資本主義を考える-9

・ケネーに戻ろう!

経済表範式での、生産階級=農奴は、50の生産物のうち、20を年前払いとしての農業生産で経費支出=中間消費=農奴の食糧や種もみなど。

10を原前払いとして固定資産減耗費して、

要は30を中間消費して50の生産物を生産する。

20の余剰生産物は支配階級に収奪納税される。

これは、50の生産物=所得のうち20は、支配階級に所得移転している。

本来なら、生産階級の最終消費の為の労働所得を収奪し、生産階級に代わって支配階級が最終消費しようとしているものである。

支配階級がいないと、より強い他の支配階級の支配をうけるだけであるのだが。

農民一揆で支配階級を倒して生産階級が権力を奪ってもより強い他の支配階級との戦争となり、敗北確率は高い。にわか作りで専門性もない。

社会主義国は、一揆政権が70年続いたものの、資本主義最強国により敗北した。これが20世紀のエポックであった。資本主義後進国でケネーの示した国体で言えば、不生産階級による資本主義化の遅れた後発資本主義国による一揆であった、という限界があるが、何より資本主義発展後の新中世国体が描けないと、下克上となるだけで、誰が支配者になろうと、その顔が変わるだけに終わる。国王の顔を変えても、国体が有効に有益に変化するものでなければ、不幸は持続するだけになる。資本主義の終焉は取って代わる世界が科学的に描ける必要がある。

本人が社会主義国を名乗っても、例えば北朝鮮は中世の国体で資本主義は未発達、単なるできの悪い中世王朝の変種でしかない。

話が逸れたので戻す。

 

ところが、この収奪した20の所得は、本来なら生産階級内の扶養家族を、都市に放出することにより得たもの、とも考えられる。都市に放出された人々は、生産階級の生産物以外の生産物生産労働又はサービス労働につくことにより、支配階級から10、生産階級から10の需要を満たす所得移転労働につく。

この労働につけないものは、死ぬか物乞いになるか盗賊となって他人の所得から収奪するかしかない。不生産階級の人口は、これで調整される。

 

対生産階級に対しては、固定資産減耗費分の補填労働、即ち鋤や鍬の減耗補填や穀物倉庫や荷車、馬車、農奴や借地農経営者の家や家具、家財や衣服、作業着など、農産物以外の生産労働に移転した20のうちの10、即ち非食糧分をその有効需要の範囲で所得移転する。

不生産階級は、都市に追い出された元、生産階級である。

対支配階級に対しては、城の補修や特注の家具や内装、美術品や、仕立て屋、馬具や荷車、馬車、武器などの鍛冶屋、貴金属装飾品などの物的生産労働、

これらを流通する運送や商人、場合により金貸し金融業、などの労働に10、

計20の所得移転を労働により得るのだ。

要は支配階級の需要、生産階級の需要に対して10ずつの20の所得移転有効需要労働を行うことで、生産階級の再生産活動による生産量20と、減耗費補填分の10の合計30の需要のうち、

支配階級は、10を自家最終消費、10は所得移転して不生産階級の労働時間価値生産物と交換して、不生産階級が移転所得分を最終消費、主に食糧を指す。

生産階級の減耗費10を不生産階級の労働時間生産物と交換して生産階級は最終消費、不生産階級に移転した所得は、自らの階級の人口維持食糧以外の、原料や生産手段の道具の減耗費補填や、自らの非食品生活必需品需要補填に最終消費されるのである。

不生産階級は、20を生産して20の所得を逆方向に所得移転し、その20を最終消費している。

この間、現物経済で表現しているが、実際は既に貨幣を使用している。貨幣なしでは流通にならないから。所得の移転の逆方向に貨幣は動き流通をスムーズにするだけで、貨幣はこの話では省略する。

生産階級は50を生産し、30を最終消費、

支配階級は、20を最終消費、

不生産階級は、20を生産し20を最終消費する。

マクロのトータルでは、70が生産される

内訳は、生産階級が50、不生産階級が20、

この生産物を

支配階級が20、不生産階級が20、生産階級が30を最終消費する。

 

日本の江戸時代、フランスのルイ王朝とも符合する歴史的な中世の高度な普遍的な国体経済モデルである、と言える。

ここで、この中世の農本主義を評価すると、動的平衡状態が維持され、単純再生産の国体モデルが描ける。しかし、この国体にせず、島国のような平和が維持される社会であり、強い支配階級を必要とせず、無階級社会で人口維持の生産力だけでよければ、50の生産力で50の総人口需要を賄うことも可能だ。

しかし、生産階級では、固定資産が減耗10して50の生産力があり、この減耗費分はやはり補填生産が必要になる。これは、固定資産=生産手段を人力のみでなく、減耗道具の必要性を前提とした生産性である、鎌や鋤や鍬を減耗分生産しなければならず、その為の奴隷的労働提供が農奴生産と別途に使われているのだから、中世の国家経済モデルは合理的に高度である。

資本主義生産、即ち不生産階級による農具の高度化、や支配階級の戦争による生産領地の保護や拡大の為の武具や兵器の生産を最大化する為の、不生産階級の資本主義化が国体の中で求められ、資本主義萌芽の必然性があるのだ。

 

やはり、支配階級の武装、領地戦争と生産階級の農具の生産性向上、が人口増加=不生産階級増加と支配階級の所得を増やす=武装力に鍛冶屋の発展形や科学技術の進歩が不生産階級に大きな変化を求め、資本主義社会へと繋がるのだ。

 

わかりやすく言えば、鉄の加工力や利用度の向上により、強力な農機具や地下資源採掘力が得られ、農業生産力が上がり、人口が増え、武器が量産される。

富国強兵策をとることができる。

高い生産性は、豊かな不生産階級をももたらし、文化も向上し、愛国的な都市市民を醸成する。

ブラック企業ばかりの世の中では、見えないところで生産をサボりたくなる、当然の結果を生む。(^^)