マルクス主義経済学-2

・今回は、商業やサービス業にも剰余価値は発生するのか?であり、その答えは、する、である。

 

・経済学の母、フランソワ・ケネーはフランスルイ王朝時代の天才的宮廷医であり、専門は循環器であった。

だからこそ経済の解析もその循環的手法が用いられた。

マルクスも、ケネーを天才と賞賛しつつ自らの再生産表式のマクロ的手法にこの方法を取り入れたのだ。

 

・ケネーの経済表範式がそれだ。

私のバイブルでもある。

農本時代の封建社会の経済土台の仕組みを見事に表現している。

支配階級、生産階級、不生産階級である。

ここで、生産階級は農民階級であり余剰生産物を生産して税として支配階級に納税している。

不生産階級は工商民であり、職人や商人を指す。

余剰生産物のない委託サービス自営業者であり納税能力もない。

そうしてみると、江戸時代の士農工商と全く同じである。不思議なことにフランスも日本も農本時代の経済システムは同じであるのだ。

ルイ王朝も徳川体制も大して変わらなかったのだ。

 

・さて本題だが、マルクス

GーW(pm+A)ーPーW'ーG'

は、工場生産の資本循環を表している。

でも、よくみると、ミクロの工場生産図式である。丁度、工場出荷出口に商人が現れ、G'の貨幣を支払って商品生産物をメーカー出荷価格で買い取っている姿だ。

しかし、このG'で市場に輸送して値段をつけ、ロスも見込んで屋台を作って販売して、G"にするのが商人の仕事である。価値はG'だが、販売価格はG"なのだ。

簡単に書こう。

G'ーW(pm+A)ーP2ーG''

なのだ。ここでは、生産組成は、G'の貨幣資本で、原材料に当たる商品資本pmを等価交換で仕入れて、これに正確には少量の販売消耗品を加えて、更に労働付加して、付加価値生産=販売活動をしてG"の貨幣資本と等価交換しているのだ。

職人が労賃を得て原料を加工して原料と異なる有用物を物として生産し、その生産品を原料プラス労賃で販売するのと同じである。

商人は、原料=生産物を得て販売活動して生産物と異なる貨幣と交換して貨幣資本に戻す労働をしているだけだ。

商人は、交換用生産物がなければ、存在する必要はない。が、商人がいなければ生産物は物として工場の出荷出口で山積みとなり、ここに来て買えるだけの消費者との間で換金=貨幣資本化が可能となる為に、その回収された貨幣による再生産のみが可能となり生産は縮小し、在庫が山積みになる。仮に出荷出口で直接に消費者に販売するとしても、生産労働から離れて消費者と商品と貨幣を交換する作業を専門にした作業員が必要となる。しかし工場の規模が大きければこの作業に多くの作業の手間がとられる。しかも消費者は遠方から運輸経費と時間=労賃換算をかけて来て運び帰ることになる。ならば、商人が代行して消費地の市場に持って行って販売した方が有利である。商人を否定するなら商人の代行を工場生産側でやるだけのことだ。

商業の価値は見えにくいのだ。

結局、生産資本が新たに商業資本としても機能をせざるを得ず、生産に資本を集中できなくなる。

 

要は鏡に写った反対側のようではあるが、商品資本を貨幣資本に戻すという生産活動を行い、工場生産部門の再生産活動を=継続生産を可能にするという生産活動を担っているといえる。

 

貨幣資本で生産物を価値通り= G'で買い、これが、生産の場合の原料にあたるのだが原料と商業労働を付加して、その総額で市場で売る、というだけだ。

工房職人同様に商人にもこの段階では剰余価値は発生しないのである。

 

・ではどのようにすれば剰余価値が商業やサービス業で発生するのか、だ。

前回のー1.を参照するとわかるが、原理は同じである。

商人を、奴隷のように長時間こき使う商業資本家のもとでも剰余価値生産は可能だが、それなら他の商人に取って代わることはできない。支払い賃金が低いのだ。工場生産が需要に対して過剰になると、溢れた失業者が資本の回収作業に動員されやすいだけのことだ。

本来、Aは可変資本だから、ここの一部を機械労働に置き換えて合理化して、pmの仕入れ商品に、機械の減耗費とエネルギーを付加して、それ以上の可変資本=Aの労賃を減らすと、その減った分が剰余価値となる。

だから商業活動も本質はG"ーG''  に過ぎない。

商店から大型の商業施設への変化での機械化による商業労働者の大幅削減により商業部門の剰余価値は生産される。これによって販売価格への低価格化も可能になり、商人活動を駆逐できるのだ。

これは何ら工業生産の場合と変わらない。

剰余価値は、あくまで労賃の節約の中からしか生まれないのだ。だから投入段階で、労賃節約組成で同量生産が得られるに過ぎないから、商業だけでなくサービス業でも剰余価値生産は得られるのだ。

場合により、規模を大きくすることで、雇用を伴えば自営業でも可能だが、法律で大規模商業者と分類されるだけでしかない。

 

本来は儲からない工業や、商業でも、労賃を削る方策が組成段階で成り立てば、左辺に剰余価値をプラスすることができ、左辺と右辺が同一になる。

しかもそれは可変資本をケチるか、より少ないコストの不変資本に置き換えて、左辺全体としての不変資本を増やしながらも、それ以上に可変資本を減らして、

総体として左辺の剰余価値+不変資本+可変資本が、右辺の商業やサービス業は、商品ではなく、貨幣資本と等価交換されるのだ。

貨幣資本と同等になるようにする、即ち可変資本を大幅に減らす、なかで引き換えに剰余価値は左辺で生まれるのだ。

 

・生産量が増え、生産資本は素早く換金して継続生産の為の貨幣資本から生産資本への転換を途切れることなく継続したいので、生産商品の貨幣資本化は早めたいわけで、機械生産工業部門も含めて、余剰人員は商業やサービス部門の工業生産力に対応した大型化への労働人口移動に吸収されることで失業は回避できる。

 

・工業資本の換金化を早めないと、生産継続ができない事態となるし、即ちGーWの生産資本化が止まるので、金融機関からのつなぎ資金が必要になる。

商業資本もG'' 回収前に、前もって原材料に当たる仕入れ商品を貨幣資本と交換しなければならず、ここも仕入れ商品を担保とする信用借りや手形などで貨幣資本を始めに得る必要がある。

資本主義経済は、こうして工業の発展に連れて商業の発展を誘導し、この双方から金融業の発展を必要とする。

この利子は、剰余価値の中から支払われる。

 

・問題は、資本主義生産システムで、需要=供給に到達した後の話だ。

これまでは商人の不生産階級としての価格形成に、少ない商業労働者雇用で機械化し、剰余価値から低価格化を実現して商人による商品販売と闘って商人を駆逐するまでは商業資本主義の市場占有率向上は継続する。

また、この間はサービスや金融も拡大する。が、生産物需要がほぼ全て商業資本による販売で置き換わると、それ以上の活動は止まるのだ。

そして金融、サービス、商業、工場生産へと生産停滞が逆流する。

次々とより省力化する機械化合理化システムの登場か、市場の拡大、例えばグローバル化であったりがないと資本主義的生産は元の不生産=単純再生産へと逆流する。

 

資本主義は、剰余価値生産が不能になればその歴史的役割は終了するはずだ。それも、ミクロでなくマクロでの把握が必要になる。

続く。