経済を考える9-6

ケネー範式をもう一度よく観察してもう一歩深めてみよう。

 

生産階級の仕事は主に農業であり、生存している生産階級、支配階級、不生産階級の総人口を支える生活必需品を生産している。

特長は、生産物は原料を増やしたものであり、変化や加工はされていないことだ。だから、労働の質は自然の力による植物の成長を補助するタイプの労働であり、不生産階級とは全く異なる労働の質である。補助労働で労働価値以上の太陽エネルギーによる恵みを生産物に反映させられるからだ。

年前払には、種蒔き用の原料穀物と、生産階級農民の自家消費食糧を含んで20が昨年の生産物から取り分けられている。

他に過去労働の集積物である、原前払の100を生産投入して、年労働に加算して減耗分10を生産物から割いて補填している。

年前払で生産資本組成しているが、それに原前払を加えることで、50の生産物を得る仕組みだ。しかし翌年用年前払に20、原前払補填に10を補填しているから、30を投入して50を得るから、20が余剰生産物となる。この20は、支配階級に没収され、10を支配階級の食糧に、間接的に10を不生産階級の食糧に最終消費させて人口総体を維持させる。30の投入のうち10の原前払補填は、自力ではなく不生産階級の年前払10を非食糧用の加工原料として渡して、原前払10の補填として受け取っている。貨幣はこの際反対向きに動いているだけなので省略できる。

 

生産階級は、20の経費と過去労働物10の価値、計30の価値と引換に50の生産物を得るのだが、20は剰余価値として生産される。たまたま支配階級に略奪されているだけだ。だから、結果として新しい剰余価値は生産されない、単純再生産モデルとなっているわけだ。

太陽のエネルギー、水の利用、施肥、耕運、などの補助的生産労働が労働の主な内容であり、また、耕運、播種、水利土木作業、肥料作り、病害虫防除、などや馬車などの運搬作業が主な労働になる。

自然の力や、過去労働からの恩恵が、自分達が暮らせるだけの食糧以上の余剰生産物を産み出す。

しかし、補助的労働の一部は過去労働からの恩恵である10の労働追加を忘れてはならない。この10がなければ20の純生産物は得られないはずだ。

この生産階級の労働においてさえ、純生産物即ち剰余価値は得られているから、ここが、補充のみに使われあとは召し上げられているわけで、開墾のような別の投資に振り向けられれば、不生産階級を増やせる生産物増が期待できることで、更に原前払の総量を増やせるわけだ。だから、減税と支配階級の縮小は強い成長のインパクトになる。

拡大再生産モデルができるわけだ。剰余生産物は自然のエネルギーの取り込み、でしかないと考えても良いだろう。労働はそれを引き出し、過去労働は更に引き出す。

 

では不生産階級のそれはどうだろう。原材料を加工生産物に変えるだけで、自然の恩恵は全くない。石炭採掘などの一次産業でさえ、採掘労働での原料化でしかなく、労働そのものの価値が生産物に移行するだけで、自然の恵みは全くないので、剰余価値の生まれる根拠は全くない。ケネーはそれで不生産階級と呼んだわけだ。

資本主義社会は、不生産階級の生産階級化である。

不生産階級がどこで剰余価値を得るシステムになるのか、だ。

加工原料を生産物に変える労働に、まだないが労働蓄積物を加えて労働力組成した結果で、当量の生産物が得られて、蓄積物の減耗を補填して余りある状態が必要だ。

スタートは、マルクス通りのWーPーW'であることに疑いの余地はない。原前払は、可変資本の労働組成といっても、労働力しかない、原始的生産様式の段階だからだ。

これも、現時点で単純再生産となっている生産階級の原前払の存在も同じである。過去に過重な労働があったに違いないが、過重労働は長続きはしない。明日をより楽に生産する為に頑張るのである。

要は、ロビンソンのように、魚を木のモリで突きながら、一方で投網も作るのである。この結果、投網が完成し投網漁ができるようになると、余剰時間が木のモリ漁の時より、例え投網の減耗補修時間が加算されたとしても余剰時間増となって剰余価値が発生するのだ。

したがって不生産階級も生産階級化する始めは、過重労働か、女子供の非生産人口や失業者や浮浪者などの利用をやって剰余価値を得ただろうし、この価値を機械化に投資して、その労働人口をも更に減らして機械に置き換えて剰余価値を増加し蓄積したはずだ。

 

しかし、この後で生産階級の時のそれと同じく、労働力組成に過去労働の産物を追加投入できることで、同じ生産物を得るのに少ない現在労働力組成でできるように労働の質が変化した時に、剰余価値はWで発生し、Gで回収することになるのだろう。

 

労働の質の変化とは、現在労働の質の(量も)変化となるはずで、過去労働産物とのミックス労働が、剰余価値+生産物、となる労働のタイプである。

新しいタイプの省力化された労働のタイプで、過去労働の蓄積産物投入分の返済をして尚余りある場合に、将来労働のタイプを作る為の貯金ができる、そういうことだ。次世代生産はそれを拡大再生産すれば良い。原始的なマルクス時代の資本主義分析での略奪的生産を加えれば、更に加速できる、というわけだ。しかし、これは民主主義や労働者の尊厳を奪う為、資本の側の恥ずべき行為ではある。失業者や犯罪者、浮浪者を使うのならその限りではないが初期、一時的措置でしか許されないはずだ。

 

今回は前に立ち返り、再確認をした。

不生産階級の剰余価値生産の根源と、生産剰余価値が過去労働蓄積産物であること、即ち、今回発生する労働蓄積産物は将来生産に使われるべきことの性格を規定してみた。何故ならこの歴史的な循環で剰余価値生産が継続拡大されるから、なのである。

それが健全な?資本主義生産システムなのだから。

 

それは、現代の経済問題、即ちグローバル化による再生産過程の切断と接ぎ木状態になることによる問題、また、剰余価値生産が減る、また止まることの問題の検討の為に必要なのだ。もし、剰余価値生産に限界を生じ、生産階級が不生産階級に戻るのであれば、資本主義システムの停止を意味するから、この300〜400年間の資本主義は、またそのシステムは死滅し、新たなシステムが登場しなければ、中世のケネー的な表式の世界に戻る他はないのだ。

 

また、過剰に格差化した、蓄積剰余価値が一人歩きしている。金融資本の問題もある。

 

ただ、現代は発展を知的労働を機械労働に置き換えることで延命できていて、喫緊の課題ではないが、その先を考えるのは楽しい作業ではある。