資本主義分析-1

マルクス表式で、資本主義生産様式では

GーWー GーWー・・・・の資本の変態により、剰余価値が蓄積されることを前回明らかにした。

 

資本主義システムは、資本家利潤を目的とすることで、社会的な総生産を担い、社会的な総消費に対応する、強い資本家動機により発展する。

 

資本家は貨幣資本を生産組成して生産活動を行う中で剰余価値を得るのだから、生産自体を自己目的化せざるを得ない。資本家間競争の社会である。

 

その為には、生産活動の継続と資本増殖率の向上、GーWーG変態の高速化が求められる為、常に可変資本の剰余価値転換を求める。また、その剰余価値も退蔵したり、自家消費したりするのではなく、より優れた生産組成=可変資本の縮小に寄与する生産手段への投資消費に向かう為、社会的な総生産に寄与せざるを得ない。

労働者は生きる為に資本家に商品として労働力を売り生産組成の原料を目的生産物に「変える者」=可変資本として機能するしかない。

資本家は労働者を雇用するより、より安価な生産手段を市場から調達する競争となり、生産手段需要は高まるので、生産手段生産競争が一方で起こる。

労働の一部を安価に代替する生産手段は、発展して次第に労働力の主流の座を奪い、労働力をより安価な生産手段の操作機能に置き換えようとする。

 

可変資本即ち原料を目的生産物に「変えるもの」の主役は人間労働から動力エネルギーを使用する機械に置き換えることにより画期的に省力化でき、この資本主義生産物が旧態の人間労働生産物市場に投げ込まれると、剰余価値の一部を失いながら低価格を実現して市場占有率を高められるし、剰余価値を蓄積できる勝者のシステムとなり、生産手段を更に高度化していく生産循環ができる。

 

一方で、職人生産者は市場の価格競争で敗退し、労働者へと身を落とすことになる。

市場では、単位あたりの生産物の価格が下がるので、消費者の側からは貨幣価値が上がる。多種類の或いは多量の商品を賃金から得られるのだ。

魔法の杖🧙‍♀️、としての前期資本主義のシステムが花開くのだが、これはいつまでもは続かないのだ。

 

 均衡的生産システムである不生産労働生産様式は、消費の為に生産活動し、生産活動分を所得として交換市場で貨幣を媒介に得て、その貨幣で他の分業生産物と交換して生活する。中世の均衡システムだ。

 

しかし、不均衡生産システムである資本主義的生産様式は、所得を機械生産として労働者から奪う、労働者依存度を減らす、蒸気機関内燃機関の動力機関に置き換えることで飛躍的に発展する。

労働者から奪った所得を資本家間競争に必要な生産手段に消費しなければ継続生産=継続剰余価値取得が資本家にも保障されない不幸なシステムでもあるのだ。

資本家間の競争により、剰余価値収奪戦が起こり、生産手段への消費戦がおこるのだから、均衡型生産物は市場から駆逐され、資本家間の生産継続の為の優先販売戦が起こるが、営業経費増であり値引き戦争となる生き残り戦となる。いずれも剰余価値は減額されるし、残存剰余価値はより高度な生産手段への消費となり投資され、上がりすぎたトータルの生産力は、遂に行き場を失う変換点を迎える。不均衡生産の行き着く先だ。

 

生産過剰、需要不足となるのだ。資本は、統合寡占化と資本家間競争を減らし、一方では持て余した生産力を消化して換金できる他の均衡市場を求める。植民地的隷属市場であり、ここも底をつくと市場争奪戦として国家を巻き込んだ戦争による再分配戦となる。

 

その時代時代でだが、初めは第一次世界大戦での市場争奪戦が、ここでは先進資本主義イギリスと後発資本主義のドイツが中軸となって破壊消耗戦を、その間にアメリカ🇺🇸が圧倒的な戦争経済で死の商人として生産力の向上を実現、終戦とともにアメリカの生産力過剰が恐慌を引き起こし、もう一方では、競争脱落したロシアは、社会主義となる。

しかし、アメリカの恐慌復興は第二次世界大戦の消費を必要とした。

この荒廃による戦後復興需要から資本主義陣営では日独敗戦復興需要国での復興資本主義が発展し、一方で社会主義運動や先進資本主義の生産物処理兼低価格原料供給地である植民地の独立運動が広がりを見せ、アメリカ🇺🇸の地位は低下し、冷戦で市場縮小を防ごうとした。世界市場に社会主義経済圏を均衡市場として残して飽和したが、アメリカは、冷戦を勝利して国際市場を拡大する。日独の所得を回収しながら。

 

冷戦終結後は、中ソの冷戦後復興需要で中国🇨🇳の生産力が増大し、その中国が投資先となり世界の工場に。そして世界的な生産過剰になっているのが現代だ。

形は時代を背負って変化しているものの、根源や本質においての進歩はない。

基本が不均衡な資本主義システムであり、生産過剰と破壊、復興の歴史を繰り返しているだけだ。

その間に科学技術が進歩し、筋肉労働の機械化から頭脳労働に代わるA Iマシンに生産手段が置き換わろうとしている。

人は、労働を通して所得を得て、所得を消費して生活して生きる。が、人の労働に所得をもたらす必要のない社会を目指して、資本の増殖を目指して進んでいるのだ。資本への所得移転を最優先で目指す社会に突き進んでいるのだ。

むき出しの生存競争、強いものが勝ち、圧倒的多数は労働者階級として、脱落しないように競争し団結できない資本支配社会に。

今まだそのプロセスから脱しきれないでいるのだ。

人が資本蓄積の為に働かされている世界のまま、であり、時には破壊を通じてこのシステムは生き延びている。