資本論の考察-5

GーW (pm+A+m)ーW'・(pm2+A2+m2)ーG'

 

価値論で一貫して展開してみる。

また、Gは目的ではなく経過点として捉え、できる限り捨象し、確立後に明らかにする。

まずは土台から固める。

 

資本主義は、まずW(pm+A)で生産資本を組成する。

pmは、天然資源、原料などの「労働対象」、

機械や道具などの「労働手段」これらをcともいう。

Aは、「生産労働」である。これをvともいう。

pmもAも商品である。pmは、他の生産資本から生まれ、Aの加算により測られる労働価値物であり、分業により商品間交換で調達されるし、労働力商品Aも労働市場から交換で調達される。交換価値は、平均的労働力再生産費用=賃金との後付け交換による。G交換でなく、給料日までの債権債務であり、ここも金貨幣との物々交換ではない。

 

この生産資本の稼働段階で剰余価値mが生まれる。

「絶対的」、「相対的」、「特別」剰余価値があり、それぞれ長時間労働化、生活費が下がる経済環境変化、新しい生産手段導入、だが真似されて普及すると消滅する、という3パターンがある。

従って、pm+A+m、が生産資本稼働による、WーW'

変態で、全て商品として存在し、mはその一部である。

この商品を販売してW'ーG'にしなければただの不良在庫であり、剰余価値は潜在価値としてあっても実現しない。

ここからが肝である。

マルクスは、「商品の命がけの飛躍」と呼び、リネン20エレが2ポンドで売れる保証はない、お金を持っていてその人に使用価値がないと売れないのだ。

そういううまい人を市場で見つけて物々交換しようとしているのだ。彼には金を金として待つ人が頂点に立っていて、金の形が最高位にある、重金主義となっている。しかし、商品生産は多種あり、実際は金との物々交換ではないので、掛売りも含む信用貨幣により、交換時間の誤差の調整は可能。

ただし、もっとも深刻なのは、生産時のpmもAの集積であり、Aが加算されるのに、mの購買力は、マクロ的には生産資本の枠内にないため、より早い販売、敗れれば倒産、となるか、既存流通エリアの中での自給自足者への市場参入による掛売り、か既存流通エリア外への掛売り、国外への、ただしここは掛売りの信用がないため、商品貨幣である金との等価交換での販売先を探すことになるしかない。

国内が金本位制なら、金属貨幣不足をきたすため、商品形態の剰余価値の実現は困難となる。

そもそも生産力が大きくなり、商品生産量が増えると、流通エリアは広がるので、運輸・商業の流通資本が必要になり拡大せざるを得ないのだ。

商品はそこを自分で歩いて交換W'ーW'又はW'ーG'することができない。

その機能は、流通資本を形成せずとも、生産資本稼働を停止して、生産資本内の物的投資や増員で流通資本の機能を果たしてもよいが、それ位なら分業して流通資本にその機能を剰余価値商品資本から割引いて割引き貨幣資本を得るか、流通資本にpm'として納品させるのが妥当である。生産資本は金=Gが欲しいのではなく、割引き剰余価値生産のpm'を調達して剰余価値mを拡大し続けたいのである。

続く。