経済を考える10-2

覇権主義を考えて見たい

歴史的に覇権国家は、オランダ、イギリス、アメリカと推移したことが定説だが、このいずれの国もバブルとなり、崩壊しデフレとなり、その打開策として覇権国家となった。

オランダはチューリップバブル、イギリスは南海バブル、アメリカは世界大恐慌だ。

この場合の下部構造は、生産力過剰、流通支配力過剰、金融過剰で、有効な投資先見つからずに資金過剰となり、金融が資産に流れ込んで資産インフレを引き起こして、信用借投資を膨らませてバブルが破裂、一気にデフレスパイラルに入る。夢は冷めて襲って来るのはデフレによる生産過剰の現実だ。

ここで対策はというと、生産設備の国内需要水準への破壊と失業者増の生産規模縮小パターンか、

覇権国家として過剰な生産力を更に拡大する保証となる生産物消費市場を求めるか、の選択である。

イギリスは、当時ウイーン会議だったかで、ヨーロッパの国境紛争を協議調整する場で、隣国との国境調整がおこなわれたのに、イギリスのみ特殊にマルタ島喜望峰、セイロン支配を求めた。マルタは地中海、喜望峰はインドへの海路基地、セイロンはインド征服の基地である。当時は世界貿易の50%をイギリスが占め覇権主義を既存領地戦から未開の植民地市場を目指す戦略だったわけだ。

インドの綿花仕入れて機械化繊維工業力で製品生産し、インドは買うだけに。ガンジーの政治運動のシンボルは、非暴力非服従だが、糸車である。国旗もこのデザインだ。要は、綿花生産を過剰にさせられてインドの自給的手工業的な家内生産を破壊させられ、製品を輸入させられるシステムだ。イギリスは、工業稼働を上げて安い綿花を大量輸入しインド以外にも輸出、労働者は失業せず所得も上がり機械化生産も高度化する好循環システムを得たが、その背景には、イギリスのオランダ、フランスに勝る海軍力があった。このあと中国や植民地アメリカに市場を拡大して、アメリカ南部には綿花プランテーションを作らせ綿製品販売、更にアフリカ航路から奴隷をアメリカに運び綿花原料を仕入れ三角貿易もやった。中国は市場としてアヘン販売して稼ぎ香港を橋頭堡として奪った。アメリカとは独立戦争に入り、その後、南北戦争終結で余った武器を日本に売り日本は明治維新となる。幕府が通商のテンポが遅く役に立たないから親英政権の明治維新にしちゃっただけなんだが。中国支配の活動が忙しかったのもあり、日本は植民地化を免れたが。香港起点に上海租借地作ったし、シンガポールも海路の要衝だから支配した。

覇権主義とはグローバリズムである。

グローバル化したい覇権国のルールを押し付けることで、自由とは必ずしも一致しない。生産力なら貿易自由化だが、金融力なら金融グローバルで、覇者による市場拡大の自由の側面が強く、国内産業の保護と対立関係にある。生産流通か金融か、支配したい項目でグローバルの内容は異なる。国内産業が破壊された側は、生産がなくなり雇用がなくなり、失業者が増えれば労働所得がなくなり、本当に貧しくなる。リカードのように敗れた国は雑用しかなくなる。貧困化するのだ。そのぶんは金融帝国に吸い上げられる。開国の明るいイメージとは異なる世界だ。覇権国は、生産技術、流通支配力、金融支配力、軍事力が存立条件となる。過剰なそれぞれの力がその根拠であり、日本は軍事力ないものの、アメリカ傘下の自由圏貿易国内で、アメリカが怒り出さない範囲で技術力と金融力支配での属国として支配していく形で、中国や東南アジア始め世界にグローバル化を進める側に立っているから、後進国にとっては準アメリカに映り、アメリカには従属国となっている特殊な存在である。アメリカの世界覇権の部下的協力国である。

マルクスの資本主義論は、階級闘争という支配被支配の関係性で資本主義を捉えたが、それは一面的であるが、支配被支配は付いて回る。である以上、ここには、等価交換だけでは説明できない不等価交換を伴うわけで、覇権国の覇権国たる所以であり、覇権国は不等価利益も求めるわけで、等価交換でグローバリズムを説明しつつも、持ち込まれるグローバリズムは、覇権国の不等価交換のルールと共に持ち込まれるもの、ということである。