市場経済システム-3

市場経済システムが、円滑に回っている間は、螺旋を描きながら経済成長できる。後付けながらGDP結果でそれは簡単に観測できる。

総賃金分の消費財生産需要分を競争生産しながら生産できるが、それ以上の生産は不良在庫となる。生産基地は、次第に淘汰され競争も新規参入も減り、ドンドン活力を失い投資規模も縮小して退廃する。

 

また、本来なら競争生産のための技術開発や生産財生産のための資金投下がなされ、これも中長期的には、賃金からの分配分であり、健全には家計の貯蓄からの利潤伴う運用である。先程の生産財生産にも当然に賃金が支払われるから、消費財生産の需要枠は広がるのだ。次期生産は更に少ない雇用でまかなえるので、それが家計であろうと企業の内部留保であろうと投資枠はさらに健全に拡大できる。

 

しかし、ことはそう簡単ではないのだ。競争が国内だけの鎖国的閉鎖経済なら自然増は可能だが、国外からの低価格商品攻勢を受けて、国際分業が迫られる。そのプロセスで前章の巨大な奴隷的労働による高度技術、大量生産国からの怒涛の輸入にさらされるのだが、国内では、消費者的には安価な商品を買えてハッピーなのだが、生産労働者的には総賃金が減るような状況に晒されるのだ。すると生産基地が失われて絞り込まれて、輸出入バランスが崩れて、あるべき労働所得が国外流出することで、消費力を縮めざるを得ないのである。

これは、戦時中に生産基地を爆撃破壊されるに等しいのだ。就労場所が衰退し、賃金が減り、消費が減るから貧しくなるのだ。

生産基地が破壊されてるのを喜んで見ている自由があるのだ。それも安価な商品が出回ることによって。では、それを輸出した側は、というと奴隷的な低賃金労働による収奪が行われての話なのだ。例えば現実の例として、中国での生産労働者の労働所得は党の役職者に移転しているのだ。中国の場合は、共産党が悪徳資本家となって機能してしまっている。手段を選ばないのだ。

その影で、国内の生産基地は破壊され、一部の生産財の輸出基地に縛られた生産がなされ、輸出によってしのいではいるものの、大半の国内の賃金の移転所得は、国外に投資され、そこからの投資収益による経常収支が黒字ではあるものの、再投資資産は国外にあり、これを売却持ち帰りができなくなる事態も予想され、その場合は、国外に作った生産拠点の破壊、の形になる。いやなら戦争も辞さずに債権を守る軍事力と意思が必要となる。

世界水準の世界需要用の投資を行った中国により、消費財は溢れており、生産財もはるかに国内需要を超えて、国内投資先もないことから国外に無理やり需要を押し付け、支払い能力のない途上国の支配階級に賄賂を送りつけて売りつけて失業者を送り込んで高利貸し外交を実行するしかない状況に至っている。

 

実質的には、受給バランスとる市場流通経済による生産供給サイドの持続的競争発展、などという経済は既に絵に描いた餅であり、国内のあちこちに爆撃された生産拠点の残骸が増えているのである。

輸入依存度にもよるが、ここで自由経済論やそれに基づく自由貿易論は、カモがネギを背負って鍋を下げて歩いているに等しい。

 

そうは言っても国際的分業は全面否定すると、そこには不向きな生産性低い産業の育成規制など、国家の関与する貧困化がより強く襲うことになる。

したがって、輸出入は持続性の為に、バランスの範囲を決めて、激しい輸入超過にならないように、ガードがかかる国際的な条約が必要となると思われる。ルールを決めることである。国家間の輸出入バランスをとり、劣後の生産性であっても国内生産の優位産業を保護育成して生産基地の破壊戦争を休戦保護することは、平和維持=安全保障上必要な措置ではないか。勿論相対の保護主義ではなく、総量規制とすべきである。

根源的には、輸入は債務を発生させ、一方的な輸入拡大は、無限の債務を背負い込むことでいずれ経済破綻するので、輸出債権分に輸入制限する経済的な制限は必要である。

 

・貿易戦争的な、戦略的な輸出は、国際協調の立場からは戦略爆撃機の生産拠点破壊活動として、軍縮的立場から制限を加えるべきである。

ウィンウィンの、リカード的な最適化は図るべきであり、それは否定できないしすべきではない。

しかし、対外債務を最大化して得たものであれば、いずれは債務返済による縮小を迫られるから同じことだ。将来を失うべきでない。