資本主義分析-7

 前章の「価格形成と生産手段」から、かき氷店の資本主義化を検討した。

  この章では、マクロモデルを作り、資本主義の本質に迫りたい。

世の中で、数ある産業が、農業以外は資本主義的生産が行き渡っていない時代で、職人的自営手工業市民によって分業生産されていた中世の時代を想定し、マクロモデルを検討する。

 

全てが「カンナ式生産」の、かき氷店が8店存在する国家社会をイメージする。

カンナは鍛冶屋が受注生産で、10000円の労働時間価格で生産され、1000杯で残存が0になる減価償却

減耗費10円/1杯となる。

カンナ式かき氷の労働時間は、1日8時間で、8000円

原料は、氷屋が自然界から切り出し、氷蜜やカップは市場から調達し氷屋が、氷とともに納品する。

90円/1杯が生産量に比例してかかる。

 

ここで、Aかき氷店が、カンナをかき氷機製造に変えて、生産する。

8店舗のかき氷生産で市場は飽和、受給バランスが均衡していた、とする。

かき氷機は、カンナの8倍速の生産能力を持つ

カンナの8倍の生産コスト=80000円がかかり、カンナ同様に1/1000の減耗費がかかる。=80円。

 

かき氷機をA店のみ導入すると、7店はカンナ式で継続するがジリ貧時期を経て、閉店消滅する。

当初は並存してパイを奪い合う生き残り戦が続き、複雑な構造になるが、

着地点は、

A店以外の7店は、閉店して労働者階級となると仮定する。

 

カンナ時代  8店全てがカンナ式

マクロ生産状況は、

 

90+10+1000/5=300 の製造単価で

1時間で5杯の生産力、8時間労働で、40杯生産/日

1日当たりの販売高は、

40×8店舗=320杯×300=96000円の販売で、

・労賃は、

8時間労働者が、8人=8000×8=64000円の総賃金

・原料は、

90×320=28800円

・減耗費は、

10×320=3200円、

合計は、

64000+28800+3200=96000

解説、

・かき氷屋さん産業は、カンナ労働の人件費が大半の産業であること。

・原料採取の1次産業が主体、鍛冶屋2次産業はサブの産業である。

 

これが、A店のみでかき氷機を鍛冶屋に発注し、結果、7店は紆余曲折を経て淘汰された後とする。

 

 A店  8倍速のかき氷機を導入、鍛冶屋では8店分のカンナは製造中止になり、かき氷機1台のみの生産に移行する。

A店生産力は、40/h×8=320杯を300円販売=96000

・労賃は

8000円         8人64000円から大幅に減少 1/8に。

・原料は、

90×40×8=28800円  で変わらず

・減耗費は、

80000/1000×40×8=25600円   3200円から8倍に増。

計は、8000+28800+25600=62400円

 

62400/320=195円  製造原価は105円/1杯下がった。

にもかかわらず、300円での販売を継続できるので、

300×320=96000、の販売は、市民社会のこれまで市場流通での需要による。

96000ー62400=33600円をA店が所得化できる。

解説、

・この時点では、8000円の賃金を8時間のかき氷機労働で得た上に、33600円の別所得を得た富裕な自営業主でしかない。

・8店で稼いでいた労賃から自分の労賃を減じた64000ー8000=56000は、閉店に追い込まれた7店で稼いでいた労賃であるが、そのうち33600円は、A店にかき氷機労働による8倍速の生産性向上労働で、所得移行した部分である。では56000ー33600=22400の労働所得残は、どこへ行ったのか?

 

原料は、生産数が320で同じなので変化していない。

減耗費は、

8店の時は、3200円  カンナ8つの減耗費計

A店は、かき氷機減耗費25600円、差額は22400で、かき氷機製造する鍛冶屋に22400円の労働所得増に移行したのだ。

A店以外の7人の得ていた労働所得56000円は、鍛冶屋に22400、かき氷機A店に33600として移行し、7人は失業者となるが、鍛冶屋の仕事増とかき氷店の33600円の市場での消費の為の生産活動への参加により、全てが吸収される。

 

もともと、市場は7人分の56000円の消費と交換できるかき氷以外の消費材生産労働分と交換して消費して均衡が得られていた。

この消費がA店の33600円の所得の豊かな消費増が市場に持ち込まれるので、7人のうちから、鍛冶屋に転職した2.8人=8000×2.8=22400円以外の4.2人は、33600円/8000=4.2の交換労働として、A店経営者の為の消費材生産労働に従事することになる。これは生活必需品から外れる可能性はある性格だが。

 

次に、33600円のA店の純所得の活用方法について検討してみよう。かき氷機労働は自ら8000円の労賃を算入して尚、33600円の純所得、その使途だ。

 

・贅沢浪費による勝ち組ステイタスの実感

これは、失業者7人が、かき氷機製造の2.8人の移行により、正確には4.2人が、A店の店主の贅沢浪費消費材の生産労働に移行することで労賃を得ることになる。

 

・貯蓄

これは、失業者を4.2人生み出し、これを生活保護費消費等で救済すると、A店からの法人税課税税収がなければ、国家が税収不足となり、赤字国債を発行して救済することになる。が、A店の貯蓄という形で担保はあるので、国内消化の国債の範囲である。

日本の現在の姿だ。交換能力のある貨幣を退蔵凍結しているので、将来消費の形で現在生産活動を縮小する。生活保護だけでなく、非正規や残業等に対する支払いの拒否、社会補償費の削減、等労働者は貧困化する。が、資本家企業は預貯金が溢れて投資=消費をしない。

 

・資本主義化

A店は、自営労賃8000円以外に、33600円の純所得をがあったわけで、1人失業者から雇用すると、3.2人の失業者は残るが、本人は、不労所得として33600円を得ている。これを、更に失業者から雇用してかき氷機も増やして、即ち原料生産増、鍛冶屋生産増に失業者を移転しながら生産増=不労所得増をもたらすのが普通である。

しかし、ここでは既に需要は均衡して限界になっていることを想定している。輸出=国外市場を相手にして、他国のカンナ生産かき氷屋を失業に追い込みながらの純所得の拡大を行うこともここでは除外している。

この二つが資本主義経済を発展させるのだが、そのためには、原料を生産物量増分必要とするので、安く叩ける市場の開拓=輸入の拡大も必要だ。

これを除外すると、かき氷屋以外の消費材生産業への生産手段の機械化高度化、生産材生産業界、例えば鍛冶屋の機械製造の生産手段機械化に資本の活用を図って失業者を移行雇用することで、そこから新たな純所得を得る投資活動に振り向けられるのだ。

しかし、これも一巡するとさすがに停滞する。全てが資本主義化して、生産物の需要に達して供給過剰になって均衡に戻す状態、これも現代日本の状況である。原料輸入市場、例えば石油を自国に有利に買い叩き、量を得ることが加工生産業では必要だし、国外販売市場も必要だが、戦争や紛争を避ける日本はこの道を戦後に捨てた。やむを得ない選択ではある。

 

資本主義の本質は、均衡生産システムを不均衡にして所得格差=再分配を作る、資本家サイドのシステムである。

この格差は広がる一方の経済システムなので、一方で相対的に貧困な労働者群と、金余りでこれ以上の生産拡大が社会的に困難な実需、との金融資本の需給バランスの中で、先進資本主義国は金融資本主義の性格をより色濃くすることになる。生産手段の生産=工業化による健全な実需による純所得の拡大が飽和している、資本主義的生産システムの限界に来ている末期的症状であるとも言える。

 

他人の労働権を科学技術を使って奪い、そのことで労働所得を移行して、市場からの製造原価以上の所得を獲得して、労働者の労働所得の交換の場=市場では不等価交換により、労働所得を合法的に移転する、弱肉強食的、非人道的な個人主義的なシステムなのだ。

本来なら、革新的な技術開発者に相応の対価をもたらしながら、労働時間の削減や製造原価低下分の販売価格の低下、という神に恥じない当然の社会的貢献を実現すべきであると思うが、資本家の個人所得の増加、支配権獲得による資本家所得減税、税逃れ、とグローバルに資本収益が図られ、格差は拡大し、移民が増える。

確かに旧社会主義国には、イノベーションがなく中世経済への回帰が起こった弱点はある。

共同体意識や協同組合意識が国民に生まれ、実感できる程度には格差の是正、所得の再分配の思想が普及する必要はあるかと思うが、それを支える経済システムはなく、宗教や政治に委ねられる限界があり、資本主義に、ましてや現代では金融資本主義から移行できる経済システムの登場が待たれる感がある。