経済を考える9-9

◆金融資本主義への変化と発展

実態経済は、実態であることにより有限である。

 

有限性とは国内需要であり、更に国外需要(輸出)であり、市場は常に有限であるが、貿易問題の障害を克服できれば更に広げることは可能だが、限界は常にある。

封建時代の不生産階級が生産階級への変化での初期資本主義の略奪性、剰余価値拡大再生産による健全な発展段階、そして今回以降テーマとする、後期資本主義と新たな経済システムへの転換の模索段階へと進むが、後期資本主義の特徴は、金融資本主義、がその主役である。

 

過去の高い剰余生産物、具体的には設備と機械化の高度なレベルを実現して労働力がこれを活用して生産活動を行なっていた資本主義社会ほど、大量生産力があり、主権国家内需要に達するのが早くに訪れる。これは全ての国の資本主義が一斉に起こるのでなく高度な国、国内市場規模の小さい国から順に起こるのである。

また、その段階が発展して主力産業が国外需要との関係性が主になると、国民主権国家は国家の制約が発展の足かせになる。

ここで、もし、剰余価値を貨幣資本にして投資していた場合、その範囲であれば工場を縮小すれば良く生産縮小を需要の規模に下げ、過剰設備をスクラップすれば良いのだが、中国のように借金や投資資金を外国からの依存で当てていたとすると、債務返済義務を果たす資金不足となり枯渇して破綻する。

日本の場合の高度成長は、労賃からの家計貯蓄と企業剰余を投資資金として運用拡大して来たから、その後バブルにあい、ひどい目にあったが、自力で平和的に修復できた。要は成長期に家計が貯蓄を産み、国内投資で運用して蓄積を増した歴史なのだ。

 

それまでは、過去の剰余価値の投入分の減耗分を補填して尚余りある剰余価値があり、これが投資、即ちより高度な設備や機械生産に投資されることで資本主義生産システムの発展優位性を得て来た。

しかし需要の壁にぶつかると、拡大再生産投資の必要がなくなる。要は生産調整に入り、将来投資予定分の剰余価値は、貨幣資本のままで行き場を失う。

 

買い替え需要分の生産に縮小するか、需要を拡大する選択しかなくなるのだ。大型高速の生産施設や、機械は邪魔になるのだ。生産しなければ剰余はできないが、生産すると過剰設備で過剰生産になる。

また、販売=貨幣資本への交換ができなければ、剰余価値部分は需要なき生産後商品の山となって残り、朽ち果てるか乱売で縮小した貨幣資本を回収するだけだ。剰余価値自体を失い、δG-。欠損が確定する。

現在の中国の鉄鋼業がその象徴である。

 

(金融)貨幣資本G、はW生産資本に変換して、その組成と運用により剰余価値を得て、運輸、商業を経て剰余価値分を拡大した貨幣資本G'として得て、その中からの剰余価値から金利を受け取るので、勿論商業活動の合理化の中からも剰余価値は更に得られるのだが、Gを増やすには、生産資本に転換する工程は資本主義システムでは絶対的に必要な条件である。

 

それは、貨幣資本のままタンスに備蓄しても、金(きん)などの商品貨幣のまま金庫に保管しても、価値は全く増えも減りもしない。ただあるのは、資金需要がのちになってどうか、という価格的現在価値変動だけである。現代日本のようにデフレ経済即ち社会総体としての縮小経済が続けば、生産資本や商品資本の形が、実質的に価値を減らす方向になるので、貨幣資本が最強となるから、利息ゼロでも貨幣資本で保存した方が総体的に価格を上げる。

しかも国内的に資金需要がないから、ますます貨幣が余る。これが海外運用、海外の生産資本化を経て剰余価値の一部を金利として受け取る、要は資本輸出となる。日本は貿易収支がトントン、資本収支は14兆円のプラスが、最近の状況で、経常収支黒字国を何十年も延々と続けている。

高度成長期は貿易収支が大幅に黒字だったが。

 

要は、国内生産過剰にたどり着いた国は、皆この状態になる。

輸出依存度の高い国は、需要を外国に頼るため、外国で市場開放や関税の低下方向に反する動きや、また、外国への融資をしていた場合に、政権が変わり、債務放棄してきた場合には穏やかではいられない訳で、内政干渉や国際銀行取引停止、場合により派兵など、国内法規に近い運用を求めて内政に干渉する。これが過去の大戦となった。その後焼け野原になり終戦で需要の復活があり、1970年から75年に戦後の健全な経済発展が終わり、現在に至る。今はその意味では戦前になっているのだ。ただ、国同士の戦争を繰り返す危険は少なくなってはいる。要は最新の帝国主義は、国民主権国家を通じて、主権国家間の争いとしての戦争から、グローバル化契約の中での矛盾調整だから、制裁は国通しというより、企業対国だったりする。北朝鮮のような2周回遅れの例外もあるが。グローバル化時代は、国を超えた法規や統制が必要でユーロで実験が進んでいるが。

 

現在の世界経済は、実態経済の3倍の金融経済となっていると言われていることでもわかる通りの世界的生産過剰で金融資本が余るが、実態経済への投資資金も過剰であり、当然に高金利は得にくい。が、尚金利求めるなら生産資本への転換場所を求める競争が熾烈になる。しかし、3倍の金融資本の受け皿は実需には1/3の資金需要しかなく、残りは金融資本通しのギャンブル場でのゼロサムの貨幣所有権の奪い合いにならざるを得ないし、そもそも信用により創造された架空の貨幣が2/3の半分を占めるのではないか、即ち高くなりすぎてる貨幣資本需要のある国の総体の担保としての信用貸し部分の貨幣創造が半分はあるはず?、ではないだろうか。儲かるのも、損するのも銀行、という金融資本間のゲームだ。

何れにせよ国際的な貨幣資本は、中国に集中投下され、また、その他の発展途上国の安い賃金求めて、分散投資されている。金融資本のグローバル化である。アメリカは、自国生産力を超えた戦争経済の維持で生産による剰余は得たが、それ以上に国内需要を外国生産に頼り、その繰り返しの中で貿易赤字に転落したし、戦費を国債発行で得ながら国民に借金を負わせてしかも戦場にかり出したので、結果はどうなったか?

国債は日本と全く異なり、日本や中国、最近は中国は資金不足で大きく減ったが、ドイツ即ちユーロ、産油国にドル建てで依存し、アメリカ国民に借金として、更に軍需産業が剰余価値生産して肥大化、更に冷戦崩壊でITやナビゲートシステムなど軍事技術を民間活用して発展した。要はドル建ての即ち国際通貨建ての、借金によるIT利用による金融帝国の道を歩み始めた。しかし、75年には、ドルと金との交換停止を宣言、要は、後でどうなるかわからない小切手で他国から物を買い、他国の生産資本化の組成に支配的に関与する金融資本を得て、IT使ってグローバル運用する、金融資本帝国主義が登場したことになる。

これは、対抗軸のEU、周回遅れの中国が双方共実態経済を前提とした帝国主義需要があるのとは対象的である。彼らは原料と市場を求める、ある意味既存のシステムの延長に存在する。

 

プラザ合意で、日本は超円高を他国と同様に受けいれ、ルーブル合意でもアメリカに追随、価値なきドルの借金の低減に協力するのを通り越し、国内最大の金融機関、郵貯の資金の米国債担保化、郵政民営化も進め、長銀を差し出し、日債銀も差し出した。アメリカの運命共同体的植民地が国益と判断したが、ドイツその他はルーブル合意に応じなかった。以降はユーロ経済圏を構築し、価値なきドルの受け皿を目指し始めた。中国は一帯一路プランをぶち上げて需要を作り、過剰設備と資金不足にあえいでいて、バブル崩壊を先送りするニューディール政策を資金不足をAIID作って補おうとしていて、ユーロやイギリスなども巻き込んでいる。が、資金不足で挫折し過剰生産と借入資金の返済を先送りしようとしているが、実は戦争しか無い、当時のアメリカ模様である。

 

ここに金融資本帝国アメリカ及び従属国勢力、対、その他の世界での、EU、途上覇権主義国中国、その他泡沫国の三つ巴となったが、アメリカが、超大国であることは疑い無い。

アメリカは、ドル貨幣資本での信用借入資金による金融支配型の帝国主義であり、他国の生産拡大を前提とする国際銀行である。

実需は、食料エネルギー、石油エネルギーの生産をを維持しつつ輸出支配し重視し、軍需産業は世界を圧倒している。極端に言えば、他の消費材はドルの小切手で輸入し、国債を買ってもらって、アメリカに投資ドルを還流するサイクルを作っている。債務請求されれば、金と交換できない紙幣ドルを自国がインフレにならない量印刷すれば良い。電子化されてるので印刷機も紙もインクも不要。また、米国債の追加発行で国債を借り換えすれば良く、ただ、低金利金利負担で良い。

要は日本の国債の問題?を世界国債としてやってるのだ。だから国債が増えても、日本は経常収支が赤字になり、ドル建て国債の発行まで追い詰められれば別だが、アメリカはそれすらも無いから更に楽、財政赤字と経常収支赤字の双子の赤字になり持続していても、金交換停止のドルが世界通貨であり、アメリカに発行権が続けば何の問題も起きない。

 

続く。