経済を考える9

これからの課題は、資本主義後の世界の考察です。

 

ケネーが農本主義時代を、マルクスが農本時代の不生産階級の成長による資本主義時代の萌芽時期を、見事に表式で示しました。

2人の素晴らしさに脱帽です。頭もいいね、マルクスはインテリにバカにされないように教養をひけらかしすぎで難解だけど、ケネーは小さな図だけに近いのに、物凄い内容、対象的だけど、どちらかといえばケネーのファンです。

 

マルクスの表式に今回手直しをさせてもらい、現代の表式にしときました。

と言ってもマルクスの後継としてのGーWーG でしかないけど。でも、ここを資本主義後の起点にでき、ケネーの範式並みのこと、是非やりたいです。

 

研究会サークルでもあればいいのになー。

 

でも、興味ある人少ないし、金儲けにもならないし、やっても自己満足にしかならないし、みんなそんな暇もないし。です。

そもそも私の説に賛成賛同する人がいるか自体が疑問です。で、賛同者が現れるまでは我が道をいきます。そのうち探しては見ますが。

 

さて、GーWーGーW…が無限に続き、常にW段階でのみ剰余価値を産み、また産まず(不生産階級も存在しながら)このミクロ的なパターンが、複数同時に進行してマクロを形成し、ここに国家などの支配階級の関与が複雑に絡み、影響しあっています。

肝は剰余価値は、労働により間接的にも直接的にも産まれる、ということであり、労働には、機械化による効率化、置き換えも含まれます。

直感的には、機械化はサポートのレベルから、労働の主体を占めるようになり、人間労働がサポート、最低限あるだけ、のようになるでしょう。

 

労働のというか、経営側に属していたWの要素の組成を設計する頭脳労働さえも、既に機械であるコンピュータにかなり代替しています。

資本主義の限界を探る上では、人間労働の機械労働化の極限の想定から始めましょう。