マルクス主義経済学7

・結局のところ、ケネーの範式モデルは、自然の力=自然物の増殖力と人間にとっての有用自然物=農産物の濃縮労働生産による農産物の対人口過剰生産が安定したこの時代の経済モデルであり、定住による単純再生産を可能にした農本社会を形成したが、過剰生産であるがゆえに、支配階級の存続をも可能にした。

より正確には前にも述べた通り支配階級が強制的に生産物を収奪することが、農奴の生産性を維持した必要悪ともいえるし、同時に中間消費を減らして支配階級の為の剰余生産物を生み出す為には食い扶持減らしのための不生産階級も生み出さざるをえなかったのである。

 

一方で、原前払い=固定資産形成=内部留保も生産階級内で蓄積できており、こうして農業生産業のみに剰余生産物を可能とする初期の資本主義生産システムが形成されていた。この体制が農本主義封建制度として構築されたのだ。

 

・支配階級と不生産階級ができたのは、余剰生産物が生産階級で作り得たことの結果であるとともに、支配階級が、生産階級への分配を農奴の生存レベルと、わずかの固定資本形成以上の取得を許さなかった結果でもある。

 

・この農業の資本主義的生産力の実現こそが、ケネーの経済表範式により絶対主義的封建主義社会という安定的継続的な国体を可能にした。

農業の資本主義的生産様式の実現とは、原前払い=固定資産形成から100の資産のうち10を毎年減耗しながら50の生産物を得て、そのうち20は生産時に農奴の生存食糧等最低限の中間消費をしているわけで、30の余剰生産物がある。これが利子であり地代としてあるわけだが、形成固定資産を10減耗しているので、10を減耗分補充=固定資産形成するので、20が剰余価値、というわけだ。

 

マルクス表式  GーW(pm+A)ーPーW'ーG'

に適用すると、貨幣資本Gを捨象すると、

生産資本は、20(種籾+農奴食糧)+10の固定資産減耗であり、年間の農奴による農業生産労働と固定資産減耗の合体による生産活動工程P(但し生産活動と言っても種子の自然成長のスピードに従うしかない工程だが)を経て、50の生産物W'を得るのだ。だから資本主義的生産と言える。農奴と種もみに20を払えば30は資本家に入り、10の固定資産減耗を補充し、残20が剰余価値である。

ここで、ふと疑問が出てくる。20の剰余価値は誰の物なのか?

仮に自然の種子の増殖DNAと太陽エネルギーと水と二酸化炭素を植物の自己生産力の利用でしかないとしても、目的生産物の成長濃縮補助労働をしている農奴と固定資産減耗している生産階級内の借地農経営者、いずれにせよ生産階級内で分配されるべき生産物ではある。

ロビンソンで言えば、素潜り漁法から投網や小舟を作っての漁に進歩する中で、食べきれない魚が取れるようになった、漁業労働の直接従事時間を減少して他の労働で消費生活を充実多様化させることができるはずだ。

本来なら農奴の人口を増やして養い、彼らに増産された食糧と交換して多様化した労働によるサービスを受けられるようにしたり、同じく経営者に固定資産を増やさせたりして、更に生産力を上げる循環を作ることが可能になる。

 

 ・生産階級のものであるはずの余剰生産物20は、支配階級人口の食糧需要分だけなら、不生産階級は生まれない。このレベルは、2階級であり非食糧生産活動は、支配階級内の召使い労働の範囲と、生産階級内での=農奴の余剰人口での固定資産形成労働で非食糧労働需要が賄われることになる。

生産階級からの収奪が徹底しすぎると、生産力は増えず逆に維持すらできなくなるし、低い生産量からの収奪では、支配階級と言えども労働はしないが扶養されるレベルである。

支配階級の食糧消費需要を超えた余剰生産物が得られるようになって初めて不生産階級の食糧需要が得られる。不生産階級増は、多様化した商品生産を可能にし富国強兵も高い文化も支配階級にとって可能となる。

農業の過剰生産が、人口増を産み、不生産階級を増やすことで、生産階級の固定資産形成がより進み更に生産力が増す、拡大再生産の軌道に乗るのだ。