資本論の考察-8

貨幣資本Gを再登場させる。

交換は等価交換である。

WーWは物々交換であり、ここに貨幣は不要であり、WーGーWは、交換に時間差がある場合の交換である。

又は交換が複数の交換者を媒介とした交換であり、それも時間差原因の範疇である。

 

貨幣が金属貨幣のような価値商品の場合は、交換後に商品現物か、金属貨幣が交換者の手元には残る。金属貨幣には使用価値があるから、商品が残るわけだ。だがそれはWーGではなくWーWでしかない。

 

貨幣Gは、それを渡すものにとっては債務を渡すことであり、受け取る者にとっては債権を債務証書として受け取ることであり、将来の商品との交換を約束するものである。

もし、生産資本が持続的に剰余価値生産を可能にするなら、その資本Gに、将来の剰余価値から割引いて利子が受け取れるなら、利子付きで貸し付け、確かに生産資本は、剰余価値生産増加が見合えば、その増加の範囲内である利子でなら、借りた方が得、ということになる。

 

7章でも明らかにした通り、流通資本も同様であり、規模拡大して、生産資本の剰余価値以内での投資により、剰余価値の流通代行分の中から、移行剰余価値を拡大できる。

また、つなぎ資金の需要もあるのだ。

こうして、信用貸しは民間銀行を育てるが、その貸し付け=信用創造という貨幣発行の根拠は、生産資本稼働時の剰余価値であり、流通資本稼働時に移転した剰余価値剰余価値、からの利子収奪を根拠としている。

 

こうして拡大されきった生産資本の生み出す剰余価値は、流通資本の剰余価値にも移転され、金融資本の利子にも移転される。

しかし、その循環は、国内市場の拡大が有限であり止まった場合、やその範疇だが貿易摩擦で輸出制限された場合、生産資本で剰余価値生産が出来ずに返済が不能となり破綻すると、利子どころか元本割れとなり、金融機関の債権が不良債権化する形で恐慌、デフレとなる。

当然に資金需要もないので、民間銀行は貨幣、即ち債権発行が止まるのだ。

 

こうして、現代では金融危機として恐慌はサイクルして循環し、破綻の後でなお生産資本の縮小が続くことになる。

 

こうして生産、流通各資本で生み出された労働価値による剰余価値は、利子や地代として、不労所得に吸い取られる為に、「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」の激しい収奪構造にさらされるのだ。

そう、生産資本の労働価値に端を発する剰余価値は、太ってシルクハットを被り葉巻を吸う資本家の浪費に搾取されるのではなく、所詮は、生産資本の社長も寅さんのタコ社長、それを吸い上げる流通資本の社長も同じになり、通過発行する民間銀行を通じて不労所得者に吸い取られれる。

格差が生まれ、格差拡大システムとして資本主義生産システムが支配の道具として機能する為に、本来なら生活の為の労働が、格差拡大システム労働となる為、現代の労働疎外がおきる。

不労所得者に重税をかけて、資本主義生産システムを元に戻す=金融資本主義の呪縛から解放することが現代の革命となる。

国家は、労働者国民のためにあり、資本主義生産システムは、生産者の為にあるべきである。