マルクス主義経済学4

・ロビンソンは、孤島で生存するために、魚を取り、果物を集め、各種の道具を作り、衣服や家具、家を作り暮らしたが、その作業の全ては本人の労働であった。

分配問題がない反面、各方面の技術は稚拙であり生産力は低いままであった。専門的に技術開発する時間的余裕がなかったのである。

 

ロビンソンの生産労働と同じことを、多くの人の分業によって行うのが一般的な集団的人間社会である。

分業では、自らは交換を前提に他人の必要物をも生産し、自らの労働支出量をもって他人の労働生産物と等価交換することで自らの欲望を満たす。

そのためには交換市場が必要であり、そのことは交換自体の為の労働支出=商業等をも伴うが、トータルでは自分一人だけで生産活動を行うより生産力は上がるのだ。

何故だろう?。単一労働、反復労働で無駄がはぶけることもあるが、より生産力を上げる方法の工夫や生産工程の改善や道具の開発やらが可能になることで生産性向上が可能になるのだ。研究開発や道具などの労働補助具の導入など、年度で中間消費で消耗することなく減耗だけで済む固定資産形成ができることで労働生産性を向上させるのだ。

 

・さて、採取経済から定住可能な農業生産経済への進化の過程を考えてみよう。問題意識は、集団的社会で階級は余剰生産物ができるようになる前から常にあったのではないか、ということだ。

食糧入手の可否が生存継続を決する時代での話である。

自然のままの希薄な目的物を採取労働により生産するのだが、

生産量>消費人口、

ならこの集団は継続生産でき、かつ、非生産階級=支配階級が存在できる。

ただし、採取労働自身が希薄な目的自然物を採取するだけだから、すぐ希薄状態から不足状態に変わるので、移住を繰り返すしかないのではあるが、

生産量<消費人口、

ならば、食べられない人口が集団を離れて他の場所に移動していくしかない。

その前に集団内で生産物の分配争奪戦があり、これに敗れたグループが去ることになるはずだ。

 

・生産過剰でも不足でも集団内での分配序列が集団的生産には常に存在すると考えた方が合理的である。

集団的生産活動では、生産では協調が分配を巡っては内部対立が存在し、序列が形成されていて生産過剰分の分配支配権をめぐり、掠奪する側と、掠奪される側とが存在していたのだ。する側は支配階級となり、される側は生産階級となり固定的になる。

 

採取経済では維持できる集団の規模も小さいはずだ。定住し自然の恩恵をよりよく受けられるような自然目的物を濃縮する形の生産労働形態、それが農業である。

定住人口を維持する為に、目的生産物の濃縮労働に適する適地への定住がふさわしく、濃縮労働で人口に対する過剰生産、余剰生産物ができていることが定住を可能にしたわけで、生産労働せずに消費だけする支配階級が常に存在し支配していたわけだ。

 

支配階級は、農業適地=定住土地と生産階級=農奴を他の集団から守る軍や兵、余剰生産物を全て収奪できる為の領内支配の治安徴税官吏を作り維持しなければならない。余剰生産物はこの雇用に割かれる以外の残余剰生産物は、全てを最終消費できる特権をもつ非労働=非生産階級なのだ。

 

生産力が基本である。農本社会では人口の8割は農奴である。農奴は余剰生産物は収奪されるので、生存ギリギリの生産物しか残らないが、一方で自然の一部である人間の種の保存欲求から農奴人口は常に過剰な状態にあり、この過剰な人口は放出され、支配階級に雇用されるか、土地に帰属できない浮浪者となって農民家族から口減らしとして放出される。

浮浪者とは失業者であり、支配階級や生産階級との間で余剰生産物と労働力商品との交換によって生きるしかない階級、不生産階級を形成することで生き延びる。過剰な農業生産力を手に入れた後の産物である。