資本主義を考える-2

・資本主義は、中世の封建社会経済の生産システムの中からの発展形として現れた。

 

日本で言えば士農工商の工商階級、フランスではケネーの経済表範式での3階級のうちの不生産階級、の生産方式の発展形態として登場している。

 

この封建社会の階級システムは日本とフランスだけでなく発展した中世社会に共通するグローバルな普遍性があり、イギリスやドイツでも同じであるが、生産力のより低い社会にあっては、支配階級と農民=生産階級だけで、工商や不生産階級の成長が未熟な社会であり、ここから資本主義が登場することはまずない。

 

資本主義は無、から突然現れたわけでなく、ということは歴史的にも初めから存在ていたわけではないということでもある。

資本主義は、より高度な生産システムとして既存の中世の生産システムの中から発生した、既存の均衡を打ち破る不均衡システムである。その不均衡の故に発展しまたその故に矛盾を持つ。

ヘーゲル弁証法によって歴史的に解析することが有効であり、当節のように数学的に偏重することでは資本主義の解析方法論に限界があるとおもわれる。

 

不生産階級、商工階級、はどのようにして現れ増えたのか?

生産階級即ち農民=農奴の食糧生産力により、農奴自体の食糧が経費支出であることで、これを最低限とすることで税収奪する支配階級の消費力が得られるのだが、支配階級が収奪した食糧のうちの余剰食糧をあてにして、農奴の経費としての食減らしとして放出された人口が存在するのだが、彼らは支配階級の余剰食糧と引き換えに、支配階級の為に労働サービスを提供することで生きることができる階級なのだ。

支配階級の城の周りに城下町都市を形成して、そこで鍛冶屋、大工、仕立屋、装飾品製造者、馬主、輸送業者、宮廷調理人などなどとして現れる。

またこうした不生産階級の食糧は支配階級から現物給付されるのではなく、支配階級の発行する貨幣で給付され、市場で食糧と交換することで得られるから、市場関係者や商人、信用事業者も必要になる。

都市市民とも言える彼らに必要なのは、豊富な支配階級の消費力であり、その元は取りも直さず農業生産力であり、農奴からの収奪余剰生産物生産力である。

 

都市市民は、農奴階級の余剰人口の放出分であり、これが多い程、経費にあたる中間消費を減らすことができるが、放出された人口の全てが都市市民として生きることができるわけではない。

都市市民の周りには、失業者、乞食、浮浪者や売春婦、盗賊がうごめき、おこぼれに預かれない場合は淘汰される、そういう形で総人口調整がなされるのだ。

都市市民とは、自らの労働提供により支配階級から賃金を得る者と、その賃金で交換できる分業としての労働に依拠する者とがいて、その総体として都市市民が形成される。

 

ここで肝要なのは、この市民の階級は、労働サービスを通して貨幣を得て、市場を通じて自らの食糧を得ることであり、余剰生産物を蓄積しない、できない日暮の市民である、ということである。

その程度の生産力であり、もし仮に儲かる仕事があれば、失業者の群れからの労働力供給圧力が常にある状態、である。

また、それを可能にしているのは、道具程度の生産手段による自営業的な生産形態である、ということが生産性の低さと新規参入を容易にしている。

労働力が主体の生産形態に依拠した社会経済システムであった、ということだ。

 

世界最大の100万人都市の江戸は、宵越しの金を持たないフローの社会であり、その日暮らしがやっとの自営業者の群れ、世代交代がやっとの均衡経済の社会であったわけだ。

 

資本と労働の分離を、即ち資本主義とは全くかけ離れた経済社会がそこにはあり、当時は50万人人口都市であったロンドンやパリでも、恐らくは同様であったはずである。