SNA国民経済計算-3

[  3  ]  国民経済計算の概要

 

1.  生産と1次所得の分配

   (付表1.  財貨、サービスの供給と需要)

   国内産出+輸入、が供給され、その需要は、

   中間消費+政府最終消費+政府家計最終消費+固定資  

   本形成+在庫品増加+輸出  である。

 

   (付表2.  経済活動別の国内総生産・要素所得)

   産出額、中間投入額、国内総生産(付加価値)

   次に付加価値から、固定資本減耗と税=生産、輸入

   を控除して国内要素所得が表示、これを生産要素別    

   に、雇用者報酬と営業余剰・混合所得に分配。

 

   V、U表は略、産業連関表を参照のこと。

 

2.  所得の受取・使用と資本の蓄積・調達

    一次所得を受け取った各経済主体は、他の経済主  

    体への再分配、消費支出、実物投資、金融資産の

    取得へ。

    取引過程で、資金不足の経済主体は他の経済主体

    から資金を調達する。

    1.経常取引・・・所得支出勘定

       ①第一次所得の配分勘定

       一次所得と財産所得がどう、制度部門別に配分

        ②所得のの第二次分配勘定

       経常移転、主に税による分配後の可処分所得

        ③現物所得の再分配勘定

       可処分所得をもとに税社会保障の受払による、

       調整可処分所得

       ④所得の使用勘定

       ②と③から、貯蓄を導出する。

      この複雑さは政府と他主体の関係を明確化だが、

      ここで、貯蓄は、

       可処分所得+年金基金年金準備金の変動ー最終消

       費支出、   か、又は

       調整可処分所得+年金基金年金準備金の変動ー現

       実最終消費、として定義され、実物資産と金融

       資産への投資財源となる。

 

    2.資本取引・・・資本調達勘定  

       各制度部門は、資金を調達して実物資産と金融

       資産で運用するが、調達と運用の間の恒等式

       自己資金の調達額+金融市場からの調達資金純増

       額=実物投資+金融資産の純増額

 

       ①実物取引勘定

          「実物資産の蓄積 側」

          総固定資産形成(固定資産減耗を控除)

          在庫品増加

          土地購入

          純貸出・・・赤字なら借入超過、黒字なら逆

          「自己資金の調達 側」

           貯蓄

           資本移転

           

            ②金融取引勘定

            実物取引表での資金の過不足が、金融取引で

           どのように融通されたかをみる。詳細は略

 

3.  フローの統合勘定

    制度部門別の所得支出勘定、資本調達勘定を日本  

    全体として見た場合。最も大づかみできる。

    ①国内総生産

    ⑴統合勘定1. 国内総生産勘定(生産側及び支出側)

       生産側は

       雇用者報酬、営業余剰・混合所得、固定資本減  

       耗、生産・輸入税控除補助金、不突合

       支出側は、

       民間最終消費支出、政府最終消費支出、固定資

       産形成、在庫品増加、輸出控除輸入

    ⑵統合勘定2.  国民可処分所得と使用勘定

      可処分所得の使用

      民間最終消費支出、政府最終消費支出、貯蓄

      国民可処分所得

      雇用者報酬、海外からの雇用者報酬、営業余剰・

      混合所得、海外からの財産所得、生産輸入税控除

      補助金、海外からのその他経常移転

      ⑶統合勘定3. 資本調達勘定

       1.実物取引

         実物資産の蓄積

         総固定資産形成、控除固定資本減耗、在庫品増

         加、海外に対する債権の移動

         自己資金の調達

         貯蓄、海外からの資本移転、不突合

       2.金融取引

         金融資産の蓄積

         対外資産の変動

         金融市場での資金調達

         海外に対する債権の変動、対外負債の変動

      ⑷ 統合勘定4. 海外勘定

        ・経常取引

        財貨サービスの輸出、雇用者報酬の支払、財産

        所得の支払、その他の経常移転支払、経常対外

        収支

        経常受取

        財貨サービスの輸入、雇用者報酬受取、財産所

        得受取、その他の経常移転受取

        ・資本取引

        経常対外収支、資本移転受取、控除資本移転支

        払

        ・金融取引

         資産の変動

         純貸出/純借入資金過不足、負債の変動

    ②国民可処分所得と使用

    ③資本の蓄積と調達

    ④海外取引の受取と支払

 

4.  期末貸借対照表勘定(制度部門別)

     非金融法人企業の期末貸借対照表勘定

     資産・・・期末資産

     非金融資産(内訳、略)、金融資産  

     負債・正味資産・・・期末

     負債、正味資産 

 

5.  調整勘定

     1)  その他の資産量変動勘定

        不良債権の償却、災害による資産損失

        資産

        非金融資産、金融資産、変動

        同上   変動

     2)  再評価勘定

        資産価格の変化に伴う再評価分、物価変動等

        1. 中立保有利得又は損失勘定

            一般的な物価変動

        2. 実質保有利得又は損失勘定

           物価変動のうち、財貨サービス一般の価格に

           対して当該資産の価格変化分を記録。

           土地、株式のキャピタルゲイン、ロスの変化

           勘定には、変動、を項目追加

 

6.  ストックの統合勘定

 

7.  主要系列表

 

 

SNA国民経済計算-2

[  2  ]   取引主体の分類

統計の体系として、取引主体を2つに分類する。

「経済活動別分類」と「制度部門別分類」だ。

 

1.  前者は、生産分析からの分類で、生産技術の等質性に着目した分類。事業所が統計の基本単位。

産業、・・・・農水業、製造業、建設業等

政府サービス生産者、

対家計民間非営利サービス生産者

に大別される。

 

2.  後者は、所得の受払や使用、資金調達や資産の運用で分類する方法。所得使用の等質性に着目、事業所を統轄した企業が基本単位。

取引主体は、

1.非金融法人企業

2.金融機関

3.一般政府

4.家計、個人企業を含む

5.対家計民間非営利団体

           5.は生協や農協などで省略できる規模だが。

の5制度部門に大別される。

 

現実には後者の制度部門別がよく使われる。

 

SNA国民経済計算-1

現行の国民経済計算は、1993年に国連が勧告した国際基準、93SNAに基づく。

 

[ 1 ]  経済循環のとらえ方

 

1.  生産要素(労働、資本ストック)、土地、を組み合わせて使用し、原材料(中間財)を投入し財貨、サービスを産出する。

 

2.  生産活動の過程で生み出された

付加価値(産出額ー中間投入額)は、固定資本減耗と純間接税を控除した後、各生産要素の間で配分される。

要素費用表示の国民所得

=営業余剰・混合所得+雇用者報酬+海外からの純所得

 

3.  他方、産出された財貨、サービスは、中間消費や国内最終需要、輸出販売される。

 

4.  生産要素を提供した各主体は、配分された報酬から所得税等の経常税や社会保険料等を一般政府に納め年金等の給付を受ける。各主体間で配当や利子の受払を行い所得の再分配が行われる。

 

5.  再分配後の所得をもとに各主体が消費の為に財貨、サービスを購入したり、住宅企業設備、土地等の実物資産を購入する。

 

6.  支出の結果、資金に余剰が生じた主体は、預貯金、公社債、株式等の金融資産に運用する。資金不足した主体は、不足分を金融機関からの借入や公社債、株式発行により資金調達する。この調達と運用は海外にも向けられる。

 

7.  海外との取引は、

経常取引(財貨、サービスの輸出入、雇用者報酬や財産所得の受払)

資本取引(直接投資、借款、対外証券投資)及び金融取引(現金、預金、株式、金融派生商品の取引)に。

このうち、輸入財貨とサービスは、国内産出のそれと同様に中間消費、国内最終需要、輸出向けに販売される。

海外からの所得、経常移転の純受取額は、国内の各主体の所得となり、消費支出や実物資産、金融資産の購入に充当される。

 

8.  各主体が、実物資産を購入、又は売却すると、この主体の保有資産のストック量が増減する。また、借入等の資金調達を行うと負債の増額が変化する。

 

9.  当期に増加した資本ストックは、次期の生産要素となり、労働力と共に生産活動に提供されて所得を生み出す。また、当期に蓄積されて増大した金融資産や土地は、次期に利子や配当等の財産所得を生み出す源泉となる。

 

(以下は、私的解説)

・これは、内閣府で作成しているGDPの計算根拠であり、中国等いい加減な統計もあるが、国際標準の約束事により作成されている。

 

ソ連モスクワ大学マルクス経済学を専攻したロシア人のワシリー・レオンチェフアメリカに移住の後に、アメリカの労働省で採用された国民総生産計算方法。第二次大戦後引き上げてくる大量の失業兵士群と、軍需生産が大幅にダウンすることによる大恐慌発生を避ける方法をこの計算でソフトランディング予測をしてもらい、ほぼその通りにできた逸話もある。しかし、個人的には冷戦による軍需生産の継続と、在庫抱えた大戦時代の武器の消化の為に朝鮮戦争が矛盾を解消したように見えるが。

現在では、世界標準となっている。

 

・これを読むと、早い、或いは若い時代に節約して、又は相続財産を受け取るか、宝くじにでも当たって(^^)金融資産と土地を得ることで、労働所得だけでなく、利子や配当等の財産所得が得られることがわかる。又は、その資金を実業に起業投資することでも同じである。

まあリッチになりたければの話だが。それなりに働いてそれなりの消費をして楽しい人生をおくれればそれが一番いい、という気もするが。(^^)

 

 

貯蓄のパラドックス

新自由主義発想をやめてケインズ主義を復活せよ!

さもなくば戦争発生でしか救国できない!

 

大局的には、現在の日本は長いデフレ期であり、戦争でもやならないと供給力不足にはならない構造です。

日本の現在のデフレは経済の病でもあるのですがその治療は20年経っても直せない、素人の政治家や御用学者ではなかなか治せない死にいたるような重い病なのです。

この人類史上かつてない長期にわたるデフレ経済は、実は1990年代のバブル崩壊の対処の間違いが原因で、お金を借りてばらまく激しい金融緩和の不足でした。戦後にあまりにも順調に経済成長したツケで、金融財政政策のノウハウもなく、何もしない政治でも経済成長がそのお粗末さを隠してきました。

デフレは、人為的操作無くしては解決しません。

長いデフレの放置も徐々に回復して借金返済から貯蓄増に変化してデフレを脱却できる兆しが出てきたところで橋本内閣が緊縮財政と消費税増税社会保障費を大幅削減して本格デフレに戻し現在まで継続。また、小泉内閣も竹中新自由主義を導入し、供給力を多様化、競争激化方針を導入、需要拡大策と真逆の80年代のアメリカの主流経済学で臨みました。取るべき方策が全て逆だったのです。

更に、安倍のミックスで、実需を伴わない金融緩和を日銀黒田が行い、デフレで株バブル、貯蓄過多でも消費停滞、総賃金減少、国力低下、しかも消費税増税という逆方向の施策が国民的支持のもとに行われようとしています。

デフレでバブル発生、という人類史上ない実験が行われています。

 

民主主義の衆禺政治システム制度だと、皆んなの感覚と逆の治療が必要なので治すのが難しく、この時代には保護主義、国家資本主義、国家社会主義共産主義などが台頭して、一定の効果が出てしまう時代でもあり、治療は困難の極みです。

常に緊縮財政=正常化に戻す圧力を受け続けることが完治できにくい理由です。完治する前に、緊縮財政や増税に舵を切ってしまうからです。

ケインズ政策を辞めて、アダムスミスに戻ってしまうのです。

 

勿論戦争などではなく、大規模災害復旧でも同じですが、緊縮財政が基調の意思になるので、需要拡大のチャンスを逸し国債発行による実需拡大が中途半端になってしまいます。

戦争だと待った無しの需要拡大となり、供給力収縮が完全に止まります。戦争がデフレの特効薬なのです。とても愚かで残念ですが。

 

要はデフレ期とは現在消費や現在投資を極端に避ける思考回路に国民全体が傾き、貯蓄や借金返済(=貯蓄)に傾斜してお金があまりだし、借り手がいないのです。また、問題は不良債権の完済まで状況が続き、それを超えて貯蓄過多になってもこの体質が継続する難しさがあります。確かに、国が他国に借金をした状態で返済が滞れば、返済分の労働所得は実需を産まないで徴税され返済されるので貧しくなるのですが、日本の場合は国債は国内で消化でき、発行国債を超えた金融資産が政府以外の企業や特に家計にあり、滞留しているのに尚貯蓄し、実需である消費や投資を萎縮させる傾向が続いています。

だからこそまだ大量の国債発行が必要な時期だ、そして実需を拡大して消費投資を政府が行う必要があります。

政府は借金の山なのですが、企業と家計の合計が貯蓄の山で後者が大きすぎて、尚この傾向が強いままで、まだ債権過多なので金余り、貯蓄過剰ということになります。一方でマクロ経済的には貯蓄過多は実需不足となり供給力過多の供給力を、消費や投資を減らし、そして、総生産、総実質賃金を減らし続ける死の病、なのです。

 

ではなぜ、このような状態になるのでしょうか?

正常な経済活動では、需要に対しての供給不足が常にあり、生産して販売されます。売れて労働所得が増えるので、もっと働きもっと儲けてもっと消費する流れです。これは企業も家計も同じです。この過程でも自由放任経済なので好況と不況の波はあり、不況のあとには好況が来てまた不況になりながら螺旋を描くように経済成長していきます。

 

一方で貯蓄も行われるのですが、その貯蓄は金融機関を通じて生産手段に投資され生産性を上げて人件費を減らして固定資産減耗費を加算して尚生産コストが下がる循環の中で生産力が上がり、需要をより多く満たしより豊かになります。

貯蓄金に需要があり、循環するのです。資金需要が激しい場合、急成長しているときは、貯蓄がブレーキをかけることはありません。

同一労働時間で生産量が上がるので、沢山の消費が可能となり豊かな消費生活が可能となります。

この循環では需要に対して生産力不足なので、セーの法則の働くアダムスミス流派の古典派や新古典派の考え方が正当となります。

マルクスもこの流れの中にあります。ただ労働所得からの収奪により資本が形成され彼は貧困化する労働者の階級闘争による分配の強化獲得の必要性を論じ、スミスは神の見えざる手による自由主義放任でこそ前向きの力が常に働くとときます。また、正常な経済体制なので、マクロよりミクロ経済が花開きますし、レッセフェール、自由放任主義が最も良い経済政策となります。不況時期でさえほっておけば徐々に好況に向かう自然力が働くのです。

 

分業生産による労働所得の交換市場での運輸、商業、金融労働所得を付加し、これを含めた労働所得同士の貨幣を媒介とした生産物又はサービス労働の所得交換がなされて所有権が移転して消費されます。労働所得増がマクロ経済を大きくするのです。

 

しかし、労働所得の全てを交換しきるわけではなく、一部は貯蓄に回します。家計=労働者階級は将来や老後、病気や災害にも備えなければなりません。

限界消費性向の登場です。

限界消費性向が1なら、労働所得を使い切る消費、0.5なら消費と貯蓄が半々というものです。

仮に、全員が1の宵越しの金は持たない江戸時代の価値観であったものが、0.5の消費性向になったのなら、消費の社会的総量は1/2になります。

1、の時の半分の消費規模=生産規模となるまで不況は続きます。

GDPが半分になる、しかし、貯金が銀行に行き、銀行は借金して金利を付けて、企業に貸して利鞘を稼ぎます。借りた企業は固定資産を発注し生産増加したり、原料増や雇用増に伴う運転資金にも使います。お金は経済成長と共に需要は増えます。

金本位制だと、金の産出が間に合わずに不況となります。この場合は、一定の交換率を保証した紙切れでも十分なので印刷紙幣を増刷すればいいのです。

 

銀行は預かっているお金を貸すのではなく、預かっているお金を見せ金として、それより多くのお金を貸します。貨幣は銀行で発行されるものなのです。

信用による貸し金で、預金数字を借り手の口座に記帳するだけです。だから、不良債権ができると債務過多になり、銀行倒産する場合もあるのです。それを避ける為に中央銀行が各国で設立されてリスクをヘッジしていますが、アメリカはなかなか設立しなかった過去があります。何故なのか理由を考えてみましょう。

 

さて話しを戻して限界消費性向とは、

現在総消費/総労働所得なのだから、これが減っていく傾向とは、節約であり、将来消費に備えるディフェンシブな貯蓄志向の高い消費スタイル、蟻です。

 

一方で1.のようにこれが増えていく時は、気前よく今を楽しむ暮らし、となります。キリギリスです。

 

蟻🐜さんのスタイルが強まると、消費規模は小さくなるので、生産も減速して労働所得も減る流れになります。また、キリギリス方向に進むと、生産も加速して労働所得も増加します。

景気循環をくり返しながら、貯蓄したり取り崩したりします。

蟻🐜さんばかりだと堅実ですが、生産力が落ちて給料が減る方向になります。日本人は蟻さん🐜。

 

小遣い帳や家計簿感覚だと、貯金はたまるのですが、お金の借り手が見つからない場合は、お父さんの仕事は消費減で減るだけだから、小遣いの支給額や給料が減ったり失業して小遣いや家計収入の元がが減る可能性さえでてきます。

このマクロ経済がわからない真面目な労働者は、給料が減っているし更に減る方向だから無駄遣いは敵だ!となります。さらに貯蓄性向を強めます。

借金して消費を増やす、投資を増やすなんてけしからん!となり、緊縮財政を求める大合唱になります。

消費を節約して貯金を!の大合唱に。

で、更に生産力が収縮します。

これでは溜まった貯金即ち銀行の債務は増え続け、銀行が貸す相手が更にいない状態になります。

 

いずれにせよ貯蓄は、現在消費を減らして将来に貨幣を=債権を=所得からの将来消費を増やしていくためのものです。この限界消費性向は1以内で、好不況を繰り返しながら成長します。

 

では、限界消費性向が1を超えることはないのでしょうか?それが実はあるのです。これがデフレの発生源のバブル生成なのです。これは、限界消費性向が1以内の好不況とは、別次元なのです。

 

それは需要が過熱して、土地神話のような、或いは株価はこの後も上がり続けるだろうとの楽観論が支配する世界で、生産労働所得を超えた消費や投資が行われることになります。生産労働所得をこえる投資や消費、投機さえ行われます。これは将来所得、即ち借金による投資、消費、投機を指します。

将来労働所得を前借りすることで消費が増え、生産も生産力も増える状態を指します。2年分、5年分の給与所得の前借りでチューリップを買うようなものです。

しかし、投機熱が冷め、目がさめると借金だけが残り、返済義務のために翌年から消費を減らして貯蓄=

借金の返済、のことですが、労働所得が注ぎ込まれ、その分の減らした消費で生産需要も減り給料も減ります。この場合は金欠病なので、銀行も信用貸しで元本さえ毀損していて貸し剝がし、貸さないで元金を保全しようとします。

ここで銀行の毀損分以上を無利息で銀行に貸して、資金が回るように金融緩和して、銀行機能を復活させなければなりません。

ヘリコプターから銀行に湯水のように金を貸す大規模金融緩和が必要です。

これで貸金で消費を増やせる状態にしてあげなくてはならず、消費増から生産増、給与増の循環に実需を戻してやらなくてはなりません。

ヘリコプターから不換紙幣を銀行にばらまくのが有効ですが、インフレには絶対なりません。

消費に消極的だからです。万一インフレ傾向が出れば緩和策を中止すれば血液である貨幣がうまく循環し出します。

この時点ではバブルの後悔もあり、以前の豊かな消費にはなかなか戻りません。

 

しかし、借金を返済し終わっても、消費気分が減退したままなので、その資金の流れ即ち貯蓄志向が継続、借金を返し終わっても貯蓄が溜まり始めても消費は回復しないまま、が継続します。

これが現代日本の状況です。

 

生産力は徐々に落ちていき貯蓄は溜まるので、銀行は貨幣発行即ち債権を発行する相手であるお金の借り手がますます現れないのです。

果ては銀行倒産の方向になります。利鞘が一切稼げないのに貯蓄という銀行とっての借入だけが膨らむからです。

 

本来なら、バブル処理終結宣言!を出せばいいだけなのですが、自傷行為が継続しているのです。

経済成長していないので、税収は増えず、ここで税収を増やせば更に消費が減ります。安倍首相は消費税を上げる、と言っていますが。(^^)

財政は経済成長しないまま高い支出の社会保障を維持できずに赤字に転落、すると節約要求の大合唱の中で、更に総消費の政府部門が抑えられます。

 

逆回転させるには、政府の債務を増やして「消費」を高めることで、生産増を誘導して給料を増やす構造転換が必要なわけです。財政出動ですが、コンクリートから人へ!とか、無駄な箱物投資で財政は、破綻する!などのど素人の意見が、あたかも国の基本方針であるかのようなお粗末な誘導がなされます。

政府の借金に官僚は怯えますが、彼らは税収で給料を貰うだけの、年金生活者や生活保護者と本質的には変わりません。安定税収を求めるだけです。

税収の元、生産活動を活発にすることで、限界消費性向を高めることで税収が高まる、という発想はないのです。しかも、解決策はこれしかない、のです。

日本は家計と企業に貯金が有り余ってますし、政府でさえ特別会計埋蔵金が溢れています。

 

もし、1000兆の借金でなお国債が必要になり続けて破綻に進むのなら、なぜ金利がほぼゼロなのでしょうか?ギリシャなど10%を超える金利でないと国債買う人はいません。

 

話を戻すと、バブルにより、そしてその崩壊により、正確には将来所得を前借りして、宴を盛り上げてしまい、請求書を見て目が覚めた。それも年間労働所得をはるかに超える消費とそれを支える生産力と給与を消費した、即ち来年、再来年分の生産を借金でして、労働所得も得たが、それをはるかに超える1億円の宴会をやってしまった状態がバブルの崩壊なのです。

だから翌年には、労働所得の限界消費性向が0.5、0.4、0.3、と貯蓄=返済に回り、実需は減り続けるのです。

長くなったけど、バブル崩壊による貯蓄性向の過剰な推進による経済規模の縮小、これが貯蓄のパラドックスであるわけです。

であれば、自由放任、古典派、新古典派、の自由経済政策では復興しない、経済成長過程での好不況の不況とは全く異なる状態である、という認識が必要で、需要をわざわざ人為的に高めるしかない、という点で、成長軌道での好不況とは全く別の病である、との認識が必要なのです。

不況ではなく、デフレ、なのであり、対処法は不況なら自然治癒に任せるのが良く、デフレなら自然治癒がなく、投薬や手術が必要、ということです。

 

ケインズ合成の誤謬、貯蓄のパラドックス、に達していたのです。ケインズ方向での国によるテコ入れが必要でニューディール政策もやるし高速道路網建設や発電用ダム作り、ヒトラーによるアウトバーンの建設国家的投資、などをやるのですが、やはり民衆はバブル崩壊の恐怖でパニックになり、少しでも公共投資で効果出ると、すぐ緊縮財政に舵を切ります。

で、デフレは継続復活し、結局は戦争経済で救われる形になるのです。これでしか供給生産活動の向上を図れない現実があり、結局は戦前ということになります。

日本の場合は、ここで、即ちバブルで吹き飛んだ債権の穴埋め貯蓄が貯蓄過剰になったあとで金融緩和を大胆に進めました。安倍のミックスです。

これで更に銀行の預金残高が膨れ上がり、デフレバブルなる世界史上過去前例経験のない状態が日本で作り上げられてしまったのです。

結論は、政府としては国債発行量をデフレギャップ分やればよかったのが、バブル毀損分を埋めて尚、折角国債発行によりデフレギャップを埋めかかっていたのに、その国債を買い取るという形で発行量をへらしてしまったので、またデフレギャップが拡大してしまい、デフレ克服が遠のいた状態です。国債を更に320兆円プラスすると、過去のデフレギャップにもどり、あとはその分の国債発行すれば良いということになります。日銀の策は金融緩和、と名付けていますが金融引き締めに近いもので、デフレギャップを拡大してしまった誤った処方箋を施したことになります。だから、もう一度元に戻し、更にデフレギャップ分の国債を発行することで、デフレギャップを埋めるしかない、余計な事をやったことになります。こうすることで銀行に滞留した預金を消化できて、初めて資金需要が起きて生産拡大への通常の好不況を伴うアダムスミス的なセーの法則による成長軌道にもどすことができるのです。

金融緩和という名の、為替介入円安誘導でしかないことがわかります。

デフレバブルを克服する政治力が日本にあるとも思えません。従って戦争を自国がやるやらないを別にして、激しい生産力需要、資金需要の種がなければ、この収縮経済、緊縮財政がずっと続くことで、世界の中の国民総生産GDPの順位だけがどんどん落ちることになります。日本は、戦争によるしかデフレバブルを克服できないと思います。直接参加しようと、死の商人になろうと。だから今は戦前、なのです。ケインズの貯蓄のパラドックスを打ち破る、財政政策を、多大な国債発行によってなすのが戦争以外のデフレ克服法なのですが、残念です。

 

 

 

経済のポイント-6

「閉鎖経済での集団的経済活動」をこの章の以降で深めてみよう。

島国日本での平和的鎖国状態と考えれば良い。

 

ところで日本の人口は、鎌倉幕府始めで750万人、江戸幕府始めで1200万人、江戸幕府終わりで3300万人、第2次大戦終戦時で7200万人、戦後のピークは2008年の12808万人。ここを境に下降に向かっている。

 

江戸時代は平和で、徳川幕府による封建的農本主義で、ケネーの言う経済表範式があてはまっている。生産階級、支配階級、不生産階級が、日本では士農工商で農業生産の米を藩が収奪し分配する経済システムである。当時のフランスと同様である。

 

全国の石高分配では全体で3000万石、うち徳川が800万石の最大支配階級であり国権を代表支配する藩連合を徳川が束ねた形の国体であった。

 

明治になり不生産階級=工商階級による資本主義システムが輸入され経済発展して人口は倍加し、敗戦後の戦後復興で更に倍近くまで伸びたが、その復興経済に朝鮮戦争ベトナム戦争特需があり、巨大な生産手段投資が支えられ、その生産力でブレトン・ウッズ体制の固定為替での輸出が続き、主にアメリカからの所得移転が進み世界第2の経済大国に成長した。

しかし、アメリカからの変動相場制要求により超円高に振れバブル化しそのバブルが崩壊し、時間を経て衰退に向かった。

冷戦崩壊により、日本の位置は冷戦敗戦国の中国に強い復興需要があり、日本の戦後復興の地位をほぼそのまま中国が譲り受けることになった。

 

グローバリズムの勃興で日本は資本輸出国の側になり、中国への生産財資本投下競争への積極参加により、国内総生産が単純再生産的足踏みに留まり、国民総生産としてのみ維持する国民経済となり、現在も国内生産は停止中である。

 

さて本題に移る。

・集団社会とはいえ、集団での生産は勿論集団の需要を満たす為にその分を生産するのであるが、

生産力が低い間は、余剰生産物どころか不足する生産物の奪い合いにより、最終的に分配を受けられなかった者が淘汰される弱肉強食社会となる。

人口も自然に増えるのではない、淘汰されるのだ。

しかし、農機具の進歩や農業技術の進歩により、平和が続けば次第に農業生産力があがる。

ある時点で人口需要を超えた生産物が得られる。

これが既存の農業生産人口を支えるだけでなく、超えた分は、農業生産人口を増加させることにより、消費増となり余剰生産物を失うモーメント力が働く。

もともと、生産力不足の時にも分配抗争により、より多くの分配を得て生存を維持する力が働き、その秩序、即ち生産階級と支配階級との抗争は継続してきた。

横領されると食糧不足となる生産階級は、常に強制的所得移転=税収奪には抵抗するわけで、それを暴力で抑え込む支配階級のシステムが常に機能していたはずである。上手くできなければ新たな支配階級に取って代わられるだけだったはずだ。

 

支配階級が存在しないのは、南洋の孤島とかの自然の食糧が豊富で気候が温和、分配が見える程度の少人数の地域社会に限定されるはずだ。

 

そもそも閉鎖経済圏自体が陸続きなら、他の経済圏からの脅威には常にさらされるわけで、支配階級も安穏としておれず、富国強兵を迫られるはずだ。

したがって、生産力の向上と税収の拡大という相反する課題に取り組み、生産階級は生かさず殺さず、農閑期には兵士として雇用することにもなる。

膨大な官僚機構や職業軍人、兵器や武具の生産力を常に必要としていたはずだ。

 

超過生産分を所得移転すれば、農業人口は静止し、維持はされるが、一方で所得移転を受けた非生産階級人口は増加することになる。支配階級の直接雇用の公務員と非農業生産階級である不生産階級である。

その人口総量は頂点に君臨するのが支配階級なので少数であり、また過剰生産力も当初は大きくないので当たり前であるのだが、過剰分を収奪した農産物移転所得は消費しきれず、この消費の受け皿として支配階級の召使い労働を行う不生産階級人口を増加させ、またサービス労働させることで、支配階級の需要をより多く満たすことができる仕組みである。

常勤的には、官吏や職業軍人や徴税人や警察を国家の礎とし、あとは非常勤として消費財やサービス生産する召使いや民間の不生産階級を城下町に集めることになる。

 

彼ら不生産階級は城下町で支配階級の所有する余剰農業生産物と引き換えに支配階級の需要する労働を行うのだ。

それは、城の建築に始まる土木や建築、同作業員、内装、装飾具、美術品、服、等の加工生産労働や、調理、理美容、清掃等のサービス労働である。

そこから溢れると、乞食、売春、盗賊が増え、失業者の成れの果てであり、これらが一定数いる、ということは過剰な労働力人口にあり、彼らは支配階級同様に支配階級からの余剰生産物の間接的流入により生存維持されたり絶滅したりする調節弁の役割を果たす。

消費財は、原料を採取、運搬移動させたものを目的物に加工労働するものであり、原料採取労働所得分にも分配されつつ加工労働は行なわれ、その総労働所得分を支配階級のもつ余剰農産物と交換するシステムである。

 

しかし、直接雇用する官僚や、受発注相手となる不生産階級の量と質は、全ては過剰生産物の量に関わっているが、過剰に収奪すれば反乱が起きるし、生産力自体が落ちる。逃散など生産階級の他の経済圏への脱走も導く。

したがって生産力を上げるには、人力に依存するのではなく、農機具や倉庫、運搬具、肥料や防虫害予防、暦作り、などの後半の農業技術に対する投資により多くの不生産階級を投下することで増産が図られ、また経済圏の拡大戦争による領地と領民を増やすことで移転所得=税収奪量を増やすことになる。

 

この仕組み、国体は政治力であり、経済力とは無縁である。これが実態と知った上で、グローバリズムの成れの果てでもある、閉鎖経済圏について考察するしかない。だからこれは単に現存しない政治権力の及ばない夢想そしてのモデルではあるが、グローバリズムもいずれは行き着くところまで行き、このモデルに到達する、との理解で次章で検討する。

 

 

 

 

 

 

経済のポイント-5

・市場での売価は、

生産労働所得の総和、即ち原材料生産労働所得に加工労働生産所得に固定資産減耗分生産労働所得(厳密には過去固定資産労働所得)

これに運輸、商業サービス労働所得との合計額であろう。これを貨幣により交換するもの。

 

勿論、希少性など需給関係により特殊利得(需給バランスが取れている場合以外の、供給<需要、の場合による販売価格による利益もあるが、逆は過剰生産による値崩れで先の存続がなくなる)があるが、供給<需要、の場合は市場で供給が新規参入することで、需給バランスは均衡を超えた供給過剰になるが、徐々に供給が淘汰され、均衡に戻る。こうして経営的には希少性は重要だが、マクロ経済学的には、均衡の時点を問題にすれば良いことになる。

 

競争のある中では、製造原価を超える利得は、漸減し、紆余曲折の振幅振動しながら均衡する。

とすれば、生産活動を動機付ける利得を資本家が得続けるには、労働時間、労働日数を雇用単位とする労働力商品をフル活用し、タダ働き時間を織込むことであり、機械生産の補助労働として生産物の単位時間あたりの生産量を拡大し、即ち労働生産性を上げて、固定費としての労働力商品との賃金交換を維持しながら生産物量を増大させること、いいかえれば同じ生産量を生産継続するのに、より少ない総雇用賃金による機械化等で実現すると、(賃金+固定資産減耗費)<社会的平均的製造労働原価、となることにより、無理なく利益分を資本の側で労働所得分の一部を移転できるのだ。

ある意味、高度な生産設備をフル回転しながら奴隷的低賃金労働により生産することが、最も資本家への所得移転を増大する。勿論、生産設備の減耗分補充生産費用は人件費より多いのだが。

こうして生産力を拡大して労働所得を大きく得たのが敗戦後の日本とドイツ、そして現代では中国である。中国の労働所得の大部分は共産党幹部の支配する公司と資本提供する外資に吸い上げられ、大手企業は国有である為、幹部と国税に資金が配分され、この資金で一帯一路の国策や軍事支出を支え、国外にODA的貸付を行い過剰生産設備稼働率を上げ、現地に資材と失業者を送り込むことで生産需要を維持する現在の中国の姿がある。

これは2周回遅れの帝国主義そのものである。

中国の労働者賃金は、元々農業内過剰人口の放出された失業者であり元々所得がなかったので、奴隷並みの賃金での雇用が成立していたのだ。

グローバル経済化した冷戦後の社会で、世界の需要を一手に引き受ける近代的奴隷工場が国外資本で維持された世界経済の奴隷となったが、中国共産党が利権を離さず、独立した帝国主義化を進めた為、アメリカが介入しだした。

この中国成長モデルがいつ止まるのかも後に検討してみよう。

 

年度始めの生産組成で、機械化設備を擁した工場などの固定資産を最低数の雇用で市場の需要分を大量に生産する。

ただし、機械等の減耗分を自社か他社でかを問わずに生産したものを購入しなければならず、(=次期生産を同水準で行う為に)、このコストの額は、これによって社会的平均的に起用する労働時間を超えたタダ働き時間との比較で、より低い額となるのは当然のことだが、今期に上げた利潤の中から労賃と同様に拠出するのであるが、更なる利潤の残で資本家の自家消費増とともに、次期生産組成で更に労働者数を減らして高度機械に置き換える投資をも行うのだ。

 

社会全体で見れば、減らされた雇用分は、置き換える固定資産減耗分の生産労働にシフトする。

同様に固定資産生産労働でも、機械化を進めることで労働者の雇用総数は、常に減らされる圧力がかかる。生産が高度化するにつれ、総雇用労働時間が減ることで、失業者が出るので、一向に賃金は上がらない。当然のこととして、労働者階級の需給バランスを供給過剰にするからで、仮に労賃を上げても人口増を誘導して供給過剰になるのだが。

 

本来なら労働時間が短縮されるか、タダ働き時間を減らすことで、労働所得が上がり豊かさを実感できることになるのだが。

 

 

 

経済のポイント-4

・封建的農本時代でも、近代的資本主義時代でも原理は同じである。

前章で明らかにしたように、個別工場生産での原価分析は、資本主義の勃興時代の限界をもつ。

分業生産が市場での交換を前提とした商品生産となるので、販売できるか否か、は生産継続や拡大再生産ができるか否か、という問題でもあり原価構成に運輸や商業を伴う以上、生産原価と販売価格との間には差が生じる、ということだ。

工場の生産原価、とは工場出し値、であり販売価格は市場原価、となり運輸や商業、これには倉庫業コスト等も加わるのだ。こうしてみると、工場での生産原価の位置は相対的に大きくはない。

又、市場で交換するのは、買い手の所得との交換によるのだが、

その所得には、工場生産労働所得と運輸商業等サービス労働所得と、労働所得は全額は労働者に分配される社会主義システムではない資本主義段階での階級分配社会システムなので、

生産、サービスの労働所得からの資本家に移転した所得を減じた労働者の移転後労働所得

と移転所得、即ち資本家所得の内の自家消費分と資本家所得の内の次期投資分の投資支出との合計値であるが、また更に時間差所得の実行即ち、

労使を問わず、過去所得蓄積である貯蓄からの引き出し分マイナス貯蓄分や信用による将来所得の引き当て分マイナス貯蓄分

以上の総合計が市場での総支出である。

 

総生産とは、この総支出を支える総労働生産でありこの生産は手作業ではなく機械、工場等の固定資産減耗も生産手段として起用されていて、その結果としての総生産であり、これが所得を労働と資本に分配し、固定資産減耗補填コスト以上の補填を労働者の労働所得から移転するにしても、総生産、総所得となる。構成は消費の上記内容と同じであり、ただ、総生産には貸借部分はない。あるのは固定資産の現段階レベルによる労働生産性の問題だけだ。

 

いずれにせよ、市場では貸し借り即ち時間差支出もあるので、物々交換での説明は限界があるので、貨幣経済で検討する段階に移す。