 

第三次産業

第二次産業で変えられた有用物を、貨幣など資本に変える活動を担う産業で、第一次第二次産業の活動を継続させる活動であり、筋肉労働のウエイトは運輸除き小さくて、知的頭脳労働によるところがより大きい産業。ここの労働は、知的労働の代替として、ITの発達により労働が合理化されやすい。

 

第四次産業はあるのだろうか?機能としては、三次産業が、一次二次の再生産用の為の活動になるので、それ三次産業以上は存在意義がない。

あえて言えば、支配階級か、生活保護者のように生産産業に帰属しない消費のみを担う階級の増加だろう。生産に加わってないので所得は発生せず、収奪するだけの一方通行だが、その範囲で消費はするので、生産活動にはその範囲で寄与する。所得は収奪によるもので、収奪される側の消費を減らして、ゼロサムとなる。

日本の高齢者の場合もこの対象となるが、生産活動中に蓄えられた所得の範囲内で支出が済めば問題はない。

生産力が各産業で増大すると、この階層に富の一部が分配されることにならざるを得ないのではないか。日本の場合でも、支配階級が大きくなっている。

 

本題は、

第一次産業は、

GーW(Pm+A)変換で、

Pmはゼロ、むき出しの労働力なので、機械化により生産性効果を上げる要素が強い産業である。需要は、一次生産物の現物としての最終消費需要と、二次産業用の加工原料となる中間消費材需要との合計となる。

機械化が極度に進むと、丁度チリの銅山の採掘作業のように、大型掘削機と大型パワーシャベルとGPS制御での無人大型トラックで採掘輸送すると、中央制御盤を監視して生産量をコントロールするごく少数の労働力の使用に限定される。このスタイルに向かい行き着くと、ここには所得発生は、剰余価値を取得する経営者に限りなく限定されていく。

 

第二次産業は、Pmとしての投入原材料を有用物に変化させる活動なので、原材料のウエイトは大きい。また、変えるエネルギーを有効な機械化作業に移行すると剰余価値生産ができるから、ここでも機械化により、人間の労働力は減り、労働所得も減る。

主にはプラント作成する初期の労働力が必要で、生産は機械が行うようになる。

こうして機械化による労働力の置き換えが進むから賃金所得は減る。この置き換えも第一次産業と同様に、人の筋肉による作業部分の置き換えが中心である。

 

第三次産業は、一次二次の生産物を換金して再生産

生産活動を可能にする作業で、ここにも機械化の波は押し寄せることで剰余価値を生む。マルクス時代ではなかった世界だ。三次産業の機械化には、大型の輸送運搬用の自動車や商業施設などのハード部分の機械化と同時に、換金作業に伴うコンピータなどの事務用機器も導入され、ホワイトカラー層が中間層だった時代が、過去のものになりつつあるのが現代。

ここでの原材料は、商品であり、輸送と商業が労働力を使って行われ、機械化合理化により剰余価値を算出しながら、貨幣資本に等価交換する。AをBに変える加工作業ではなく、生産物を資本に変える機能を果たす。この産業は必須である。一二次産業の発展規模に制約されるところまで成長できる。

こうしてみると、マルクスは二次産業の加工労働のみの表式を、人間労働と機械の「労働」合計を見ずに、原材料に機械労働の機械減耗とエネルギー消費を分類してしまう誤解により、一次、三次産業の説明ができなくなることを誘導してしまったわけだ。

 

さて、歴史的には一次産業、二次産業を補佐すべき鏡像であるはずの三次産業が、先進国では異様に増えている。資本主義的生産様式に必要な部分は、運輸と商業のみである。せいぜい、このGとWの循環過程を支える、金融の部分を循環内に加えることである。

全ての産業で、剰余価値の拡大を目指していて、機械化による人減らしで、まずは労働力においての筋肉労働を機械化して削減、剰余価値を拡大して一二次産業の生産力を高め、運輸、商業にも拡大して合理化した後、頭脳部分の機械化、すなわちITの普及により、全産業のホワイトカラー層を最低限に置き換えた。いわゆる中間層が減った、というやつだ。

このことで、資本主義的生産様式全体、すなわち狭義の第三次産業まで、を支える労働人口は削ぎ落とされて、広義の三次産業にはき出しているが、これを便宜的に第四次産業と呼び狭義の第三次産業と区別すると、各種のサービス業種が入った産業となり、ここには、資本主義内の剰余価値生産に届かない不生産階級をも含むことになる。ここは、第三次産業を支える為のサービス労働であったり、例えばビルメンテナンスから、プログラマーまで様々だし、対労働者の家政婦業から司法書士や弁護士に至るまで様々である。

第三次産業までを支える労働人口が減るほど、四次産業が増えるので、また、この中には失業者から高額所得者まで含むことになり、この階層が増加する。

生産階級には属さない不生産階級労働力はIT導入により、知的労働者を含めて不生産階級化している、というわけだ。資本主義的生産様式は、残念ながら圧倒的な不生産階級を算出する生産システムだ、ということになる。

この中で、IT部門は知的労働者を第四次産業に退場させることで圧倒的な力をもつので、狭義の第四次産業といっても過言ないが、従ってここでの最大任務は、知的労働者が担っていた生産資本Wへの貨幣資本の最適化転換の組成を割り出す作業で、圧倒的な剰余価値をこの業種が代行することで得られることは疑いない。金融商品の組成技術で使われたが、金融商品の組成はゼロサムの成長、即ち賭博場での確率計算に近い。生産資本に転換すれば剰余価値を生む、その価値が金融上の利潤をうむのだから、安定収益はこちらの方が上であると考えられる。発展途上国の生産資本の投資に組成するしかないから、直接に途上国投資の組成に関わった方が得では?

ゲーム市場等でも稼げるが、それより市場規模ははるかに大きい中間消費に使った方が儲かる、というふうに考えている。

 

資本主義的生産様式の循環に、狭義の第四次産業までを含んだものが、ケネーでいう現代版の生産階級にあたるから、その影響で狭義の不生産階級が人口構成としては増えている。ここに次世代の経済のエンジンが潜んでいる気がする。

剰余価値は一方で失業者を生み出すが、その失業者の中で生産階級の剰余価値増に貢献する産業部門が、不生産階級から生産階級に昇格していくのであろう、というのが今の心境だ。