経済のポイント-3

・階級概念がなければ、余剰生産物即ち利潤又は資本は発生しない。それは生産階級内で処分するだけである。結果は生産階級内の人口増か労働時間を短縮して単純再生産に、いずれにせよ単純再生産の循環となり停滞する。

 

・社会秩序には強弱があり生存競争があることで、格差が生じて階級制度が形成されるが、当面捨象しよう。

レオンチェフのインプット、アウトプットで経済活動を捉えてみよう。

 

・集団的分業経済社会では、

集団的生産は分業生産労働生産物を他の分業生産物と交換して社会的総需要を満たす為に、流通=交換過程が必要となりシステムに内包される。

 

まずは貨幣を考えずに、物々交換で考えよう。

分業生産物は、自家消費する分を超える過剰生産物を流通過程に移し、過剰生産物の一部を運輸、商業労働と交換する。

ここでの交換は物々交換ではない。生産物と労働そのものとの交換である。

そして残過剰生産物が市場で物々交換されて、過剰生産物は消費財となり、消費される。

 

消費される総生産物は、需要総量であり、ここには運輸、商業労働所得も市場で交換が可能である。

運輸、商業は生産労働ではなく価値物は生産していない。マルクスの時代の工場生産労働の価値のミクロ分析ではここは限界となる。

 運輸は、  A地点工場の生産物をB地点市場の生産物に、位置を移動する労働支出であり、

商業は、市場でのA所有権者をB所有権者に所有権移転する労働支出である。

それは例えば工場の出荷口で商業者に所有権を移転して、この生産物を自らの運輸手段で市場に運び、ここで消費者に販売=交換による所有権移転だ。

この作業は、生産者自らが生産から販売までを行うことも可能だが、例えば産地の特産品や手作り雑貨などを市場に運んで売るには、生産する以外の労働は必要であり、少量の生産物には可能でも、大量となるとやはり運輸業者のような専門の分野でないと、生産物生産用の資本回収に長時間を要して資本効率も悪い、ということになる。

マルクスの運輸と商業の位置付けの不十分さは、村の定期市レベルの生産力が画期的に増した黎明期であり、分業がその部門に至る前、といえる。

 

総生産物は、運輸、商業の機能を果たす労働支出に対する交換分も含まれた生産物でなければならず、総消費も同じである。ある意味、マルクスの歴史的限界の思想を教条的に適用したソ連社会主義の失敗の根源でもある。資本主義のシステムをマクロに見れば、生産原価を積み上げても、流通原価は生産原価の中では語りようがない限界のである。

生産力が増せば、分業分配する行為に労力間接コストが膨大にかかる、という問題が浮かばない。

生産点問題より、分業生産物分配問題の方が深刻化し、優先販売力=交換力=資本回収力=拡大再生産力となる程、生産原価は分業による競争生産の中で、その製造コストをいくら分析しても出てこない流通経費問題の方が大きくなる必然性は、工場生産段階の分析での価値やコストでは出てこない原価が存在するのだ。

 

・こうなると、巨大な工場で巨大な生産物を生産し、その巨大な生産物を広域に消費地市場に運輸し巨大な販売をする、という時、実は有史時代前からの貨幣は使用されていたのであり、物々交換はほとんど相対個人通しで偶発的瞬間的にはあったとしても、貨幣交換が行われてきたのが真実である。

それは、物に価値尺度機能を負わせる不便さ、時間差使用に物は適さない保存性問題、時間差軸での交換が一般的で、時点交換は特殊例に過ぎない、ということだ。