MCT-1
マルクスの資本論を、書庫から取り出し、現代資本論として再生活用したい。
マルクスの労働価値説に基づく価値論での論理手法を引き継ぐ。
一方で訂正と修正が必要な大きなポイントが2つあり、現実と理論の激しい乖離をきたしているので、修正する。
それは「流通資本」に関わる部分と「貨幣論」に関する大きな欠陥である。後者は金本位制時代としての制約が大きいが、流通資本認識と併せて労働価値説による価値論の手法貫徹できなかった弱点でもある。
当時の資本主義が萌芽段階でその規模も小さく、それ故に流通資本や金融資本が現実世界で未発達だったことも踏み込みの甘さに影響したようだ。
マルクスの主要な範式は、
GーW(pm+A)…P…W'ーG'
少し変形させていただく。
GーW(pm+A+m)ーW'ーG'
ここで、問題にするのは、W'ーG' 部分である。
剰余価値' を含む価値増加された商品姿態がW'であり、商品なのだ。
商品は自分でその価値を市場に持って行き、貨幣と交換して、今度は価値増加した貨幣がG'が生産資本に自主的自覚的に戻る、ということになる。G'ーW'(pm'+A'+m')として拡大再生産に寄与してくれることになる。
残念だが、それを行うのは、Aである商人や流通資本が必要なのだ。そこに労働価値を認めれば、資本形成の必要からW'は減ってしまい、G'との交換が▼G'
でなければ辻褄が合わない、流通は価値を生まないから、W'ーG'を無人化しなくてはならない苦悩があり、私も長くわからなかった。
確かに、W'の' 分以上の流通資本を投下すれば、剰余価値は消え失せてしまい、生産資本は商品生産の意味を失う。
流通資本分の資本投下量は剰余価値以下であることで、生産資本は剰余価値の一部を受け取れるのだ。
マルクスは、生産資本による剰余価値の全てを使っての拡大再生産が可能と考えたようだが、そうはいかなかったことで、流通資本による剰余価値の減額を条件にW'ーG'が可能であったことに気づかなかったからこそ、金融資本の肥大化と金融資本主義への移行を想定することもできなかったのだ。
GーW(pm+A+m)ーW'*(pm2+A2+m2)ーG'
が正解である、ただし(pm2+A2+m2)<m
要は、追加の流通資本分の投下、それは期間をかけてW'をG'にする為の資本を剰余価値m分の中から捻出減額して追加資本投下することを認めねばならない。ここにA労働は存在する。
この流通資本のお陰でW'ーG'ができるのだ。
だから、生産資本に戻されるGは、G'の全てから流通資本に転換した分の価値が減額され、あとは当たり前だが、流通資本の減耗分の補充再生に充てられるのだ。
しかし、ここに問題が発生する。
剰余価値の商品姿態は、G'になってからでないと流通資本に変態できないはずだ、という当たり前の事実だ。
生産資本は、商品増に姿態変態するからわかりやすいが、流通資本は後払いでしか組成できないのだ。
無い物と交換して資本組成するには、前借りしか資本調達できないことだ。しかしG'貨幣資本分の前借りにより、流通資本を活動させるしかない。
その場合、生産資本が流通資本をも自ら行う場合は、剰余価値分を担保に資本を融資してもらわなければならないし、それでも流通活動期間分の生産活動は止まるから、生産活動の継続による剰余価値生産を続けたければ、流通期間分の資本の追加融資を必要とする。
生産期間と流通期間が順調に回り始めれば、剰余価値mを拡大し続けられる。
GーW(pm+A)…P…W'ーG'
では、W'ーG'の流通期間の追加流通資本のG2、流通期間の追加生産資本G3が必要となり、GではなくG2、G3の合計資本が必要になることになる。これにより、剰余価値mは、全て生産資本に還流することになる。
剰余価値mは、Gでは得られないことになる。
しかも、生産資本の生産商品が生活必需品なら、生活必需品のくくりで束ねて流通資本活動した方が合理的である。運輸、市場での分配作業、貨幣との交換作業などは生産商品を束ねて需要者に提供する方が合理的かつコスト負担も少ない。
独立した流通資本や商人に、その運営費にあたる資本分を控除した商品価値、ただし剰余価値額以内で売り、すぐに生産資本に変えて生産維持した方がいいから、控除した価値で商人や流通資本に販売して生産継続する。商人や流通資本は、ここでも先に前払いの資本が必要になる。G'回収は後となる。
だから、先にG'資本を借りて生産資本に流通資本分の減額分を支払い、流通活動を維持し、G'交換後に自らの資本の消費分を補填充当することになる。
これで生産資本も流通資本も活動継続できるのだが、流通資本が生産資本同様自己資本なら、G'ではなく、G'から流通資本分を減じた額を仕入れとして支払い、商品の所有権を移転してその商品をG'で売ることになる。
流通資本には、仕入れとしての前払いが必要となるが、それを信用の手形で支払うことで、それを生産資本が受け取り流通させて生産資本組成できれば済む。流通資本による手形発行が流通資本から分離独立して金融資本となり、これが利子で成長する、という構図である。
勿論利子は、商品姿態であろうと実体経済の担保を伴い、剰余価値に寄生する。
そして、生産資本や流通資本の巨大化に伴い、資本自体に他人資本として加わることで、剰余価値を拡大し金利を剰余価値からより大きく収奪していく。
しかも、それには金貨幣などの実物商品資本ではなく、不換紙幣の発行による信用供与という形でレバレッジをかけての、実体のない貨幣発行によるGが用いられる。こうして金利が支払われる規模の生産資本と流通資本まで急成長できることになる。
考えようによるが、ここでは貨幣が貨幣でなく、生産資本が剰余価値を生むはずだ、という観念からのものであり、価値が実現する前に行う信用供与であるため、循環が滞れば一気に信用収縮する、という問題と、貨幣が必ずしも生産資本組成に必要なのか、という問題もある。
要は生産資本を担保に、ほぼ全てを信用で入手して生産活動できれば、プラスの剰余価値はえられる高い確率があるのだ。
W(pm+A+m)ーW'*(pm2+A2+m2)ーW'(pm'+A'+m')
これが現代資本主義生産の核心であると思う。
この全てにG金融資本が関与し、剰余価値に寄生する。勿論、外部金融資本に依存せずに、小さく、ゆっくりと自己資本だけで進める方法もある。
優良企業や協同組合がそれである。
金融資本を入れずに剰余価値だけで資本調達して回すことができる企業は、素晴らしいが剰余価値率が高いということは、労働分配率も極端に少ないのだ。
さて、振り返ると、生産資本で生産された剰余価値は、流通資本での剰余価値と分割され、更に金融資本の利子へとmは移行していきながら拡大する、という構図であることがわかる。
さて、こうした金融資本による信用供与により生産、流通資本の拡大により、いずれは商品は生産過剰となる。
もともと、W(pm+A)…p…W'
で商品に移行する価値は、pmの生産労働価値とpmによる生産労働価値の合計は、W'のWに価値移行したので、Wは、生産労働者の賃金との交換が容易にできるのだが、' =m分の商品は、分離取得した資本家が買ってくれなければ、経済圏の外で買わせなければ回収できない。資本家の需要は、次期拡大生産の為の生産資本であり、出来上がり商品ではない。
自給自足経済を営むものが経済圏内にいれば、その人を雇用して、賃金による購買力を持たせれば良いが、それも底をつく。経済圏外部に買わせる、ということは別の経済圏との軋轢も生むので容易ではない。相手の経済圏の生産資本を収縮させ、できれば倒すしかないといった植民地化による市場拡大により対応するしかなくなる。
流通資本への資本投下も増え、流通資本の剰余価値も増える(生産資本剰余価値の移転であり、剰余価値総額は増えない)が、生産資本の生産過剰により、丁度生産資本剰余価値と流通資本剰余価値が同価値額となる。
経済圏拡大が限界になると、不況に陥るのだ。
こうして、資本主義は、新しい生産資本組成がなければ衰退することになる。
現代の剰余価値の支配階級は金融資本家である。
現代は生産資本家が剰余価値支配者であった時代とは既に異なる。そう、金融資本が生産資本の剰余価値に端を発する全ての剰余価値の支配者となっている社会なのだ。
しかも金融資本主義段階での貨幣は、人々には最大の価値と映るのだが、その貨幣が信用媒介物でしかない幻想である信用貨幣による金融資本主義の時代である。
ある意味、実物商品貨幣では、実体経済の生産力に対して不足して、成長阻害要因になるので、お金など信用貨幣で代用できるから、代用したのだ。
ところが、そのことで鎖がはずれて膨大な規模のお金が作られるのだが、実体経済で使われる以上のお金は、使われずに貸し借りとして残り、支配権を維持して現在と将来の格差拡大を進めるだけで、このお金を作る理由づけのために生産、流通活動などの仕事が作られるように逆転し、縮小の道に入る。
要は将来の債権債務づくり、即ち格差拡大マシーンとして資本主義が機能する、それが金融資本主義段階であり、その仕事にのみ需要がある腐敗した社会となる。
貨幣は幻想である。
何故なら、不便を我慢しさえすればなくてもいい物々交換ですむ。交換に貨幣は必要?あれば便利、無くても済む存在、それが貨幣だ。
交換に時差がある場合でさえも貸し借りの約束で済む。ただし労働が無いと、交換する物がないのだ。
貨幣と労働との価値が逆転していることが明らかにされる社会、それが金融資本主義時代である。
商品の交換は、異なる具体的有用労働生産物どおしを、抽象的人間労働時間を尺度として交換することで、分業による豊かさが得られるのであり、労働生産物の交換による豊かさを得られる資本主義も、幻想貨幣による労働支配となった以上、貨幣の発行権、通貨発行権を労働者階級管理下とする、金融資本主義革命なるものが必要な時代に突入した、ということである。
資本論の用語を解説する。
GーW(pm+A)…P…W'ーG'
ここでGは貨幣資本。
はじめのWは商品資本だが、生産のための商品資本で生産資本と呼ぶ。
労働力商品が生産活動に起用されるのが特徴である。これが価値増殖の根源、可変資本として機能するからだ。「労働のみが価値を生み出す」
A労働力商品を交換価値として等価で起用し、pmと共にその使用価値が発揮される。=労働価値説を根拠とする。
pmは不変資本、労働対象の原料、労働手段の道具や機械を指す。労働対象は全価値、労働手段は部分価値として生産される商品に価値移行する。
Aは可変資本の労働力商品即ち賃金、Pは製造工程、
可変資本を製造工程で過剰に交換価値即ち賃金以上に働かせて、その過剰労働価値分が商品に価値移転する。
W'は製造された商品だが、販売の為の商品資本。
' は剰余価値、mとも表記し両者は同じ。過剰労働分の価値。
G'は貨幣資本、剰余価値増加後の貨幣資本。