経済を考える6-8

今回は話の流れを外して、利益率の問題に踏み込んでみたい。

生産階級の利益率が高く、利益すなわち余剰生産物ができたことが、生産階級と呼ばれる所以である。

農業を主として、漁業、林業、鉱業なども範疇にふくまれるはずだ。

生産に必要な労働力の再生産、即ち食糧プラスアルファを労働力特有の60年程度で減価償却する特徴がある生産資源であることによる世代交代の分も含める再生産費、種や肥料や農業資材の投入消費分も生産過程で再準備しなければならない。勿論借地農経営者の年間の年間再生産費経費も含まれるのが、年前払の20、である。

これ以外に、10年で償却する農業倉庫や耕運機や運搬具、それに土地改良や、橋や道路の整備、場合により、何年に一回起こる凶作時の食糧備蓄などの100の資本が原前払として内部留保されている資本にあたる。そして尚、30の余剰生産物を生産供出していて、外注している固定資産減耗補充10を不生産階級に依拠して現在の生産レベルを再確保するので、20の自由消費できる余剰生産物を他階級に放出できるが、支配階級が占有して消費している構造だ。

不生産階級は、利益率は低い?、ケネーの範式段階では、労働力の再生産のみの生産性である。

その為の年前払の確保がやっと、である。しかし、労働力の再生産は確保てきているわけだから、世代交代、家などの原前払分は確保できている。要は余剰生産物を他階級に放出できる水準ではないだけ、ということだ。

ケネーはその理由を、不生産階級の仕事が、単にものを変化させるだけの仕事だから、農業のように種が何倍もの収穫農産物となることはないと考えた節がある。確かに不生産階級の仕事は生産階級と生産階級の余剰生産物を消費する支配階級の需要の為の外注サービスを自身を再生産する費用で担う仕事人召使いでしかない。

これで循環即ち単純再生産が維持されている。

拡大再生産に転換し社会経済を発展させるには、生産階級の生産力を上げることであり、この事に貢献する手段を優先順位から満たすことである。

資本の投下だが、農業生産性向上の研究により限りある資源の配分効果の優先順位がわかるが、この研究のヒトモノカネは、不生産階級同様に直接の利益を生まない投資活動でもある。開墾による平和的な生産基盤拡大、伴なう農業労働者増、肥料作り、道具の高度化、家畜エネルギー利用、などを拡大することで得られるとする。農業用道路や橋や水路の整備なども実質の農業作業時間を増やすために有効である。生産性階級は、100の資本を年間償却10として原前払として既に投入しているが、あと100を追加投入し、年間償却を20として、60以上の年間生産が得られれば成功であり、循環する。が、その為には農民増や種子増も伴うから年前払も増やさざるを得ない。この投資は生産階級の内部経済でやるなら、減税してもらった内部留保分を使うか、支配階級に流れた余剰生産物の中から、支配階級の高い知性と政治経済行政力で、不生産階級の仕事の一つとしてやらせるか、しかない。平く言えば、善政を行う価値がわかる支配階級に期待することだが、期待できるかどうかだ。王妃の欲望に沿った豪奢な消費や、支配階級の拡大再生産の為の消費や投資を極力抑えられるかだ。抑えられるだけではなく、投資資金捻出と、余剰生産物を最終消費を抑え、中間消費となる年前払増や原前払増に振り向けることになると拡大再生産として花開くはずだ。

資本といっても、年前払と原前払があるが、年前払いは単純再生産の継続に必要な資本形成条件であり、生産階級の努力で多少得られるが、原前払は投資活動なので、支配階級の原資の消費として発生するので、オーナーに当たり、黙って不生産階級に委託するのがよく、その意味では、資本の乏しい段階では民間自由市場に任せたのでは利益を直接生まないから限界があり、遅々として進まない。だから資本主義初期は、国家が関与する国家資本主義が有効だが、得てして富国より強兵に流される危険があり、これが止まらないリスクが高いから難しい。

余談だが、今の日本は投資資金を海外に持ち出し利益を上げていて、国内投資分は消費に変えている。

具体的には、老人福祉や医療、で投資分類は子供への消費含む投資、研究や教育に投資資金を振り向ける政治判断が求められるが、多数の高齢世代の票に依拠した政治が、民主主義の衆愚政治ポピュリズムに流されている諦めの時代。高齢世代の資本を現、未来への投資に振り向ける英断がもとめられているのではないか。