経済を考える8-3

WーW'変換を考察する。

貨幣資本Gは、生産資本Wに変換して商品資本W'にして、G'にする。

しかし、WーW'で価値が増殖するのだろうか?

 

GとW、G'と、W'とはマルクスは等価交換しているから

WとW'の間で価値が増殖していないと辻褄は合わない。が、サービス業は価値を実現する為の経費支出でしかなく、何も価値生産していないとするならば、マルクスのこの式では当てはまらない例外となり、しかも現代では、当てはまらない方が大きくなっていてこれが混迷の主因となっている。

例えば家政婦協会など、ほとんど人材派遣業に近く、これも規模を個人から会社組織にすると、固定資産である事務所や、機器などの小さくても資本形成ができる。Wは、労働力でしかなく何も増えてはいないのだ。

商業も個人で個店やってる範囲でも資本形成はできるが、また巨大資本になることもできるが、ここでも生産資本はPを経て商品資本にはなっていない。

何も製造はしてはいないから、産出商品が増えるのとは、また違うのではないか。資本主義は誰の目にもあきらかだが、GーWーW'-G'  は、資本主義の普遍的な表式にはなり得ない部分的な表式でしかないのではないか。

だから、ケネーの不生産階級が、生産階級になるプロセスの研究が大切だ。

とりあえず、製造業が資本蓄積する過程を見てみよう。

生産資本に貨幣を転換する場合、まず、原材料を動力エネルギーと機械を使って労働して生産する。

要は人の再生産費用と機械の固定資産減耗で、原材料を変化させた商品にする。商品の価値は

原材料、エネルギーをPm1

固定資産減耗を、Pm2

労働力をAとすると、

貨幣資本が生産資本に転換するとき、原材料とエネルギーは固定資産減耗と労働力の結合により、違う物質に変わるだけで、価値は増えも減りもしないで加工後の製品に移行するだけだ。だから製造業は

G-WーWーG  でしかないのでは?

例えば家具工場を考えよう。

原材料の木材を仕入れて、ノコギリや丸ノコ機で細かくして、カンナで削ってそれを更に部品にして、組み立てて、釘や接着剤の原料を付加してイスや机を作る。原料を多くして、労働者も多く雇えば、製品も多くできるから、高い売上としてGが回収される。がそれがなんだ、だ。もし、家具職人がほとんど自分の手と簡単な道具で全作業をやるという、職人生産が主流の生産市場であったとき、職人を一箇所に大量に集めて大工場としてやったら、何が変わるのだろうか、何も変わらないはずだ。通勤費が発生し、町工場が各地に必要なくなり、事務経費が節約されるだろうが。

ここに、機械を導入して、機械に労働の一部を肩代わりさせ、より多くの生産は可能になる。

例えば10日で100個のイスを100人の労働者が手作りでつくっていたものが、機械を導入して、1日で10人の労働者で機械化とエネルギーを原料にくわえて木材原料も多くして100個をつくれるようになったとするとどうだろう。10日で1000個を作れるようになる、だれが900個を増やしたのか、労働者なのか、だ。然も労働者は1/10に減っている。

Pmに固定資産減耗と原材料を合算したことでAと同列の価値としたことが間違いなのだ。マニュファクチュアレベルの発想だ。要はGがWになるときに、労働力を機械化で置き換えることで同じ生産力をローコストで得ることができ、それが市場がマニュファクチャ生産のコスト構造での価格でW'-G'が可能ならば、その差額が剰余価値をWに内在化させて生み出され、資本化するのだ。資本の発生はW内であり、製造後の商品からできるのではなく、機械化による労賃の削減に起因するのだ。

だから、GーW(Pm+A)、ではなく

GーW[Pm1+(Pm2+A)]ということになり、

Aが、A>固定資産減耗である機械化導入により置き換えられ、更に高速生産が可能になり、Aが極小化して、m(剰余価値)が発生する、これが資本になるのだ。もちろんA>固定資産減耗、で

Pm2+Aが可変資本なのだ。Pm2自体は減価償却上は不変資本ではあるが。

木材工場労働者は数多首になるが、固定資産の機械製造業労働者として雇用される。ここから先は、ケネーの経済表範式の応用編、マルクスの再生産表式、に発展するが。、

マルクスはマクロ的な視点を導入したものの、資本の運動自体の興味はさほど大きくはなく、この辺りで革命家マルクスの命は尽きたわけだ。

イギリスの産業革命直後の大工場を観察して資本論を書き上げたが、当時まだ主流だったマニュファクチャ、職人による不生産階級の実態から、意識はまだその分類の範囲を抜けきれなかった。

まさか労働者階級の職人生産から機械化生産の中での労賃の削減と節約の中に資本形成があるとは思いもよらず、労働者生産物からの収奪に根拠を求めたのは彼のヒューマニズムだったとしか思えない。

 

起用する労働者の節約が剰余価値、資本の源であるなら、サービス業の説明も可能になる。また、WーW'なる魔法も不要になる。

 

GーWーG  で、剰余価値はWに内在して生産されるのだ。これが正しい後継マルクス主義経済学だと思う。そしてGーWーGーWー…を繰り返しながら社会は格差を広げながら発展する。

W-GーW の労働者階級は生活費と豪奢な暮らしの為に働き、資本家階級は  GーWーG を組織編成してW段階での資本の増殖の為に働く、というわけだ。