貯蓄のパラドックス

新自由主義発想をやめてケインズ主義を復活せよ!

さもなくば戦争発生でしか救国できない!

 

大局的には、現在の日本は長いデフレ期であり、戦争でもやならないと供給力不足にはならない構造です。

日本の現在のデフレは経済の病でもあるのですがその治療は20年経っても直せない、素人の政治家や御用学者ではなかなか治せない死にいたるような重い病なのです。

この人類史上かつてない長期にわたるデフレ経済は、実は1990年代のバブル崩壊の対処の間違いが原因で、お金を借りてばらまく激しい金融緩和の不足でした。戦後にあまりにも順調に経済成長したツケで、金融財政政策のノウハウもなく、何もしない政治でも経済成長がそのお粗末さを隠してきました。

デフレは、人為的操作無くしては解決しません。

長いデフレの放置も徐々に回復して借金返済から貯蓄増に変化してデフレを脱却できる兆しが出てきたところで橋本内閣が緊縮財政と消費税増税社会保障費を大幅削減して本格デフレに戻し現在まで継続。また、小泉内閣も竹中新自由主義を導入し、供給力を多様化、競争激化方針を導入、需要拡大策と真逆の80年代のアメリカの主流経済学で臨みました。取るべき方策が全て逆だったのです。

更に、安倍のミックスで、実需を伴わない金融緩和を日銀黒田が行い、デフレで株バブル、貯蓄過多でも消費停滞、総賃金減少、国力低下、しかも消費税増税という逆方向の施策が国民的支持のもとに行われようとしています。

デフレでバブル発生、という人類史上ない実験が行われています。

 

民主主義の衆禺政治システム制度だと、皆んなの感覚と逆の治療が必要なので治すのが難しく、この時代には保護主義、国家資本主義、国家社会主義共産主義などが台頭して、一定の効果が出てしまう時代でもあり、治療は困難の極みです。

常に緊縮財政=正常化に戻す圧力を受け続けることが完治できにくい理由です。完治する前に、緊縮財政や増税に舵を切ってしまうからです。

ケインズ政策を辞めて、アダムスミスに戻ってしまうのです。

 

勿論戦争などではなく、大規模災害復旧でも同じですが、緊縮財政が基調の意思になるので、需要拡大のチャンスを逸し国債発行による実需拡大が中途半端になってしまいます。

戦争だと待った無しの需要拡大となり、供給力収縮が完全に止まります。戦争がデフレの特効薬なのです。とても愚かで残念ですが。

 

要はデフレ期とは現在消費や現在投資を極端に避ける思考回路に国民全体が傾き、貯蓄や借金返済(=貯蓄)に傾斜してお金があまりだし、借り手がいないのです。また、問題は不良債権の完済まで状況が続き、それを超えて貯蓄過多になってもこの体質が継続する難しさがあります。確かに、国が他国に借金をした状態で返済が滞れば、返済分の労働所得は実需を産まないで徴税され返済されるので貧しくなるのですが、日本の場合は国債は国内で消化でき、発行国債を超えた金融資産が政府以外の企業や特に家計にあり、滞留しているのに尚貯蓄し、実需である消費や投資を萎縮させる傾向が続いています。

だからこそまだ大量の国債発行が必要な時期だ、そして実需を拡大して消費投資を政府が行う必要があります。

政府は借金の山なのですが、企業と家計の合計が貯蓄の山で後者が大きすぎて、尚この傾向が強いままで、まだ債権過多なので金余り、貯蓄過剰ということになります。一方でマクロ経済的には貯蓄過多は実需不足となり供給力過多の供給力を、消費や投資を減らし、そして、総生産、総実質賃金を減らし続ける死の病、なのです。

 

ではなぜ、このような状態になるのでしょうか?

正常な経済活動では、需要に対しての供給不足が常にあり、生産して販売されます。売れて労働所得が増えるので、もっと働きもっと儲けてもっと消費する流れです。これは企業も家計も同じです。この過程でも自由放任経済なので好況と不況の波はあり、不況のあとには好況が来てまた不況になりながら螺旋を描くように経済成長していきます。

 

一方で貯蓄も行われるのですが、その貯蓄は金融機関を通じて生産手段に投資され生産性を上げて人件費を減らして固定資産減耗費を加算して尚生産コストが下がる循環の中で生産力が上がり、需要をより多く満たしより豊かになります。

貯蓄金に需要があり、循環するのです。資金需要が激しい場合、急成長しているときは、貯蓄がブレーキをかけることはありません。

同一労働時間で生産量が上がるので、沢山の消費が可能となり豊かな消費生活が可能となります。

この循環では需要に対して生産力不足なので、セーの法則の働くアダムスミス流派の古典派や新古典派の考え方が正当となります。

マルクスもこの流れの中にあります。ただ労働所得からの収奪により資本が形成され彼は貧困化する労働者の階級闘争による分配の強化獲得の必要性を論じ、スミスは神の見えざる手による自由主義放任でこそ前向きの力が常に働くとときます。また、正常な経済体制なので、マクロよりミクロ経済が花開きますし、レッセフェール、自由放任主義が最も良い経済政策となります。不況時期でさえほっておけば徐々に好況に向かう自然力が働くのです。

 

分業生産による労働所得の交換市場での運輸、商業、金融労働所得を付加し、これを含めた労働所得同士の貨幣を媒介とした生産物又はサービス労働の所得交換がなされて所有権が移転して消費されます。労働所得増がマクロ経済を大きくするのです。

 

しかし、労働所得の全てを交換しきるわけではなく、一部は貯蓄に回します。家計=労働者階級は将来や老後、病気や災害にも備えなければなりません。

限界消費性向の登場です。

限界消費性向が1なら、労働所得を使い切る消費、0.5なら消費と貯蓄が半々というものです。

仮に、全員が1の宵越しの金は持たない江戸時代の価値観であったものが、0.5の消費性向になったのなら、消費の社会的総量は1/2になります。

1、の時の半分の消費規模=生産規模となるまで不況は続きます。

GDPが半分になる、しかし、貯金が銀行に行き、銀行は借金して金利を付けて、企業に貸して利鞘を稼ぎます。借りた企業は固定資産を発注し生産増加したり、原料増や雇用増に伴う運転資金にも使います。お金は経済成長と共に需要は増えます。

金本位制だと、金の産出が間に合わずに不況となります。この場合は、一定の交換率を保証した紙切れでも十分なので印刷紙幣を増刷すればいいのです。

 

銀行は預かっているお金を貸すのではなく、預かっているお金を見せ金として、それより多くのお金を貸します。貨幣は銀行で発行されるものなのです。

信用による貸し金で、預金数字を借り手の口座に記帳するだけです。だから、不良債権ができると債務過多になり、銀行倒産する場合もあるのです。それを避ける為に中央銀行が各国で設立されてリスクをヘッジしていますが、アメリカはなかなか設立しなかった過去があります。何故なのか理由を考えてみましょう。

 

さて話しを戻して限界消費性向とは、

現在総消費/総労働所得なのだから、これが減っていく傾向とは、節約であり、将来消費に備えるディフェンシブな貯蓄志向の高い消費スタイル、蟻です。

 

一方で1.のようにこれが増えていく時は、気前よく今を楽しむ暮らし、となります。キリギリスです。

 

蟻🐜さんのスタイルが強まると、消費規模は小さくなるので、生産も減速して労働所得も減る流れになります。また、キリギリス方向に進むと、生産も加速して労働所得も増加します。

景気循環をくり返しながら、貯蓄したり取り崩したりします。

蟻🐜さんばかりだと堅実ですが、生産力が落ちて給料が減る方向になります。日本人は蟻さん🐜。

 

小遣い帳や家計簿感覚だと、貯金はたまるのですが、お金の借り手が見つからない場合は、お父さんの仕事は消費減で減るだけだから、小遣いの支給額や給料が減ったり失業して小遣いや家計収入の元がが減る可能性さえでてきます。

このマクロ経済がわからない真面目な労働者は、給料が減っているし更に減る方向だから無駄遣いは敵だ!となります。さらに貯蓄性向を強めます。

借金して消費を増やす、投資を増やすなんてけしからん!となり、緊縮財政を求める大合唱になります。

消費を節約して貯金を!の大合唱に。

で、更に生産力が収縮します。

これでは溜まった貯金即ち銀行の債務は増え続け、銀行が貸す相手が更にいない状態になります。

 

いずれにせよ貯蓄は、現在消費を減らして将来に貨幣を=債権を=所得からの将来消費を増やしていくためのものです。この限界消費性向は1以内で、好不況を繰り返しながら成長します。

 

では、限界消費性向が1を超えることはないのでしょうか?それが実はあるのです。これがデフレの発生源のバブル生成なのです。これは、限界消費性向が1以内の好不況とは、別次元なのです。

 

それは需要が過熱して、土地神話のような、或いは株価はこの後も上がり続けるだろうとの楽観論が支配する世界で、生産労働所得を超えた消費や投資が行われることになります。生産労働所得をこえる投資や消費、投機さえ行われます。これは将来所得、即ち借金による投資、消費、投機を指します。

将来労働所得を前借りすることで消費が増え、生産も生産力も増える状態を指します。2年分、5年分の給与所得の前借りでチューリップを買うようなものです。

しかし、投機熱が冷め、目がさめると借金だけが残り、返済義務のために翌年から消費を減らして貯蓄=

借金の返済、のことですが、労働所得が注ぎ込まれ、その分の減らした消費で生産需要も減り給料も減ります。この場合は金欠病なので、銀行も信用貸しで元本さえ毀損していて貸し剝がし、貸さないで元金を保全しようとします。

ここで銀行の毀損分以上を無利息で銀行に貸して、資金が回るように金融緩和して、銀行機能を復活させなければなりません。

ヘリコプターから銀行に湯水のように金を貸す大規模金融緩和が必要です。

これで貸金で消費を増やせる状態にしてあげなくてはならず、消費増から生産増、給与増の循環に実需を戻してやらなくてはなりません。

ヘリコプターから不換紙幣を銀行にばらまくのが有効ですが、インフレには絶対なりません。

消費に消極的だからです。万一インフレ傾向が出れば緩和策を中止すれば血液である貨幣がうまく循環し出します。

この時点ではバブルの後悔もあり、以前の豊かな消費にはなかなか戻りません。

 

しかし、借金を返済し終わっても、消費気分が減退したままなので、その資金の流れ即ち貯蓄志向が継続、借金を返し終わっても貯蓄が溜まり始めても消費は回復しないまま、が継続します。

これが現代日本の状況です。

 

生産力は徐々に落ちていき貯蓄は溜まるので、銀行は貨幣発行即ち債権を発行する相手であるお金の借り手がますます現れないのです。

果ては銀行倒産の方向になります。利鞘が一切稼げないのに貯蓄という銀行とっての借入だけが膨らむからです。

 

本来なら、バブル処理終結宣言!を出せばいいだけなのですが、自傷行為が継続しているのです。

経済成長していないので、税収は増えず、ここで税収を増やせば更に消費が減ります。安倍首相は消費税を上げる、と言っていますが。(^^)

財政は経済成長しないまま高い支出の社会保障を維持できずに赤字に転落、すると節約要求の大合唱の中で、更に総消費の政府部門が抑えられます。

 

逆回転させるには、政府の債務を増やして「消費」を高めることで、生産増を誘導して給料を増やす構造転換が必要なわけです。財政出動ですが、コンクリートから人へ!とか、無駄な箱物投資で財政は、破綻する!などのど素人の意見が、あたかも国の基本方針であるかのようなお粗末な誘導がなされます。

政府の借金に官僚は怯えますが、彼らは税収で給料を貰うだけの、年金生活者や生活保護者と本質的には変わりません。安定税収を求めるだけです。

税収の元、生産活動を活発にすることで、限界消費性向を高めることで税収が高まる、という発想はないのです。しかも、解決策はこれしかない、のです。

日本は家計と企業に貯金が有り余ってますし、政府でさえ特別会計埋蔵金が溢れています。

 

もし、1000兆の借金でなお国債が必要になり続けて破綻に進むのなら、なぜ金利がほぼゼロなのでしょうか?ギリシャなど10%を超える金利でないと国債買う人はいません。

 

話を戻すと、バブルにより、そしてその崩壊により、正確には将来所得を前借りして、宴を盛り上げてしまい、請求書を見て目が覚めた。それも年間労働所得をはるかに超える消費とそれを支える生産力と給与を消費した、即ち来年、再来年分の生産を借金でして、労働所得も得たが、それをはるかに超える1億円の宴会をやってしまった状態がバブルの崩壊なのです。

だから翌年には、労働所得の限界消費性向が0.5、0.4、0.3、と貯蓄=返済に回り、実需は減り続けるのです。

長くなったけど、バブル崩壊による貯蓄性向の過剰な推進による経済規模の縮小、これが貯蓄のパラドックスであるわけです。

であれば、自由放任、古典派、新古典派、の自由経済政策では復興しない、経済成長過程での好不況の不況とは全く異なる状態である、という認識が必要で、需要をわざわざ人為的に高めるしかない、という点で、成長軌道での好不況とは全く別の病である、との認識が必要なのです。

不況ではなく、デフレ、なのであり、対処法は不況なら自然治癒に任せるのが良く、デフレなら自然治癒がなく、投薬や手術が必要、ということです。

 

ケインズ合成の誤謬、貯蓄のパラドックス、に達していたのです。ケインズ方向での国によるテコ入れが必要でニューディール政策もやるし高速道路網建設や発電用ダム作り、ヒトラーによるアウトバーンの建設国家的投資、などをやるのですが、やはり民衆はバブル崩壊の恐怖でパニックになり、少しでも公共投資で効果出ると、すぐ緊縮財政に舵を切ります。

で、デフレは継続復活し、結局は戦争経済で救われる形になるのです。これでしか供給生産活動の向上を図れない現実があり、結局は戦前ということになります。

日本の場合は、ここで、即ちバブルで吹き飛んだ債権の穴埋め貯蓄が貯蓄過剰になったあとで金融緩和を大胆に進めました。安倍のミックスです。

これで更に銀行の預金残高が膨れ上がり、デフレバブルなる世界史上過去前例経験のない状態が日本で作り上げられてしまったのです。

結論は、政府としては国債発行量をデフレギャップ分やればよかったのが、バブル毀損分を埋めて尚、折角国債発行によりデフレギャップを埋めかかっていたのに、その国債を買い取るという形で発行量をへらしてしまったので、またデフレギャップが拡大してしまい、デフレ克服が遠のいた状態です。国債を更に320兆円プラスすると、過去のデフレギャップにもどり、あとはその分の国債発行すれば良いということになります。日銀の策は金融緩和、と名付けていますが金融引き締めに近いもので、デフレギャップを拡大してしまった誤った処方箋を施したことになります。だから、もう一度元に戻し、更にデフレギャップ分の国債を発行することで、デフレギャップを埋めるしかない、余計な事をやったことになります。こうすることで銀行に滞留した預金を消化できて、初めて資金需要が起きて生産拡大への通常の好不況を伴うアダムスミス的なセーの法則による成長軌道にもどすことができるのです。

金融緩和という名の、為替介入円安誘導でしかないことがわかります。

デフレバブルを克服する政治力が日本にあるとも思えません。従って戦争を自国がやるやらないを別にして、激しい生産力需要、資金需要の種がなければ、この収縮経済、緊縮財政がずっと続くことで、世界の中の国民総生産GDPの順位だけがどんどん落ちることになります。日本は、戦争によるしかデフレバブルを克服できないと思います。直接参加しようと、死の商人になろうと。だから今は戦前、なのです。ケインズの貯蓄のパラドックスを打ち破る、財政政策を、多大な国債発行によってなすのが戦争以外のデフレ克服法なのですが、残念です。