経済を考える10-2

覇権主義を考えて見たい

歴史的に覇権国家は、オランダ、イギリス、アメリカと推移したことが定説だが、このいずれの国もバブルとなり、崩壊しデフレとなり、その打開策として覇権国家となった。

オランダはチューリップバブル、イギリスは南海バブル、アメリカは世界大恐慌だ。

この場合の下部構造は、生産力過剰、流通支配力過剰、金融過剰で、有効な投資先見つからずに資金過剰となり、金融が資産に流れ込んで資産インフレを引き起こして、信用借投資を膨らませてバブルが破裂、一気にデフレスパイラルに入る。夢は冷めて襲って来るのはデフレによる生産過剰の現実だ。

ここで対策はというと、生産設備の国内需要水準への破壊と失業者増の生産規模縮小パターンか、

覇権国家として過剰な生産力を更に拡大する保証となる生産物消費市場を求めるか、の選択である。

イギリスは、当時ウイーン会議だったかで、ヨーロッパの国境紛争を協議調整する場で、隣国との国境調整がおこなわれたのに、イギリスのみ特殊にマルタ島喜望峰、セイロン支配を求めた。マルタは地中海、喜望峰はインドへの海路基地、セイロンはインド征服の基地である。当時は世界貿易の50%をイギリスが占め覇権主義を既存領地戦から未開の植民地市場を目指す戦略だったわけだ。

インドの綿花仕入れて機械化繊維工業力で製品生産し、インドは買うだけに。ガンジーの政治運動のシンボルは、非暴力非服従だが、糸車である。国旗もこのデザインだ。要は、綿花生産を過剰にさせられてインドの自給的手工業的な家内生産を破壊させられ、製品を輸入させられるシステムだ。イギリスは、工業稼働を上げて安い綿花を大量輸入しインド以外にも輸出、労働者は失業せず所得も上がり機械化生産も高度化する好循環システムを得たが、その背景には、イギリスのオランダ、フランスに勝る海軍力があった。このあと中国や植民地アメリカに市場を拡大して、アメリカ南部には綿花プランテーションを作らせ綿製品販売、更にアフリカ航路から奴隷をアメリカに運び綿花原料を仕入れ三角貿易もやった。中国は市場としてアヘン販売して稼ぎ香港を橋頭堡として奪った。アメリカとは独立戦争に入り、その後、南北戦争終結で余った武器を日本に売り日本は明治維新となる。幕府が通商のテンポが遅く役に立たないから親英政権の明治維新にしちゃっただけなんだが。中国支配の活動が忙しかったのもあり、日本は植民地化を免れたが。香港起点に上海租借地作ったし、シンガポールも海路の要衝だから支配した。

覇権主義とはグローバリズムである。

グローバル化したい覇権国のルールを押し付けることで、自由とは必ずしも一致しない。生産力なら貿易自由化だが、金融力なら金融グローバルで、覇者による市場拡大の自由の側面が強く、国内産業の保護と対立関係にある。生産流通か金融か、支配したい項目でグローバルの内容は異なる。国内産業が破壊された側は、生産がなくなり雇用がなくなり、失業者が増えれば労働所得がなくなり、本当に貧しくなる。リカードのように敗れた国は雑用しかなくなる。貧困化するのだ。そのぶんは金融帝国に吸い上げられる。開国の明るいイメージとは異なる世界だ。覇権国は、生産技術、流通支配力、金融支配力、軍事力が存立条件となる。過剰なそれぞれの力がその根拠であり、日本は軍事力ないものの、アメリカ傘下の自由圏貿易国内で、アメリカが怒り出さない範囲で技術力と金融力支配での属国として支配していく形で、中国や東南アジア始め世界にグローバル化を進める側に立っているから、後進国にとっては準アメリカに映り、アメリカには従属国となっている特殊な存在である。アメリカの世界覇権の部下的協力国である。

マルクスの資本主義論は、階級闘争という支配被支配の関係性で資本主義を捉えたが、それは一面的であるが、支配被支配は付いて回る。である以上、ここには、等価交換だけでは説明できない不等価交換を伴うわけで、覇権国の覇権国たる所以であり、覇権国は不等価利益も求めるわけで、等価交換でグローバリズムを説明しつつも、持ち込まれるグローバリズムは、覇権国の不等価交換のルールと共に持ち込まれるもの、ということである。

 

 

経済を考える10-1

◼︎需要について考える

・ロビンソンクルーソーの生活は、圧倒的な供給不足であり、需要は無限に近くある。

本人の労働だけが供給源なので、分業による交換がないこと、また、支配被支配者による歪みもない。

あるのは、純粋に本人1人の労働力であるが故に、効果的な労働組成は、余剰時間として現れ他の需要を満たす為の労働に使われる根拠となる。

 

需要には

生き続けるためには、ロビンソンの生命維持の為の再生産活動が優先される。

睡眠であり、食事である。睡眠は長期には短縮できない。また、生きる為にまず食料を得る為の時間と食事の調理と食事時間が優先的に必要である。

さしずめ24時間のうち、睡眠で8時間、調理と食事とトイレで2時間、飲み水の確保1時間を絶対消費時間とすると、あとは13時間だ。

労働組成できるのは、13時間。

投網漁用投網作り1、漁業用船づくり2、農業用開拓1迄を原前払い=固定資産形成労働支出として、あとは、6時間素潜り魚とり、果物採取1、裁縫や洗濯1、住む家作りと補修及び家具作り1が日前払労働となり、この組成ではリフレッシュや休息2、ホビー1、天体観測1、救出用狼煙台作り1などが前払にも入らず、労働供給力不足となる。漁業では、8-2参照のこと。

漁網用投網作りを10日で完成させると、6時間の素潜り漁は2時間に短縮され、4時間が浮く。また、3ヶ月かかって船が完成すると、1時間に短縮され、5時間が浮く。固定資産減耗分の補充で両方で1時間かかるとしても4時間の労働短縮となる。この4時間は次の需要を満たすが、これを観察するに、労働時間短縮できる、効果のある固定資産形成労働が、原前払形成でき、剰余時間=剰余価値を生み出すことがわかる。単なる最終消費ぶんの生産労働は、単純再生産に必要ではあっても経済成長即ち労働時間短縮には繋がらない、消費の為のみの生産となる。

資本主義の経済発展は、従って、原前払=固定資産形成が発展の印であり、原前払生産の縮小により、単純再生産に向かう。

ここで、もし、ロビンソンなら、労働時間の縮小が起き、余暇時間や休息時間の増加をもたらすが、分業生産を階級社会で行えば、資本主義システム利用の支配被支配者の関係で、労働者階級の余暇時間は剰余生産労働に当てられ、支配階級の消費の為の生産に動員される。また、これらは支配階級による法定通貨を媒介として行われる。価値のない通貨と労働が通貨発行分交換される。価値は法定通貨として支配階級に強制され、流通後の通貨を納税させれば循環は維持できる。

健全な発展段階の資本主義の時期を過ぎると、過剰生産時代になる。剰余価値は生産回転数の減退により徐々に減り、固定資産減耗分の剰余価値生産にとどまるまで収縮する。

しかし、固定資産減耗分の剰余は得られているわけで、あとは、資本主義システムでは剰余はでないから、システム維持の根拠は、労働時間延長からの略奪に依存せざるを得ないことになる。

それまでの間も、固定資産減耗分を減額補充することで貨幣資本を増やしながら、この資本を国外で投資することに。資本主義は消費分再生産社会に変質することになる。

要は、固定資産減耗分の固定資産額になるまで固定資産は減り続け、年前払に組み込まれる1回転または、期間内回転数分の固定資産額に達するまで減り続け、その後は、年前払に組み込まれ、資本主義は終焉する。

資本主義は、消費分生産経済社会になるか、支配被支配を継続させながら、過大な労働を押し付けて、一方で労働者を減らして、又は総賃金を固定化しながら実質賃金を下げるか受け皿を用意しないでの失業者を出すかして剰余価値を獲得しようとすることになり、黎明期資本主義、マルクスの資本主義批判が再び登場するか、ケインズ型の需要作りによる矛盾の先延ばしから、戦争による解決か、そんな時代を迎えるが、民主主義社会が継続されれば、反ブラック企業運動や損害賠償型の労働運動が広がる余地がある。

資本主義システムをとりながらも、支配被支配関係が継続してきたわけだから、後者が生きることになる確率は高い。

 

 

 

 

 

経済を考える、1975年以前

◆まとめ   1975年段階前の資本主義

・資本主義経済システムGーWーGでは、

貨幣資本Gー生産資本Wへの変換で

Wで剰余価値mを生産している。

また、WーGへの変換でもWでmを生産できる。

生産工程は、原料を機械を用いた労働により、目的生産物にするもの。また、商業活動でも製造物を原料として組成して貨幣という目的生産物を得る、これも全く原理は同じであるが、生産物という人為的製造物原料がないと成り立たない。

商業活動は、大量の、資本主義生産物の存在を前提とするから、派生して発展する産業であり、分業のないロビンソンクルーソーでは全く必要がないし、自給自足型経済でもその必要性は乏しい。しかし、商業活動は、生産活動を継続する為には、生産活動による剰余価値を確定する為には、必要な工程であり、中間消費しながら(経費支出)、中間生産(剰余価値生産又は労働力吸収)していて、大きなくくりでは、固定資産形成と減耗に類似している。この理解はマルクス主義者に大きく欠けているものだが。

 

・GーG'は、現実世界ではありそうだが、W変換を伴わずには剰余価値m=' はできない、必ずここの経過が必要となる。資本主義の目的は、mの生成である。

 

・現実の経済世界では、貨幣資本は法定貨幣の使用により、労働市場と財市場から入手して生産資本を組成する。

法定貨幣との財やサービスとの交換は等価であるとは言えないが、それは別の課題として後述する必要があるが、法定貨幣を市場に放って外部の市場相場で組成材料を買い取り、生産組成して生産物を外部市場にまた放出して法定貨幣に戻す、この作業を反復しながら剰余価値生産を継続するシステムが資本主義システムである。

 

・ ケネーの不生産階級の時代からの資本主義への移行を考えると、

まず、全体が不生産階級のみで生産活動されてる世界に、資本主義生産システムが導入された、としよう。

不生産階級は、農本主義の時代に、原料を目的生産物に変える工業活動を剰余生産を伴わずに行い、また商業活動でも目的生産物を貨幣に戻す活動として同じく行なってきた。働き者の職人や商人がいて剰余生産物が仮にできたとしても、当時は法人格は教会や支配階級により認められていなかったので、一代限りであり相続蓄積ができなかった為、世代がわりでまたゼロからのリスタートを余儀なくされていた面もあったようだ。こうして商工階層の台頭を抑えて秩序を保ってきたようだ。

・初期資本主義生産においては、投入する剰余価値生産物=固定資産の蓄積自体が少ないか、ないに等しいので、すでに生産階級内で剰余価値蓄積を所有している農業経営者からの資本により、機械やエネルギー原料を市場から仕入れて組成して、不生産階級生産物に対抗できる剰余価値生産を目的とした生産資本組成でその部門に新規参入すると、剰余価値からの販売価格低下の支出が可能で、市場を不生産階級生産物から資本主義的生産物に置き換える、即ち市場占有率を上げる流通経路が確保されるから、生産回転率も上げることができて、一定期間内に剰余価値は率下げても額を増やすことができる。農業経営者が資本家に転化したわけだ。

・とは言え、原前払い、資本蓄積、固定資産、機械化が当初はレベルが低く、工場と言っても労働力を置き換える為の固定資産やその稼働の為のエネルギー消費量が小さく、マルクスも、取るに足りない固定資産減耗とエネルギー消費量を原料と同じく不変資本に分類してしまうというやむを得ない過ちをおかしている。

可変資本が実質労働力だけなので、剰余価値は、労働力の収奪分としてしまった。ここから階級闘争の正当性を導いたが、高度機械化(による減耗とエネルギー消費量)が労働力支出を置き換えることが剰余価値生産の本質であることを観察できる資本主義水準ではなかったからなのだ。

工場とは言え、当時は失業者や婦女子をタコ部屋で奴隷のように働かせる、この中で儲けとしての剰余価値を得た萌芽時代は、批判されるべきシステムであったわけだ。不当に働かせて得た賃金部分を支配階級が略奪して剰余価値としていたにすぎなかったのだ。

 資本主義化の黎明期は、機械の水準もウエイトも低いから労働者の労働強化に頼る面がおおかったはずだ。これは、固定資産所有者として、生産資本組成の権限をもつ資本家が支配階級化することであり、労使の力関係は現代でも変わらず、この方法での剰余価値生産は今なお生き残っている。

マルクス主義は、この対抗軸として今なお存在する余地はある。だだし略奪部分の民主的適正配分の範囲であり、このシステムの優位性までをも否定するには及びえない。資本主義システムに支配被支配者があり、支配階級としての資本家が機能するならば、マルクス主義は支配被支配者の階級闘争として残り続けるわけで、これは資本主義ではなく支配被支配者の問題なのである。中世における生産階級と支配階級との関係性においても通じる思想である。形はどうあれ、収奪と被収奪、現代的には徴税者と納税者の関係性として現れるわけである。現代社会では、資本家も資本主義システムの上で収奪しつつも国家に税収奪を受けている上下関係があるが、昨今は、民主主義化している国家の上に、グローバル思想が世界支配的な思想が持ち込まれていていることに注意が必要である。EUでは、国家権力の一部さえもが持ち出されている。

民主主義思想の導入で支配被支配の関係が、より是正されれば労働からの収奪部分は、賃金の増額か労働者増加で補正されるが、それでも資本主義システムの本質的な優位性は残っており、見誤ってはならない。この状態を観察するには、格差を読み取れば良く、現代は格差は広がっているのでピケティーによらずとも、支配被支配に資本主義システムは利用されており、民主主義思想が徹底されることが今なお求められている。

・これまでの社会主義革命は、資本主義未発達国で、しかも民主主義未発達国でしか起きなかった。民主主義の思想と資本主義システムを保ち発展させた国での最大の問題は、高度大量生産が可能になったことが裏目にでる、即ち「需要の壁」の克服が最大問題となり、革命は回避される。この壁は、戦争や国の大型投資による統制的な経済政策でしのぐことが試みられてきたが、過剰生産、過剰固定資産形成の維持の範囲でその対処法が求められるために、先延ばしや一時的にしか克服できないできている。

自然の流れに添えば、最も有効な手段は過剰固定資産の一括償却、即ち恐慌の発生と同居すること、金融資本のデフォルトが最良の方策となる。固定資産減耗分の不補充又は減額補充で生産力を落としていくことが市場から求められている。これに時間をかけることで、恐慌による激変を緩和するしかない。

需要水準まで生産力が下がると、固定資産減耗分補充と固定資産のエネルギー消費量分補充、労賃の適正分回収のみの、剰余価値生産ゼロ状態での単純再生産に落ち着くはずだ。

これを新中世と名付けることができるだろう。

職人個人の不生産階級から、企業体としての不生産階級化による安定状態、動的平衡状態を維持することになるはずだ。

必要な分、即ち需要分だけ生産する、という非階級社会やロビンソンクルーソーのような個人なら当たり前の話だ。

何も魚群探知機入れても摂り過ぎれば腐らせるだけだ。出漁回数、労働時間を削減して需用量漁獲できればそれで良いのだ。資源の乱獲による枯渇を避ける意味でも。

 

・さて。たまには視点を変えて製造業ではなく、商業で考えて再度深めてみよう。

生産物を工場出値で売る、この時点で製造業は剰余価値を確定できるのではあるが、商業者はX量の商品を総額Y円で仕入れ、これを市場販売して貨幣資本を得る。販売で得る貨幣は勿論法定貨幣である。

蛇足だが、自由市場ではなく、管理市場であることに要注意だ。数学的な自由市場など存在してこなかった。常に国王マークの法定貨幣取引が強制されてきた。管理市場が現実で、自由市場は試験管の中での数学世界でしかない。話を戻すと、

商業活動で原料にあたるのは商品であり、目的生産物にあたるのは交換後の法定貨幣である。だからこれもGーWーGである。製造業と同じくW段階でmは発生する。

Wの組成は、原料が商品であり、運送経費と販売経費を付加して価格を付けて商業活動して貨幣を得るが、ここから仕入れ価格を返済した残りが粗利益である。ここから運送販売経費を引いて、固定資産減耗と人件費を引いてゼロなら不生産階級状態、プラスなら剰余価値が発生していたことになる。

剰余価値は、可変資本の組成にあり、機械の減耗と機械の消費エネルギーの和、と労働力との組成が合理的になされたこと、即ち効果的機械化による労働力削減が成功したことで剰余価値が得られる。商業活動で言えば、輸送をリヤカー人力からトラック+ガソリンに変えたりで人件費を節約。個店を大型店にしてセルフサービスを導入、売場面積当たりの従業員を減らし、またセルフサービスシステム導入して、パート労働化する。この人件費削減で剰余価値は得られる。

商業活動で、仕入れ商品額が生産資本組成に占める位置は大きいので、他人資本を信用で得るのが普通であり、販売後に剰余価値から利子で返済する。

Wが組成の成功で+mを内包することでWーGであるのに、Gの中からmを確保できる。これは固定資産減耗の補充後なので拡大投資が可能になる。機械化や店舗拡大を誘発するのだ。また、商業活動が盛んになると、より早い貨幣資本化が求められるから、値引き資金も必要なので、全てを投資拡大のみには向けられない。何れにせよ組成は過去労働からの蓄積物をより多く組成して労賃を節約することだから、この成果は資本家に属する。また、剰余価値の使用の組成も資本家に帰属すると考えるのが合理的である。

・こうして、資本主義化の進行は不生産階級労働者の大企業労働者化が終わるまで進行し、組成の合理性から、生産財製造業の発達と動力エネルギーの消費量拡大、運輸や商業、金融部門の大規模化、を誘発することを特徴とする。

地下資源の価格や石油の価格が上がる、即ち希少化と、生産資本の組成で、可変資本の割合が相対的に減るので、剰余価値は減るし、また、販売価格は上がり、購買力が落ちることで、即ち需要が減退することで回転数が下り剰余価値生産も減る。

剰余価値が発生する組成でさえあれば、生産期間、即ち一定期間内の生産回転率が高いほど剰余価値総額は増える。農業生産と異なり、期間内回転数は自然の影響は受けない。組成が、1回転あたりの剰余価値を産まなければ回転数が多くても意味はない。

・大企業は、剰余価値からの価格対応で優位販売力が得られるので貨幣資本を早期に大量に得られ、生産活動は連続的に2回転目に入ることができる。農業と異なり自然の影響、例えば一年に一回の生産回転に限定されるが、不生産階級の自然との関わりは原料以外の制約はなく、マクロ的な社会的影響としての需要の影響を最も受ける。

・市場占有が圧倒的になると、これは一方で中小企業、零細業の生産回転が減り、また止まることで労働市場に失業者として放出されて、中小零細業や職人生産の組成は減り、大企業労働者が増える。

剰余価値の使途は、次期生産の基盤作りとしての大型機械導入に固定資産減耗を超えて使われる。また、当初は販売価格の低下による次期生産を早める資金として当てられるが、市場占有が進むと必ずしも販売価格低下用に剰余価値の一部を割かなくて済むことから、高度機械化は進めて労賃減額は進めつつも、機械化投資は需要に制約され、中間生産と中間消費が減じてそのぶんが貨幣資本として蓄積される比率増となる。市場をその生産資本組成による大企業が支配すると、独占価格形成が可能にはなるが、市場での消費需要により、回転数が落ちることで剰余価値自体は増えない。また、他の生産組織は壊滅しており、これ以上の高度な機械化投資は不要であり、単純再生産の、ケネーの中世の生産階級になる。

・生産資本組成で剰余価値が得られる為には、原前払がポイントであり、このプロトタイプができれば生産物はこの生産ルートで流れるから大量生産が可能となるのであって、大量生産が剰余価値を増やすのではない。生産活動が高速に回転することで剰余価値が更に得続けられるのだ。

・資本主義システムはその威力から、飽和しやすく

需要の限界値への到達も早まる。単位時間あたりの需要の量に生産回転数が制約される。需要とは中間消費需要と最終消費需要であり、最終消費需要が主要な因子である為、国内市場が飽和すると、国外市場を拡大することで生産回転は確保されるが、フロンティアがなくなり固定した最終消費需要の補充生産回転となると、回転数は落ちて一定となり、剰余価値生産額は定常状態に入り、投資機会を失い貨幣資本のまま退蔵する。

・固定資産減耗と賃金に分配するだけで良いことになるし、資本即ち貨幣資本の希少性は失われて低金利となる。現代日本は賃金を増やさずに、生産共同体としての公器である企業に貨幣資本として蓄積されているので、過去の適正な賃金への累積的分配からの、家計累積貯蓄と併せて金余りとなり、剰余価値の行き場が失われている。

日本は資本主義システムは労働者階級には機能しておらず、企業に略奪されカンパしている状況である。生産資本組成を決定するのは企業経営者であり、株主即ち資本家の委託での経営せざるを得ず、剰余価値が増えない中で、労働者階級への支払いをそのままにして何とか株主に操を立てるので、格差は拡大し、優位性なき資本主義生産を低需要で低速回転させている。さらに日本は長時間労働が癖になっている。本来は労働時間の削減や賃金引上げ要求となるが、格差拡大で支配階級に分配を増やしており、金が余って尚金を欲しがる異常な支配を許している。

何れにせよ、過剰生産、需要の壁、剰余価値の貨幣資本としての退蔵、が1975年以降の課題として浮かび上がる。

経済を考える9-11

◆水野和夫著「閉じていく帝国と逆説の21世紀経済」からいくつかのキーワードを記録する。

・1971年ニクソンショック、ドル金交換停止

・日本企業の純資産は、636兆円、2015年度末

・日本企業の最終利益は、42兆円、2015年度

国民総所得に占める賃金の割合、1980年は46.5%

    2015年は40.5%、返還すべきは187兆円、行き先

    は?

・総人件費は、173兆円、で1998年度とほぼ同じ

 

▪️世界の年表キーワード

アムステルダム銀行が1609年、世界初の預金受け

    入れで、信用創造が可能に。

ストックホルム銀行が、1661年、世界初の銀行券  

    (紙幣)を発行。

 

・1971年、ニクソンショック、ドル金交換停止

・1973年、ブレトン=ウッズ体制崩壊

・1983年、レーガノミックス、軍拡と富裕層減税

・1985年、プラザ合意、G5(日、米、西独、仏、英)

                    ドル安、他国通貨高の協調介入合意

・1987年、ルーブル合意、米は他国に利上回避要

                    請。だが。 西ドイツは利上げ実行。ブラ

                    ックマンデーによるアメリカ株暴落。

・1989年、ソ連崩壊、日本バブル絶頂から外国投資

                    家の先物一斉売り浴びせでバブル崩壊

                     ベルリンの壁も崩壊。統一ドイツへ。

・1992年、マーストリヒト条約でEU誕生

・1995年、グローバル化=国際資本の完全自由化

・1997年、アジア通貨危機、日欧の回避資本が米に 

                   流れ込み、中国に投資され、昇り竜に!

・1999年、ユーロによる通貨統合

・2008年、リーマンショックで世界大混乱に

                    中国は大規模内需拡大策でしのいだが。

・2014年、中国、一帯一路構想ぶち上げ

・2015年、チャイナショックで株価暴落バブル弾け

                    AIIB設立、南シナ海に進出。ロシア、ベ  

                    ラルーシ、カザフスタンでEEU発足

                    アメリカによるドイツ銀行攻撃開始

 

金(きん)の裏付けないドルの変動で、対外貿易は極度に不安定に。金の裏付けなく、ドルは基準通貨の地位を保ったが、2015年で米GDPは世界の1/4で、世界の外貨準備の63%を占めた。

ドル需要は、農産物決済、資源(特に石油)決済に使われている。石油を、農産物を輸入する国は、ドル準備が必要になる。中国も石油輸入国だ。

ドイツはユーロでアメリカ支配からヨーロッパ圏の国を巻き込んで距離を置き始めた。ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペインが債務国転落、イギリスの離脱と問題も内包。ドイツはグローバル経済のユーロ内で無関税で(輸出)でき、輸出急増できたし、中国にも車を輸出して、貿易依存度が日本の倍以上だ。国外消費でGDP成長しているから、外国景気の影響を強く受ける体質で中国と類似。だが、実体経済で金融経済でないから健全ではある。

中国は、2015年チャイナショックで株が半落、生産過剰で破綻の先延ばし状態。AIIBアジアインフラ投資銀行設立して、一帯一路投資を打ち出し、需要拡大を狙う、しかし資金がないのでこれで集めて過剰生産力の稼働率をあげようとしている。

鉄鋼、石炭、セメント、アルミ、ガラスで過剰著しく、鉄鋼は世界の半分を生産してるが、稼働率は6割。投資過多。投資がGDPの半分以上を占める歪んだ経済だが、実体経済。日本やドイツを牽制するには、中国に世界の工場を任せる、がアメリカの戦略だろう。中国の崩壊のパターンはリーマンショックと異なり、不動産バブルの崩壊になるので日本と同じ。とすると、あと5から10年後に崩壊がくると予測されている。一帯一路の巨大投資は無理との評価も多い。

2010年の段階で、50年前の日本のGDP水準に達したが、その頃の日本は過剰生産ではなく、その後時間をかけて中間層が厚く形成された後にバブル、中国は、その前に格差社会のまま、バブル崩壊へ、意味するところは悲惨だ。

中国の調べでも中国の債務残高は26兆ドル、日本円換算でほぼ3000兆円、そのうち企業債務が2000兆円もありアメリカ企業の倍弱、設備バブルの崩壊も待ってるわけだ。

 

◆資金循環表2016年 日本国

ちなみに、

              負債(資金調達)   資産(資金運用)     差額

・家計       391                 1800                     1409

・法人     1528                 1101                   ▲427

・政府     1428                   558                   ▲870

・海外       644                   999                      355

ただし、固定資産即ち非金融資産の記述はないので、別途資産負債の実態がある。

だが、これでデフレで増税したし、更にしようとする意味はない。金融資産負債差額とは別に、法人は非金融資産があり、636兆円の純資産があるから純資産保有していて赤字ではない。この数字だと、1063兆円の非金融資産=固定資産があることになる。

もちろん政府にも非金融資産は、連結で500兆円強ある。国有地、橋や道路や空港、港湾、浄水場などのインフラは売れないとの主張もあるが、IMFにより、債務国はアメリカを除き、担保に取られて民営化後売却されるのが普通で、その後は使用料が国民に付加されるパターンは債務破綻国家の普通の扱われ方であり、差し引くと200〜300兆円程度の政府セクターの負債超過でしかない。政府運営としては確かに恥ずかしい成績だが、企業と家計のサポートで余りあり、増税より経費減や効率化が民間並みにGDP比例で求められるべきで、財務省によるマスコミ統制での増税誘導に有権者は洗脳されたままである。

資金が余って借り手がないのだから、もともと国民へのサービス部門でしかないのだから、ここで赤字でもサービス過剰の面もあるわけで、国民にとっては必ずしも悪くはない。税収をあげて結果として景気後退させて税収の伸びが落ちているのもお粗末。

海外は、外国に355兆円貸してるということ、世界最大の純債権国家である。

家計が1800になってるのは、政府が国債発行するから、金融資産化してどんどん増えてる。純貸し出しで1400兆円もある。金余りで将来所得を国債投入し、需要がないからそのまま個人と企業の金融資産増にスライドするだけだ。

実感ないだろうが、格差、世代格差もあるが、はっきり金余りだ。日本はドイツと並び将来投資がないのだ。しかしドイツは、ユーロ内、中国への輸出依存度が高く、世界景気の影響を受けやすい。

 

◆今後のテーマ、10シリーズの課題は、

日独の金利低下とグローバル化経済

民主主義国家か、国境なき資本主義かの選択に

近代に周回遅れで突入した中国の位置

新中世への回帰、軟着陸は可能か

 

 

 

 

 

 

経済を考える9-10

◆一休み

⚫︎ケネー主義者だった自分を発見できたこと

今回、ブログをやってみて、下書きにあたる日記的な積み上げから、モヤモヤしていた経済に対する思いが晴れてとてもよかった。

自分は、マルクス主義者のつもりだった。が、資本論でのモヤモヤした疑問がありつつも離脱もできず、苛立っていてが、ケネー主義者だったことがわかった。

立ち位置が、「マルクス派ケネー主義者」であることがわかり、かなり気持ちが楽になった。自分の立場の立脚点の気持ちの整理がブログでできたことに感謝だ。

 

⚫︎労働力の化石エネルギーでの置き換え、が剰余価値を生み出す、これが資本主義の本質だった。

ケネーの生産階級、すなわち農民の労働は、微弱な太陽エネルギーの固定、すなわち太陽エネルギーを葉緑素により、炭水化物エネルギーに固定化する自然の作業を補助する労働であるが、植物DNAによる自然の制約に制限されて回転率は低いものの、利益率は高い。

しかもこれが労働力の再生産に必要不可欠なエネルギー源となる。したがって農業労働は、人がエネルギー消費即ち農業生産物を消費しながら、太陽エネルギーを利用して人のエネルギー源即ち農業生産物を選択的効率的に得る生産活動である。

一方で、資本主義的労働は、剰余価値を得るための労働であるが、剰余価値は人間労働の機械労働での置き換えにより生まれるのだが、機械労働にはエネルギー消費が必要だが、そのエネルギーは石炭や石油であり、過去の古代からの植物や微生物の死骸が元であり、太陽エネルギーが過去蓄積した物質の一括利用である。この自然の恵みが人に社会に恩恵をもたらす。農業が、今年一年のエネルギー固定、工業は、億年単位のエネルギー固定の利用で、剰余価値をもたらすから、圧倒的である。

こうしてみると、過去エネルギー蓄積物は有限であり、その枯渇が資本主義生産の終焉をもたらす。エネルギー源は、過去に少量のエネルギー消費で得られたが、シェールガスや海底油田などは1単位のエネルギーを得るのに例えばだが0.3のエネルギー消費を伴うようになっている。0.5に達すると翌年のエネルギー採掘用の備蓄エネルギーとして前払しなければならなくなるから、仮に埋蔵があっても採掘不能となる。ここで資本主義的工業生産は剰余価値を産まなくなる。

このことで、例えば、現在太陽エネルギー利用の太陽光発電もその効率性やその威力も大したことがないことがわかる。植物並の固定力でしかないのだ。その為に機械も作らねばならないし。

地下資源である金属、地下資源であるエネルギー、この結合による人間労働の置き換えで、過去の財産を現在に移行する、もとは太陽エネルギーだが、これを有用に得る、これが資本主義剰余価値の実態なのだ。過去の太陽エネルギーによる恵みである。

現代は石油が最も効率的で量もある。石油エネルギーの採掘効率の低下が、資本主義の剰余価値生産を制限する。ある意味、神の手による蓄積を現代に持ち込んでいるわけだ。

問題は、石油エネルギーに替わるエネルギーが安価に大量に発見されないと、現在太陽エネルギーだけに頼るのであれば、植物の固定力を上回らず、剰余価値生産できない不生産階級への逆流が基調となるだろう。新中世を目指す歩みを続けるだろう。ここで問題になるのは、支配階級が黙って労働者と共にそれを受け入れるのか、が後期資本主義の大問題だろう。

 

 

 

経済を考える9-9

◆金融資本主義への変化と発展

実態経済は、実態であることにより有限である。

 

有限性とは国内需要であり、更に国外需要(輸出)であり、市場は常に有限であるが、貿易問題の障害を克服できれば更に広げることは可能だが、限界は常にある。

封建時代の不生産階級が生産階級への変化での初期資本主義の略奪性、剰余価値拡大再生産による健全な発展段階、そして今回以降テーマとする、後期資本主義と新たな経済システムへの転換の模索段階へと進むが、後期資本主義の特徴は、金融資本主義、がその主役である。

 

過去の高い剰余生産物、具体的には設備と機械化の高度なレベルを実現して労働力がこれを活用して生産活動を行なっていた資本主義社会ほど、大量生産力があり、主権国家内需要に達するのが早くに訪れる。これは全ての国の資本主義が一斉に起こるのでなく高度な国、国内市場規模の小さい国から順に起こるのである。

また、その段階が発展して主力産業が国外需要との関係性が主になると、国民主権国家は国家の制約が発展の足かせになる。

ここで、もし、剰余価値を貨幣資本にして投資していた場合、その範囲であれば工場を縮小すれば良く生産縮小を需要の規模に下げ、過剰設備をスクラップすれば良いのだが、中国のように借金や投資資金を外国からの依存で当てていたとすると、債務返済義務を果たす資金不足となり枯渇して破綻する。

日本の場合の高度成長は、労賃からの家計貯蓄と企業剰余を投資資金として運用拡大して来たから、その後バブルにあい、ひどい目にあったが、自力で平和的に修復できた。要は成長期に家計が貯蓄を産み、国内投資で運用して蓄積を増した歴史なのだ。

 

それまでは、過去の剰余価値の投入分の減耗分を補填して尚余りある剰余価値があり、これが投資、即ちより高度な設備や機械生産に投資されることで資本主義生産システムの発展優位性を得て来た。

しかし需要の壁にぶつかると、拡大再生産投資の必要がなくなる。要は生産調整に入り、将来投資予定分の剰余価値は、貨幣資本のままで行き場を失う。

 

買い替え需要分の生産に縮小するか、需要を拡大する選択しかなくなるのだ。大型高速の生産施設や、機械は邪魔になるのだ。生産しなければ剰余はできないが、生産すると過剰設備で過剰生産になる。

また、販売=貨幣資本への交換ができなければ、剰余価値部分は需要なき生産後商品の山となって残り、朽ち果てるか乱売で縮小した貨幣資本を回収するだけだ。剰余価値自体を失い、δG-。欠損が確定する。

現在の中国の鉄鋼業がその象徴である。

 

(金融)貨幣資本G、はW生産資本に変換して、その組成と運用により剰余価値を得て、運輸、商業を経て剰余価値分を拡大した貨幣資本G'として得て、その中からの剰余価値から金利を受け取るので、勿論商業活動の合理化の中からも剰余価値は更に得られるのだが、Gを増やすには、生産資本に転換する工程は資本主義システムでは絶対的に必要な条件である。

 

それは、貨幣資本のままタンスに備蓄しても、金(きん)などの商品貨幣のまま金庫に保管しても、価値は全く増えも減りもしない。ただあるのは、資金需要がのちになってどうか、という価格的現在価値変動だけである。現代日本のようにデフレ経済即ち社会総体としての縮小経済が続けば、生産資本や商品資本の形が、実質的に価値を減らす方向になるので、貨幣資本が最強となるから、利息ゼロでも貨幣資本で保存した方が総体的に価格を上げる。

しかも国内的に資金需要がないから、ますます貨幣が余る。これが海外運用、海外の生産資本化を経て剰余価値の一部を金利として受け取る、要は資本輸出となる。日本は貿易収支がトントン、資本収支は14兆円のプラスが、最近の状況で、経常収支黒字国を何十年も延々と続けている。

高度成長期は貿易収支が大幅に黒字だったが。

 

要は、国内生産過剰にたどり着いた国は、皆この状態になる。

輸出依存度の高い国は、需要を外国に頼るため、外国で市場開放や関税の低下方向に反する動きや、また、外国への融資をしていた場合に、政権が変わり、債務放棄してきた場合には穏やかではいられない訳で、内政干渉や国際銀行取引停止、場合により派兵など、国内法規に近い運用を求めて内政に干渉する。これが過去の大戦となった。その後焼け野原になり終戦で需要の復活があり、1970年から75年に戦後の健全な経済発展が終わり、現在に至る。今はその意味では戦前になっているのだ。ただ、国同士の戦争を繰り返す危険は少なくなってはいる。要は最新の帝国主義は、国民主権国家を通じて、主権国家間の争いとしての戦争から、グローバル化契約の中での矛盾調整だから、制裁は国通しというより、企業対国だったりする。北朝鮮のような2周回遅れの例外もあるが。グローバル化時代は、国を超えた法規や統制が必要でユーロで実験が進んでいるが。

 

現在の世界経済は、実態経済の3倍の金融経済となっていると言われていることでもわかる通りの世界的生産過剰で金融資本が余るが、実態経済への投資資金も過剰であり、当然に高金利は得にくい。が、尚金利求めるなら生産資本への転換場所を求める競争が熾烈になる。しかし、3倍の金融資本の受け皿は実需には1/3の資金需要しかなく、残りは金融資本通しのギャンブル場でのゼロサムの貨幣所有権の奪い合いにならざるを得ないし、そもそも信用により創造された架空の貨幣が2/3の半分を占めるのではないか、即ち高くなりすぎてる貨幣資本需要のある国の総体の担保としての信用貸し部分の貨幣創造が半分はあるはず?、ではないだろうか。儲かるのも、損するのも銀行、という金融資本間のゲームだ。

何れにせよ国際的な貨幣資本は、中国に集中投下され、また、その他の発展途上国の安い賃金求めて、分散投資されている。金融資本のグローバル化である。アメリカは、自国生産力を超えた戦争経済の維持で生産による剰余は得たが、それ以上に国内需要を外国生産に頼り、その繰り返しの中で貿易赤字に転落したし、戦費を国債発行で得ながら国民に借金を負わせてしかも戦場にかり出したので、結果はどうなったか?

国債は日本と全く異なり、日本や中国、最近は中国は資金不足で大きく減ったが、ドイツ即ちユーロ、産油国にドル建てで依存し、アメリカ国民に借金として、更に軍需産業が剰余価値生産して肥大化、更に冷戦崩壊でITやナビゲートシステムなど軍事技術を民間活用して発展した。要はドル建ての即ち国際通貨建ての、借金によるIT利用による金融帝国の道を歩み始めた。しかし、75年には、ドルと金との交換停止を宣言、要は、後でどうなるかわからない小切手で他国から物を買い、他国の生産資本化の組成に支配的に関与する金融資本を得て、IT使ってグローバル運用する、金融資本帝国主義が登場したことになる。

これは、対抗軸のEU、周回遅れの中国が双方共実態経済を前提とした帝国主義需要があるのとは対象的である。彼らは原料と市場を求める、ある意味既存のシステムの延長に存在する。

 

プラザ合意で、日本は超円高を他国と同様に受けいれ、ルーブル合意でもアメリカに追随、価値なきドルの借金の低減に協力するのを通り越し、国内最大の金融機関、郵貯の資金の米国債担保化、郵政民営化も進め、長銀を差し出し、日債銀も差し出した。アメリカの運命共同体的植民地が国益と判断したが、ドイツその他はルーブル合意に応じなかった。以降はユーロ経済圏を構築し、価値なきドルの受け皿を目指し始めた。中国は一帯一路プランをぶち上げて需要を作り、過剰設備と資金不足にあえいでいて、バブル崩壊を先送りするニューディール政策を資金不足をAIID作って補おうとしていて、ユーロやイギリスなども巻き込んでいる。が、資金不足で挫折し過剰生産と借入資金の返済を先送りしようとしているが、実は戦争しか無い、当時のアメリカ模様である。

 

ここに金融資本帝国アメリカ及び従属国勢力、対、その他の世界での、EU、途上覇権主義国中国、その他泡沫国の三つ巴となったが、アメリカが、超大国であることは疑い無い。

アメリカは、ドル貨幣資本での信用借入資金による金融支配型の帝国主義であり、他国の生産拡大を前提とする国際銀行である。

実需は、食料エネルギー、石油エネルギーの生産をを維持しつつ輸出支配し重視し、軍需産業は世界を圧倒している。極端に言えば、他の消費材はドルの小切手で輸入し、国債を買ってもらって、アメリカに投資ドルを還流するサイクルを作っている。債務請求されれば、金と交換できない紙幣ドルを自国がインフレにならない量印刷すれば良い。電子化されてるので印刷機も紙もインクも不要。また、米国債の追加発行で国債を借り換えすれば良く、ただ、低金利金利負担で良い。

要は日本の国債の問題?を世界国債としてやってるのだ。だから国債が増えても、日本は経常収支が赤字になり、ドル建て国債の発行まで追い詰められれば別だが、アメリカはそれすらも無いから更に楽、財政赤字と経常収支赤字の双子の赤字になり持続していても、金交換停止のドルが世界通貨であり、アメリカに発行権が続けば何の問題も起きない。

 

続く。

 

 

 

 

経済を考える9-8

グローバル経済となり、これが主流となりつつある現在と当面の未来がこの延長線上に位置することは誰にも疑いの余地はないのではないか。

 

ケネーの時代の範式でいうと、生産階級の剰余価値である。30の投入から50の生産物を生産し、20は税として支配階級に収奪されるのだが、支配階級である10分の一税と呼ばれる教会と、領主とで山分けしていた。

これは、支配階級のキリスト教会も支配階級の一角ではあるが、領主の支配の一翼として支配階級内で蜜月状態であることを意味している。が、勿論、

 

領主>教会  

 

の力関係である。

近代の資本主義社会でも、

 

国家>資本

 

の関係での権力関係であるが、即ち国家の庇護と国家への献金の関係で資本主義は国家の下で発展してきた。

 

だが、例えば、アップル一社🍎、の株価時価総額は、2017.03.31で7530億ドル、日本円で82.82兆円、これはGDPとの比較で、世界17位のオランダに次ぎ、18位のトルコを上回る規模である。こうした企業が何社か所属した国は、国の主権を脅かすし国の所属を拒否してグローバル性を生かして主体を国外にも移せる。要は、巨大多国籍企業は国家の庇護を必要とするより、規制を外して自由経済としてもらえることを、また、法人税値下げ合戦をやってもらうことを国家に期待しているのだ。

 

韓国で、サムソン、ヒュンダイなどに嫌われたなら、韓国はもたない。資本主義発展は、既に国内需要では不足し、生産資本も市場に近い国に疎開している、そんな規模なのだ。

 

多国籍企業>国家  

 

グローバリズムの本質なのだ。

国民国家の黄昏、と言われ国家は資本の下僕になりさがる、ここが歴史的に民主主義を進めてきた、欧米での反グローバリズムのこの間の成長をもたらしている。

多国籍企業化の本質は、新興国に需要先を求める需要低下対策そのものと言えるでしょう。それには、国家の規制が邪魔になるということでしょう。

 

また、民主主義国家を支えるには、豊かな生産力が必要で、生産力が豊かな生活と仕事による収入即ち所得がその裏付けであり、そうでない場合は、上流階級とその他の上流階級でない人々、となり、民主主義体制を国家がとる場合は、運営に困難をきたす。

だから、国家、特に民主主義国家の規制は不要、障害となる。

富を集中する帝国、は国境を嫌う。覇権国は主権国家システムを認めた上での覇権の範囲、主権国家との共存が可能に。

しかし、言えることは、資本主義が高度に世界的に発展すると、壁にぶつかり、それまで主権国家により保護もされた資本主義にとって、特に発展の先端から、その主権が邪魔になってきた、ということだろう。覇権主義帝国主義は、国家を超えた資本主義としてのルールを作り、破ったものには制裁を下す、そういう秩序が求められ、それを大戦後に、担ったのは、覇権国から帝国主義国に成長したアメリカだったが、実際は支配の及ばない社会主義経済圏が一方であった限界もあった。

これが一極化した現在、グローバリズムが徹底できるようになった。