資本主義分析-3

・ケネーの経済表範式での不生産階級労働は、

原料を労働対象物として労働力を生産手段として生産工程で労働し原料とは異なる原料加工目的生産物を作り、これを市場で貨幣と交換し、その貨幣で労賃即ち生活費即ち労働力再生産費と原料購入費を支払って生産消費が循環する、というものだ。

ここには余剰生産物を可能にする、生産性の高い生産手段との結合労働はない、とされる。

 

不生産階級でさえも、その生産に道具程度の使用はあったわけで、労働時間を短縮させることができ、道具不使用時の必要労働時間と同等の時間労働すればより生産量が増えることで、生産者個人の所得は交換市場を経てより多くを得られたわけだ。

自営業を基本とする不生産階級は、多少の豊かさを実感できたはずだが、工場生産となると余剰生産物の分配に問題を生じる。生産手段の所有者が剰余労働を期待して、その具現化としての剰余価値を目的とする生産活動を組織するのであるから資本家と労働者の階級分離が起こる必然がある。

 

・交換後の貨幣で他人の労働生産物を購入するのであるから、他人の労働時間の尺度が商品毎に交換価値として存在し、平均労働時間のその貨幣額を支払うことでの等価交換になるから、即ち労働時間同士での等価交換となるのである。

自分で必要なものを自分で生産労働する代わりに他人の労働で生産したものを平均労働時間で交換する分業生産が成立しているのであるから、生産増としての剰余価値の実現には、他の平均的な生産性との交換になる。即ちマクロがかかわるのである。

同業者が、家内制手工業での目的物生産に要する平均的労働時間での販売、貨幣=社会的労働時間単価として貨幣化される。マルクス流のタダ働き労働時間増による生産増としての理屈付けでなく、労働時間の短縮した分だけ労働者数を減らすと、剰余価値は生まれないことになる理屈付けではなく、生産手段との結合労働が、トータル製造コストとして削減され、剰余価値を、マルクス流に言うなら特殊剰余価値をもたらすことで、生産手段は高度化するのだ。生産手段は労働生産性を高めるのだ。そのことで人減らししないで所定時間働かせることで、生産増になるのは結果であって原因ではない。

ここが大きな判断の分かれ目である。

生産手段を労働者階級が握れば、時間短縮は労働者の余暇時間として現れ、生産手段の高度化は労働時間の維持につながり、生産手段を高度化できる。

社会主義国には、インセンティブが働かない、というのはこのことによる。

労働者の代表が、更なる生産性向上の為の生産手段の高度化資金を生み出すように労働時間短縮を拒否して資本主義国との競争に立ち向かわなければならないのだ。1国社会主義は成立しないのだ。全ての資本主義国が社会主義になるのが前提だが、その場合も資本主義が内部から現れるだけなのだ。

中世型の非拡大再生産社会として歴史の中で現れるものの、資本主義との競争、戦争又は戦争準備経済が現れ、双方の生産体制が歪む不幸な社会となるのだ。

本来なら、労働時間が短縮するハッピー状態を作るのが、資本主義はそれを別の目的、剰余価値生産に向け、剰余価値生産量の拡大の為に使うのだ。

 

・ここで労賃とは、生活費、労働力再生産費と述べたが、労働で放出したエネルギーの補填=食糧分と、生産手段としての労働者の減耗分の補填、即ち労働の生産手段としての固定資産的意味合いから、減耗費=世代交代食糧費の補填をしなければ再生産が維持できないことになる。労働者も寿命があり減価償却する。そして個体は消滅するのだ。

 

・道具や機械、工場施設などでの生産手段との結合労働について深めよう。

・道具は、形を変えずに生産手段として人間労働と結合機能して減耗し、労働対象物を目的生産物に変える作業をするのだが、人間労働も道具ゼロの生産手段そのものであり、道具を使うと道具使用労働に労働の形を変える。人間労働は、道具によって形を変える特殊な生産手段の1つである、と言えるのだ。

 

・道具と労働、生産手段と労働の関係を考えてみたい。

何故、どのように労働時間を短縮するのか?

 

・かき氷屋さん、を例として考えよう