マルクス主義経済6

農本主義時代は、8割の農奴の、太陽エネルギーに依拠した食糧生産力に多少なりとも合理的な生産性をもたらした。

そして一握りの支配階級の豊かな消費生活を安定的にもたらした。

農業技術の進歩により、余剰生産物を生産できたとはいえ、その程度でしかない。

国内支配だけでは、得られる富にも限界がある。

 

農本主義時代は国体として封建的な絶対主義制度で最大効果をあげたわけだが、大航海時代を迎えることで生産活動の推進とそれによる富の限界を越えようとする。

絶対主義のもとで大航海時代を推進して、国内の収奪の限界を超越しようとすると、自給自足型経済ではなく、国外収奪活動を支える財務、科学技術や天文学、船舶製造技術や武器の開発が国境紛争を超えたレベルで求められる。

大型生産、大量生産、高度武器生産であり、これを支える財務である。財務は絶対主義の国王から納税分を割いて戦費同様調達し、不足資金は株式会社的な制度をも生んだが、初期は国王の税支出決済であったはずだ。リスクが大きすぎるのだ。

対象にされたのは、南北アメリカ大陸やアフリカであり、インドであるが、中国やアジアにはまだこの時代には及んでいない。この事で富を得たのがヨーロッパであった。

 

・国内収奪だけではなく、国外収奪を強めることの為の需要は、国内の単純再生産システムだけでは対応できず、資本主義システムが導入されることで、国内需要を超えた工業生産が継続できる事になる。

この仮需要は資本の蓄積活動が継続するので、継続動機が維持されるとともに、生産を主導する資本家階級を育てる。そしてその所得を生み出すのは国内階級収奪の剰余価値だけでなく、海外からの収奪でもある。世界の覇者となるべく、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー、フランス、イギリスは行動し富を得た。ヨーロッパもついに現代にはこの効果も薄れつつあるが、世界の富を集めた時期があり、これは絶対主義の時代から始まったものの、資本主義での工業化によって加速したといえる。

 

・余剰生産物は、剰余価値生産に取って代わった。AをBに変えるだけの加工生産活動だけでは、不生産階級の生産レベルが、生活費との交換だけの再生産循環経済であるのを、資本主義システムにすることで人減らしした分を機械、エネルギーに置き換えた差額を剰余価値として、しかもそれを更に高度な機械生産に投資するという再生産循環では、富は生産力手段の保有という形でしか得られない。

生産の継続の資本家要求と、雇用されることでのみ生存を許される労働者との労使協調が、細く長い平和的経済維持をもたらすものの、剰余価値国内需要で制約される生産活動の範囲で、ケネーの定義した不生産階級生産構造に戻り、必要な物だけを競争社会で生産することで、剰余価値の生まれない経済へと縮小する。

華やかな資本主義も、不生産階級の資本主義化が進み、主流が資本主義同士の競争になると、剰余価値の総額は減り、合併や統合から独占資本主義に向かう。格差は広がり、生産物を消費できる層の所得が減る中でグローバル化などで市場が拡大されなければ格差で得られた資本家に集積した資本の投資先は無くなっていく。金融資本の貯蓄=退蔵となる。

こうして、資本主義の発展が不健全となる。

国内需要の小さい国から飽和して、生産縮小が迫られる。資本主義の生産活動としての勢いは止まり、実態経済は元々の持つ不生産階級化が進み生産縮小し、一方で退蔵し蓄積された資本の行き先がなくなり金融資本主義として荒れ狂う社会となる。

金が一部に蓄積するが、投資先がなく低金利となり、投機的な資本のカジノ経済による再分配が主要産業となる金融市場と、中間層の貧民化による99%の貧民が国境を超えて存在する社会に収束しそうである。