資本主義分析-4

・かき氷屋さんの資本主義

 

資本主義生産システムのエンジン、心臓部にあたる生産工程での生産手段の役割について掘り下げてみたい。

労働も生産手段ではあるが、私はこれを可変生産手段と呼ぶことにする。

しかし、問題にしたいのは不変生産手段と命名する道具、機械、固定資産、ケネーなら原前払い、即ち償却資産であり、機能を発揮すれば減耗=減価償却を生ずる、資本主義のエンジンであり、心臓部である。

 

身近な事例として、中世の架空の城下町でのかき氷屋さんの製造販売で考える。もちろんお伽話でまだなかったはずだが、事例として許されたい!(^^)

 数件のかき氷屋さんがある資本主義発生前の、手工業的な市民社会モデルに存在する、商店の1つである。市民社会は職人的な専門業者の集合体である。

パン屋、鍛冶屋、仕立て屋、居酒屋、家具屋、時計屋、大工、靴屋、帽子屋、雑貨屋、酒屋、材木屋、本屋、皆小さな稼業で自分の労働で稼ぎ、その分で生活する人たちだった。

現代の商店街をイメージしてほしい。

 

生産力、という点ではドングリの背比べ、道具程度の財産があるだけだ。やっとの生活費を稼ぐ力しかない。

かき氷屋も架空だが、ここの1つの人気業種としてあったと想定する。

人気はあったので4店舗が共存共栄していた、とする。

 

かき氷屋さんはA店以外も3店あり、皆同様の生産工程で、かき氷を製造販売していた。

 

かき氷店 A店   個人の自営

 原料は、氷塊と氷蜜とグラス、計 90円/杯。
道具は、工具であるカンナ式の削り機。

               カンナは10000円、1000杯で摩滅交換=減耗

               費は10円/杯。減耗費に研ぎ代含む。
労賃は、時給1000円で8時間労働=8000円/日

              労働は、カンナ労働で、1時間に5杯生産

              の生産力、1000÷5=200円/杯

              製造原価は、90+(10+200)=300円/杯

              ()は、原料ではなく生産手段計の意味。

              8時間で5×8=40杯/h、40×300円=12000円

              だが、(原料費90+減耗費10)×40=4000は、

              支払わねばならない12000-4000=8000円

              が日当としての労賃となる。

              これより、高い価格で売れば、この額で販  

               売する他店が売れるだけだ。

              この価格は持続再生産補償費として

              労働力放出の対価賃金と仕入れ原料と  

              カンナの減耗費として市場から回収。

 

製造工程と製造能力については、

                カンナとの結合労働で、原料氷塊を腕の前  

                後運動で削る。12分/杯の製造力。=5杯/h。

                往路は歯の当たった面で削れ、復路は戻す

                だけの作業でロス時間が生じるが、生産手

                段のうち、道具としてのカンナより、人力

                にほとんどを頼る組合せである。

 

・ここで、A店のみが、カンナ式労働による生産力に不満で、カンナの歯を4枚刃を十文字形に取付けて氷を上から押さえて回転させ、歯車で手動回転エネルギーを伝達させて削る「かき氷機」を考案し導入するとする。


歯が4枚で4倍の削り能力が往復の片道ではなく連続回転するので、4×2=8、で8倍の生産力が可能になったとする。

道具は、かき氷機、100000円で1000杯で摩滅交換=
                         減耗費=100円/杯と+90円増になる。
                         労働は、かき氷機ハンドル回転労働

                         に変化 するが、1時間に5×8=40杯の

                         生産が可能になる。

                          1000÷40=25円/杯、に175円減る。

                          製造原価は、90+100+25=215円/杯

                          で、85円/杯の製造原価減=利益増。

                        1日の生産力は、40×8=320杯×300円

                         なら、=96000円が売上に。

このうち、320×(90+100)=60800は経費で失うから、

96000-60800=35200が利益である。自営なら8000円が35200円になるのだ。ウハウハである。(^^)


市場価格は、カンナ製造での労働補償費として他の労働生産物の労働時間と等価交換されるので、300円での販売が可能になるのだ。

個別の生産費と等価での交換ではない。だからこそ剰余価値が生まれるのだ。社会の平均的生産手段での生産方式が自営システムでのカンナ生産であるなら、生産コスト回収としての300円が市場価格となる。

カンナでなく、かき氷機で作ったかどうかは取り敢えずは問題にならない。価格は市場という外部要因により決定する。

 

・では8000円の労賃をかき氷機で稼ぐのには、何時間の労働時間が必要か?

x時間とすると、8000=40×x(300-90-100)

40x=8000/110、x=8000/110/40、x=1.81818時間

より簡単には、

8000/32500×8だ。

 

半端だが、2時間弱で8000円分の労賃が得られることになる。

これは賃金分で、8時間の残りが資本家の為の労働であり、収奪されている、というのがマルクス流の資本主義の剰余価値の解釈である。

だがこの時点では、資本主義ではない。

 

残念だが資本主義では、労働者は8時間8000円の1日当たりの必要再生産費労働契約により労働市場から調達された可変生産手段である。即ち商品である。

不変生産手段である道具や機械や工場などの固定資産は労働者同様に減耗するが、この形を変えずに人間労働と同様に減耗する生産手段を誰が生産投入したのか、が問われるのだ。これが生産性に寄与するのだ。これも資本主義ではこれ自体商品なのだ。

事例の場合は、自営労働者が導入しているので、剰余価値収奪論は成立しない。

 

明らかに、かき氷機のお陰で労働時間が大幅に短縮されており、不変生産手段である固定資本型の生産手段による生産工程での労働時間の削減である。

これこそが資本主義生産システムを可能にし発展させているエンジン部の形なのだ。

 

だが、現時点では、稼ぎのいい自営業労働者の誕生の範囲であるが、この後、再生産費の1日8000円を超える部分を備蓄にするのではなく、また、自らの労働によってではなく、機械などの固定資産と同様に、労働市場から労働者を商品として雇用し結合労働させることで剰余価値生産させる、即ちお金を働かせてお金を稼ぐことを思いつき、それを実行することで資本主義生産システムは歴史的にこの架空の世界でだがスタートするのだ。

 

解説

・8時間カンナ方式の労働による生産物販売で、原料やカンナの減耗費を払った残りの8000円は8000円分の生活消費材を購入することで、生活できる、即ち

生産手段の労働力部分を再生産できるのだ。

 

これを、自営業者のまま、不変生産手段=道具をカンナからかき氷機に置き換えると、35200円の「労賃」が入る。8000円で生活できるので27200円を貯蓄できるのだ。これをタンス預金にすれば死蔵するが、これを元手に、職人的生産を、資本主義的生産様式に変えることができる。お金を働かせるのだ。

 

・自らは生産労働に参加せずとも、労働者を日給8000円で3人雇用できる。労働力=可変生産手段と機械類=不変生産手段を商品として生産資本化した生産様式を資本主義生産様式、といえる。かき氷機も3台仕入れることになる。

前貸し資本増加は信用で後払い、労賃は生ものなのでそうもいかないが、資金繰りで売上換金しながら優先支払いすれば良い。

ここでの利益は、35200×3=105600円という膨大な利益が得られる。

また、かき氷機を電動式にすれば、更に生産性が上がる。労働市場外の非正規弱者の被扶養者を低賃金で雇用できるからだ。

こうして不生産的生産様式から資本主義的生産が生まれるのだ。

 

・とはいえ、まずは上記の前提として、かき氷需要に制限がないことが条件となる。それ程に資本主義生産様式の生産力は破壊的に大きいのだ。

A店は1日40杯、他の同業者が仮に3店あったとすると総生産は160杯はあったことになる。需要枠はここまではあったのは明らかだが、潜在需要がどれほどあるのかは生産量を増やしてみないとわからない。

A店が、かき氷機導入の結果、総生産は440杯に。

320+40×3

これだけ売れるのかどうか自体が問題。

もし、需要がそれ以下なら8000円の日当が得られないA店以外の店には、3つの選択肢が残る。

8000円以下の日当で、窮乏生活に耐えるのか、

店をたたんで労働者として労働市場に登録するか、一か八か、かき氷機を導入するか、だ。

3店がこの道をそれぞれ歩んだとする。

窮乏生活は限界に達し、労働者登録することに。

労働者登録者は、A店に雇用され、後に労働者登録した人は、B店に雇用される。いずれにせよカンナ方式の店はいずれは消滅する。

総生産は320×2=640、ここまでのマーケット需要はない。従って、生産調整に入るが、当初は販売合戦で在庫をより早く吐こうとしたが、結果、値引き競争になる。更に余った在庫の換金ができない=売れないので、商品資本を貨幣資本にできないことで、ようやく生産調整に入るのである。

しかし、マーケット規模が小さければ統合される。

これについては、均衡論の研究結果が必要だ。

社会的総生産以上の総消費はない、ということであり、いずれはマーケットはグローバルボリュームにまで広がることになることで、統合ではなく A.B2社は、共栄存続をめざすのだが。

また、生産材の生産性は、総消費の枠に同様にはまる範囲でしか生産拡大はできない。

 

・カンナ方式の生産には、他の産業としてのカンナ製造の職人生産が行われていることが前提であるが、この業者の生産物が減り、かき氷機の生産を新たに要求されるので、結果的にはカンナ製造者がカンナからかき氷機製造にシフトすることになる。

かき氷機の大量生産は、かき氷需要に規定されて生産過剰になるまで生産継続する。

また、かき氷機による生産力向上は、氷塊、氷蜜、グラスのような原料生産の生産需要も高まる。

かき氷🍧産業だけの問題では済まないのだ。

原料から生産材、廃業による労働者の産出と、破壊的な影響を外部との関係でもたらす。

 

こうしてみると、神の見えざる手により、社会の総需要の枠で生産活動は合理的に発展するのだ。

資本主義生産システムは、その強大な生産力から、その動機は利潤を目的とする生産であるから、自らの強力な生産力が需要不足=生産過剰という深刻な病にいずれは悩まされることになる、ということである。

 

・かき氷は、どうしても必要な食品ではない。嗜好飲料やお菓子などの補助的な食品の類である。無ければ他の菓子や嗜好飲料で代替できる面もある。

 また、趣味や娯楽としての側面もあるので、ブームや気温、季節により需要も変化する、と考えられるが、潜在需要、マーケットボリュームを確かめるには過剰生産による販売高実績により、後付けでこれこれの需要があった、と結論づけるしかないことになる。需要もまた社会的なものであり、社会に与える影響についても検討せざるを得ないのだ。

 

・次回は、資本主義の心臓部である生産手段生産の、役割を明確にする為にも、Aかき氷店のかき氷機導入が、同業者以外に与える影響について考察したい。