経済を考える9-8

グローバル経済となり、これが主流となりつつある現在と当面の未来がこの延長線上に位置することは誰にも疑いの余地はないのではないか。

 

ケネーの時代の範式でいうと、生産階級の剰余価値である。30の投入から50の生産物を生産し、20は税として支配階級に収奪されるのだが、支配階級である10分の一税と呼ばれる教会と、領主とで山分けしていた。

これは、支配階級のキリスト教会も支配階級の一角ではあるが、領主の支配の一翼として支配階級内で蜜月状態であることを意味している。が、勿論、

 

領主>教会  

 

の力関係である。

近代の資本主義社会でも、

 

国家>資本

 

の関係での権力関係であるが、即ち国家の庇護と国家への献金の関係で資本主義は国家の下で発展してきた。

 

だが、例えば、アップル一社🍎、の株価時価総額は、2017.03.31で7530億ドル、日本円で82.82兆円、これはGDPとの比較で、世界17位のオランダに次ぎ、18位のトルコを上回る規模である。こうした企業が何社か所属した国は、国の主権を脅かすし国の所属を拒否してグローバル性を生かして主体を国外にも移せる。要は、巨大多国籍企業は国家の庇護を必要とするより、規制を外して自由経済としてもらえることを、また、法人税値下げ合戦をやってもらうことを国家に期待しているのだ。

 

韓国で、サムソン、ヒュンダイなどに嫌われたなら、韓国はもたない。資本主義発展は、既に国内需要では不足し、生産資本も市場に近い国に疎開している、そんな規模なのだ。

 

多国籍企業>国家  

 

グローバリズムの本質なのだ。

国民国家の黄昏、と言われ国家は資本の下僕になりさがる、ここが歴史的に民主主義を進めてきた、欧米での反グローバリズムのこの間の成長をもたらしている。

多国籍企業化の本質は、新興国に需要先を求める需要低下対策そのものと言えるでしょう。それには、国家の規制が邪魔になるということでしょう。

 

また、民主主義国家を支えるには、豊かな生産力が必要で、生産力が豊かな生活と仕事による収入即ち所得がその裏付けであり、そうでない場合は、上流階級とその他の上流階級でない人々、となり、民主主義体制を国家がとる場合は、運営に困難をきたす。

だから、国家、特に民主主義国家の規制は不要、障害となる。

富を集中する帝国、は国境を嫌う。覇権国は主権国家システムを認めた上での覇権の範囲、主権国家との共存が可能に。

しかし、言えることは、資本主義が高度に世界的に発展すると、壁にぶつかり、それまで主権国家により保護もされた資本主義にとって、特に発展の先端から、その主権が邪魔になってきた、ということだろう。覇権主義帝国主義は、国家を超えた資本主義としてのルールを作り、破ったものには制裁を下す、そういう秩序が求められ、それを大戦後に、担ったのは、覇権国から帝国主義国に成長したアメリカだったが、実際は支配の及ばない社会主義経済圏が一方であった限界もあった。

これが一極化した現在、グローバリズムが徹底できるようになった。