未来を失う日本人の経済学リテラシー

経済学は、

マクロとミクロに区分される。

ミクロでは、各経済主体の経済的効用を最適化行動の中身と相互連関を分析する。

マクロでは、一国経済全体の活動を分析して、インフレやGDPを対象とする。

 

*マクロ経済の視点から経済政策を統計資料に基づき論戦する為には、マルクス主義者もマルクス主義経済学、これもサプライサイドの所得分配の階級闘争でしかない歴史的限界を保留して、又は応用適用しつつ経済論争を挑まなければ議会制民主主義制度の下での「人民的議会主義」革命なるものすら成立しないし、議論も噛み合わない。

 

少なくとも、このマクロ経済学代わるマルクス主義での需要側をカバーできる学派が登場して政権主流となる前は、協議のベースを妥協して合わせるべき。マクロ経済学は十分に利用できる客観的統計を適用できる学派であり、しかも現実経済に即しており、ミクロのように頭でっかちではない。

マルクスの時代とは異なるので、マクロ経済学で対抗し論破しなければならない。又はマルクス経済学の需要側の学派を成立させて置き換える力と能力を要する。

 

古典派、新古典派に共通するサプライサイド=供給側重視の学派と、ケインズに見られる需要側重視の視点であるが、結局はケインズマクロ経済学により高度成長期の不況時に財政出動させて、結局は、慢性化しスタグフレーションを招いた過去がある。

 

この時期は新古典派が登場しても良かったのだが、日本で登場したのはバブル崩壊後のデフレ期、でありアメリカで深刻化していたケインズ型の財政出動下での不況を打破する流派が盛んな時期にアメリカで留学洗脳された竹中らにより持ち込まれてデフレを悪化させてしまった。

自分の頭で考えなくとも日本経済は成長し続けた歴史があり、経済学の国民のリテラシーは、現在もまだかなり粗末なままである。英語と経済学の平均水準が他の水準と比較して、おぞましいほどに低い。

 

現日本は、不況ではなくデフレ、であり古典派や新古典派ではデフレを深刻化するから、これをマクロ経済学の視点から論破し殲滅しなければならない。

 

マルクスを含む古典派時代は、サプライサイド、セーの法則の適用が妥当な資本主義の萌芽発展の時代、圧倒的な供給不足が環境としてあり、政府の経済介入は供給サイドにも需要サイドにも不要な自由=レッセフェールが求められたし、それが最良の選択であった。

 

ここでの政治的な対決軸は、消費地市場ではなく生産活動即ち供給サイドでの所得分配での階級対立となる。マルクスの言う通りだ。

市場に制約がなく供給サイドで発生する階級間の所得分配が問題となる。作ればローコスト生産が可能であり手工業生産に対抗して売れてしまうのだ。

 

ケインズの時代は圧倒的な供給過剰とそれによる需要不足を基調としたある意味資本主義の成熟期から終焉期の環境の中での政府の経済介入による立て直しを迫られる時代、即ち現代である。

 

小動物の食い合いから強い種が残る時代が終わり、恐竜だけが残った。

既に手工業生産は駆逐され、過剰生産の大工場とそこに就職する労働者階級による高度生産工場が林立して、ローコスト生産競争する大恐竜時代となるほど生産力が発展してしまったのである。

これだけの恐竜を維持する餌が足りないのだ。

恐竜を間引きするのが一番なのだが、何処からか食糧借りてこなくてはならない。借りて生き永らえさせるのがケインズ主義であろう。しかし、借りたものは返さねばならないが、借り続けてすむなら借り続けたい、というところが本音であろう。

 

政府の経済介入は、需要側即ち市場での階級対立に移行し、生産側では対失業の雇用をめぐる戦いとなる。

生産物の買い手がいないし足りないのだ。生産側ではリストラや合併、統合が相次いで労働者は失業者となり、世相が怪しくなるのだ。労働者は自殺するか盗賊になるしかないのだから。

FRBは、日本と異なり政府の子会社ではないが、この運営目標は、何と!物価の安定と失業の撲滅であり、現議長は労働の専門家である。金融の専門家ではない。マルクス主義者は知っているのだろうか。

GDPの原型の国民経済計算、産業連関表の創始者レオンチェフを起用したのも米国労働省の大戦後の復員兵の非失業者化と、軍事産業から民間産業に移行する際の需要不足の不安に対する対策要請、が起点であり、やり遂げた。が、実際には冷戦と朝鮮戦争による軍事需要の維持による産業と就労の維持に助けられたのが実態で、そうでなければ米戦後経済のハードランディングは避けられなかったはずだ。

また、復興に伴う敗戦国への借款などで需要不足の国内で余剰化する金融資産を活用、更にドルを国際通貨とすることで、印刷すれば良い状況にしたはずだ。

 

話戻して、確かに大工場を共食いさせることで減量して調整することも可能だが、この場合、淘汰された工場からは大量の失業者が出る。

失業者には購買力はなく暴徒化し、治安費用がかかる。工場には投資需要がなく生産物を消費する労働者が減ることで更に生産過剰となるデフレスパイラルとなる。

これが現代であり、それが国内で抑えられない国や地域から戦争となり、自らの群れを生き残らせ繁栄を維持しようとする。

 

しかし、この過程でより高度の恐竜に成長する群れと、壊滅させられた地域に激しい復興需要が発生するのだ。格差は大きいものの壊滅した地域にも発展性が残ることになる。

この大戦に参加しなかった平和な地域は、勝ち残ったより強い恐竜の支配下となる、のだ。

また復興して強化された恐竜の地域も、餌場が足りなくなり、また大戦前、となるのだ。

資本主義の時代は終わろうとしてもがいているのかも知れない。しかし、終われば労働者階級は生きていくすべを失う。

 

成長期、それは成長の為の投資、が供給側で継続して生産力が上がる時代である。

不況になり投資が減退すると、理論通り金利を下げれば良い、となるはずが、現代日本はゼロ金利でさえ投資が消極的であり、ミクロ理論上の投資量が金利の関数、では全く無い異常事態が継続する。

この上金利上げたら更に投資は減る。投資しないから金融資産のまま企業が備蓄する。せいぜい海外投資運用となる。

ゼロ金利でも尚国内のこの投資需要の不足は、金利操作で効果ない段階になっていることの証であり、投資が将来への期待、と動物精神(アニマルスピリット)による、というケインズの理解の正しさを証明している段階である。

少子化してもの余り、住宅の国内需要もない。

持ち家が二軒あり、夫婦でどちらかで済むことになる。また、経済が成長の必要がないので投資はリスクのみだ。また、経済成長ない時代に育ちリスク回避の意識も高い。特に現役労働者に。

 

結果として企業利益を金融資産で残しながら労働側の分配の差別化により、正規、非正規でシェアする社会主義的思想方式になり、失業者はいないが、ワーキングプアが2/5という異常が継続拡大しているのだ。正社員は要らない、アルバイトが大量に欲しいのだ。だから移民政策を推進し、もはや機械化が進み子育てもない主婦のアルバイト導入を図るものの、主婦を長くやってると現代の生産活動についていけないお嬢様扱いを求める主婦ばかり、となる。

 

話を戻せば、政府がどの階級の利益をより市場に持ち込むか、であり財政出動を通じて一方で国内政府債務を負いながら需要を拡大することで、供給過剰を緩和して供給側を残存させる政策となる。

政府が介入できるのは、市場に対して、であり政府投資もただの消費でしかない、何故なら自らが生産活動するわけではないから返済の道は、企業の成長による労働所得と資本所得からの所得移転に頼らざるを得ないのだ。官僚はリスクを負って生産活動する人種ではないし、官営の産業が大赤字を抱えても立法したのは国家であるとして退職金を平気でもらう体質の人達だ。

橋や道路を作っても生産活動を側面援助はできるものの、固定資産償却分の補充原資でさえ徴税分からしかできないのである。

 

政府の投資、はなく消費でしかない。家庭の持ち家や耐久性消費財とかわらない。消費の合理的な編成変更=移転でしかない。

しかし、この国策治療が行き過ぎれば投薬の副作用がスタグフレーションをもたらし、供給サイドの活性化が必要な新時代古典派の復権再来が求められる。

が、これは財政出動が効果あることの証であり、需給バランスを市場にもたらしたのちにも、財政出動を継続した政策ミスの結果である。誰も悪者になりたがらないのだ。

ここでは財政出動停止と徴税実行=増税をもってバランスを取りつつ、政府セクションの累積債務を返済する、政府の経済介入が必要であることを怠ったことから、新古典派なる小さな政府、既存企業の既得権益打破、供給サイドの競争組織による活性化、が当然に必要となるのだ。

 

日本は、デフレ克服に財政出動と金融緩和を必要とした、即ちケインズ主義政策が必要な時期に、なんと愚かしいことに、新古典派理論を採用した為に、更にデフレを加速して長期化させた。

橋本、小泉政権である。橋本が最悪でありデフレ長期化の先鞭。小渕内閣財政出動させたが、小泉が戻して新自由主義を導入、長引かせて、安倍は金融緩和だけ行い、財政出動を拒んだ為実需が増えずに金融資産バブルを起こして現在に至っている。

更に税を導入してまたデフレを長期化させようとしている。こうして日本は成長せずに30年を経ようとしている。

 

民主主義政治体制は、増税派は落選する。

デフレ克服後は政府の強いリーダーシップ、集権化した政府が求められることになる。非民主主義的国家の登場が求められるのだが。

強力な財政出動停止、金融引き締め、増税をセットして借りを返さねばならない。アメリカは今やっている。

 

デフレ時期は、ケインズ政策、克服後は増税新自由主義が必要かもしれない。世界の大半がそうであるように。

しかし、日本の一番の深刻な状況は、国内投資が企業によって行われることのない状況そのものであり、バブル崩壊後に積極姿勢を失い、アニマルスピリッツも将来期待もない、老人だらけの国民の成長意識の喪失に問題があり、また高齢世代の金融資産の活用不足にあり、高齢者資産を担保とした積極的未来投資を政府が行うこと、に対策は尽きる。

しかしながらハングリー精神を失った現役世代及びその二世がアニマル化するまでは、我が息子の1人が言うように、一度崩壊して立ち上がる人によって再建するしかない、のかも知れない。

安定成長による経済リテラシーの国民的不足、ミクロではすごいが全体包括して理論的に国家運営する、できる政治家群、使命感で国難を打破する官僚群、が安定成長の陰で喪失しているのも不幸を長期化しているのかも知れない。